第14話 足の事
ふてくされた顔で写真に写っている女の子。それは私です。私には3ヶ月健診で「股関節亜脱臼」の診断が下されました。オムツ替えの時に左足を動かさないのでおかしいと思った母がお医者様に相談したところそのように言われたと。このままだと歩けなくなると。その治療の為にガニ股のコルセットに入れられ、不自由な状態だった事でなかなか不機嫌な日々だったようです。
治療は一歳半くらいまで続き、ハイハイできるようになってからはコルセットを引きずりながら匍匐前進でのハイハイで、コルセットの金具で畳はボロボロ、ケバケバ。社宅に住む女の子が遊びに来たはいいが、スカートに畳クズがついて「お母さんに叱られる…」と泣きべそだったとか。
幸いにも早期の治療開始だったので、私の股関節は綺麗に治り、普通に歩けるようになりました。
小学校に上がる時には走るのが得意で、運動会では6年間リレーの選手。中・高と陸上部に所属するくらい走るのが大好きでした。私が走るのを見る度に、両親は昔の事を思い出して嬉しかったようです。
足にまつわる話は私だけではありません。わたしが三歳の時、兄が社宅の目の前の道路で交通事故に遭い、骨折にこそなりませんでしたが右足膝下の皮膚がぐるっと剥がれる大怪我をしました。兄が小学校に入学して三日後の事でした。私は母が飛び出して行ったので階段の踊り場まで出て下を見たのですが、兄が痛がって足をバタバタさせながら会社のバスに乗せられているところでした。ちょうど帰宅する社員を乗せたバスが到着したところだったのです。
運ばれた病院では兄の足をどう治療したら良いか分からず、剥がれた皮膚をまた巻きつけて糸で縫う事をしていました。母と見舞いに行った時の赤黒く変色した足と黄色い糸の記憶は今でも忘れません。そしてその足は異臭を放っていました。
その時、父の隣のデスクの方は登山が趣味で、山での怪我などにも詳しい方でした。父が息子の足の状態をぽつりと話したところ、
「それはおかしい。私の登山仲間に名医がいるから相談してみるよ」
と、Y先生を紹介してくれました。その先生はご自分が医者であると言う身分を隠して兄の見舞いに行って下さいました。主治医は膝から下を切断しなくてはいけないと説明。これは緊急を要すると判断して、Y先生は身分を明かし、ご自分の病院に転院させるように要請して下さいました。
主治医の先生もプライドを捨てて転院に同意して下さり兄は新たな病院でY先生の皮膚移植手術を受け、長い入院は余儀なくされましたが、膝下切断と言う最悪の事態は免れました。
兄も成長してからはサッカーをしたり、野球をしたり、スポーツ好きな少年になりました。
私も兄も、足の事で両親には大変心配をかけたなぁと今更ながら思うのです。
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