「君は、幸せでしたか?」

remu

第1話「君は、幸せでしたか?」

 今となっては聞くことも、その答えすら得ることができない問い。それでも。幸せだったと信じて、いや、願って僕は笑った。


 僕の姉は、血のつながらない、父の連れてきた子供だった。ある日、いきなり現れたのだ。真っ青な顔で土下座をする父。取り乱して姉に向かって水の入ったコップを投げつけた母。ただそれを受け止めた十六の姉。何もしなかった当時中学一年生の僕。なんやかんやあって、彼女は「姉」として家に住むことになった。肩身の狭い思いだっただろうに、何も言わなかった。

姉がいたのは時間にしてたったの一年。それだけだった。


 そして、死んだ。見通しの悪い交差点でスピードを出した暴走族のバイクに撥ねられて呆気なく死んだ。頭を打って即死だったらしい。真っ白な顔をしてベッドに横たわった姉を、父は無表情で見下ろした。母は顔を見ることすらしなかった。僕は、一人、泣いた。姉は僕に良くしてくれたと思う。僕にとって「突然できた姉」は言い換えれば姉にとっても「突然できた弟」だった。僕の身長は姉よりも高くて、声も低かった。姉は怖くなかったのだろうか。きっと、怖かったと思う。下手したら襲われかねない状況で、誰にも頼ることができないのだから。それでも僕を「弟」として歩み寄ってくれた。一緒にゲームをして、漫画を読んで、くだらない話をして。



 姉の部屋に入ると、母がいた。荷物を片っ端から段ボールに詰め込んでいる。一心不乱に作業をしていて僕が部屋に入ってきたことにも気がついていない。部屋の中のものはほとんど段ボールに詰め込まれていた。ああ、こんなにも物が少なかったのか。

母は声をかけるとようやく、振り向いた。

「あの女がいた痕跡を全部消すの。ねえ、あなたもいきなり入ってきた女なんて嫌だったよね?そうでしょ?」

母にとって姉は「姉」ではなく、敵対する「女」だった。母に頷くことはせず、部屋から追い出した。少し休みなよ、あとはやっておくから、なんて耳障りのいい言葉を並べた。段ボールに詰め込まれたものを一度ひっくり返す。学校の教科書、制服、着替え。僕がクリスマスプレゼントにあげたマフラー。段ボールを逆さにした拍子に、手帳が開いた。開いたページには僕の名前が書いてあった。少し迷ってから手帳を手に取る。日記のようだ。綺麗な文字で書き綴られている。


『私に弟がいるらしい。お母さんは私を置いて出て行った。頭を抱えたお父さんが私を連れて行ってくれるらしい。私には、弟がいることを初めて知った。そして、お母さんが不倫相手で、私が不倫相手との間に生まれたいらない子供だったということも初めて知った。』

『義母にあたる人は私が嫌いらしい。そりゃそうか。お父さんも庇ってくれなかった。弟は、興味がなさそうにこっちを向いていた。どんな子なんだろう。私を必要としてくれたら嬉しい。』

『弟は、私を姉として認識してくれた。嫌われる覚悟だったからちょっと拍子抜け。とっても嬉しい。ゲームを教えてくれて、学校のことを話してくれた。』

『私は、ちゃんとお姉ちゃんをやれてるのかな。』

『杞憂だったのかもしれない。クリスマス、私のご飯はないように見えたけど智紀が取り分けてくれた。ケーキも四等分に切ってくれた。プレゼントまでくれた。黒と白のチェックのマフラー。可愛い。大切にするね。』

『私に、生きている理由をくれたのが弟。血は半分しか繋がってなくても、ちゃんと可愛い。』


 あぁ。姉はちゃんとこの家で生きていたのだ。視線の端に写ったマフラーを手に取る。

こんなことなら、もう少し良いものをあげればよかった。

こんなことなら、もっと弟になっていればよかった。

こんなことなら、こんなことなら、ちゃんと姉として、家族として大事にすればよかった。

 僕は一人、泣いた。泣いて、段ボールに全ての荷物を詰めて僕の部屋の押し入れの1番奥に入れて、遺影に手を合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「君は、幸せでしたか?」 remu @kiminisekai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ