孤独のススメ

マスヤマリチカ

──

「孤独だな」

 心の内で吐き出そうとした言葉は、ため息とともに体という壁を突き抜けて雑踏の中へ生まれ落ちた。唇の戸締りがまともにできていなかったことに、嘲笑うような、落ち込むような笑みが浮かぶ。

 今年の冬は、一段と冷え込みが厳しい。そのせいか、いつからか抱き続けている寂寥の念も「例年並み」にはならないようだ。

 午後三時前。寒いには寒いが雲は比較的少なく、柔らかな日光が世界を包み込んでいる。俺は仕事の合間を縫い、アウターを厳重に着込んだ人たちの群れをかき分けていた。歴史的パンデミックをある程度乗り越えた今となっても、辺り一面マスクの人、ひと、ヒト。

 無論俺もその内の一人だが、マスクをしているのは何もその経験のせいだけではない。八年ほど前からずっとこうしている。これをせずに出歩こうものなら、俺の存在そのものはたちまち人集りに埋もれてしまうだろう。

 混雑を抜けてお目当てのCDショップにたどり着くと、近頃飽きるほど耳にしている自分の新曲が流れてきた。店舗の入口付近には、俺の写真からできた特大パネルやポスター、そして新譜のディスクが飾られている。このパネルは数日前に披露されたもので、何人かが思い思いに写真を撮っていた。

「DICEくん、かっこいいねぇ」

「DICE、歌も上手いけど何より歌詞がいいよね。文学的だし、心に刺さってたまらん」

 思わず脳が震えた。俺がそこに込めた叫びを、他の誰かが拾って抱きしめてくれている。今マスクを剝がされたなら、その下のにやけた顔面を晒すことになり、社会的に終わりを迎えてしまうだろう。

 すぐ隣にDICE本人がいるとは思われていないはずだから、先ほどのような失態──ため息とともに言葉をこぼすなんてことがないように注意する。そして、ファンの生の声を全身で噛み締めた。

「DICEと同じ時代に生きられて嬉しい」

 その言葉は、星のきらめき同士が衝突したような美しい希望をもたらした。


 俺も皆と生きられて嬉しい。


 そう口走りそうになり、必死で言葉を体に繋ぎ止めた。だが、視界が水中のようにぼんやりとするのは止められない。そのうち、じんわりと温かい雫が睫毛を縁取り始めた。そんな風に言ってもらえるなら、望みは叶ったも同然だ。

「カリスマだし、社会問題も当事者意識持って知ろうとしてるのも推せる。歌以外も多才だし、DICEは令和に降臨した神だよね」

「わかる、マジで宗教。音楽以外に発言も気になる。考え方がかっこよすぎる」

 先ほどまで温度を持っていた涙が、急速に冷やされていくのがわかった。それは睫毛の防潮林をあっさりとなぎ倒し、無情にもマスクの下に流れ落ちていく。心も滝に打たれるかのような感覚に耐えかね、逃げ出した。

 辺り一面は、三時過ぎとは思えないような薄暗さに変わっていた。冬の分厚い雲が、ただでさえ弱い日の光を押しのけている。その光景に、空が味方かのように感じた。

 いつからだろう。「神」なんて二つ名を授けられるようになったのは。

 当初は、シンガーソングライターという創造主のような立場を言い換えたのかと思っていたが、どうやら違う。SNSで自分の名前を検索すると、恐ろしいほどに崇めるようなコメントが立ち並ぶ。それを見る度に、一人ひとりの耳元に拡声器を押しつけてこう言ってやりたくなる。

 俺は人間だ。冗談を言い合えば腹を抱えるし、堪えきれない悲しみがあれば嗚咽する。誕生日の祝福には顔をほころばせ、悪意ある言葉には呼吸を狂わせる。凶器の餌食になれば血を流し、下手すれば死ぬ、と。

 だから、そんな呼び名は要らない。俺は皆と一緒に生きるために歌を紡いでいる。神になるためじゃない。俺を異次元の存在に祀り上げて、皆から隔てないでくれ。


 寂しい。


 歌に乗せて思いを叫べば叫ぶほど、受け取った人との間に溝が生まれる気がする。いや、「立つステージが変わる」といった方が正しいか。

 俺は高みへ上り、人々は見上げる。それは敬意の表れなのだろうが、俺が覚えるのは疎外感だ。同じ世界軸で生きることはできても、同じ次元にはいさせてもらえない。

「ああ……やっぱり孤独だなぁ」

 マスク越しに、言葉とともに白い息が漏れる。まるで思いが可視化されたよう。

 だが、この感情は次作に繋がるさ。湧き上がって仕方ないだろう、創作意欲が。自分で昇華して、救済するしかないぜ。

 悲しみの傍らで、冷静な思考がそう訴えてくる。現に俺はスマホのメモアプリを立ち上げ、思いの丈を親指に託していた。

 新たな隔絶が生まれようとも、これでしか息をすることができない。だから、己の宿命は受け入れよう。


 俺はこの孤独を突き進むよりほかに、世界に属す術を持たないのだから。





 END

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