第12話 両親の歴史 〈新婚時代〉
無事に婚礼を済ませた二人ですが、特に新婚旅行にも行かず、次の日から父は出勤し、母は洋裁の内職に入りました。
思えば両親は母の定年後は日帰りバス旅行などには行っていましたが、一度たりとも泊まりの旅行に行ったりはしなかったです。
実は父は定年退職したら母を旅行に連れて行こうと貯金していたのですが、会社の役員になった事で六十歳での定年にはならず、七十歳の定年を迎える前に母のお迎えの方が先に来てしまいその夢は叶わず仕舞いでした。そして旅行費用は母の墓石となりました。
さて、新婚の二人のエピソード。
父の為にご馳走を作った母が、お盆に乗せて食卓まで運び、
「お待たせしました〜♡」
と置こうとした瞬間、足を滑らせたかつまずいたか、
!!ガラガラガッシャーン!!
と、全てひっくり返してしまったと。
別の日には、母が前日の残りのタコを「勿体ないから」と食べたら食あたり。上げ下げ大変で「死ぬかと思った」そうです。
話を聞いた時(たぶん中学生くらい)は、母がそんな失敗を本当にしたのかな?と思いました。
自分にとっての親はいつでも「何でもできる凄い人」と言うイメージだったので、何だか変な気持ちがしたものです。でもいざ自分がその時の母の年齢になって初めて「うん、あり得る」と。
母にも若い時があって、色々失敗もして今の母になったんだなぁと、何だか不思議な気持ちになったものでした。
そんなこんなで新婚の二人に嬉しい出来事が。
母は兄を身籠ったのです。そして妊娠中も特に問題もなく、安産で兄は生まれました。
父の母(お姑さん)は、前述のように気丈なサバサバした人だったので、息子の家に尋ねて来ては、
「ここの家のお茶は美味しくないからいいお茶飲ませてあげて〜」
と、上等なお茶を持ってきてくれたりしたそうです。字面だけなら嫌味に感じるかもしれませんが、ケラケラと笑いながら冗談混じりに話すお姑さんを、母は大好きでした。
「病室に、寿司飯と海苔と具材持ってきて『ほら、おっぱい沢山出さなきゃだから食べなさいね〜』と目の前で巻き寿司作ってくれたのよ?ホントに優しいお姑さんだったわ」
と、嬉しそうにその時の事を良く話してくれました。
子育ては二人三脚。どんな事も二人で頑張ると言うのが両親の姿勢でした。母も内職しながらの子育てだったので、目を離さなくて済むように三輪車も下には下ろさず更のままで部屋で乗せていたところ、近所の人が覗きに来て「家の中で三輪車⁈」と言う顔をされて言い訳に困ったと言う話もよく聞きました。
父は兄の為に庭にブランコや砂場を手作りで設え、そこで楽しそうに遊ぶ兄の写真が私の手元にあります。潮干狩りなどにも親子で出かけて、よちよち歩きの兄がとても可愛い写真は私のお気に入りです。
そして兄の出産から約三年後、私がこの世に生まれます。
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