第6話 母の歴史 〈青年期〉

 母は文学や歴史がとても好きでした。本の虫でもあり、母が遺した文庫本の山は壁一面びっしり。裕に1000冊は超えるかと。ハードバックも何百冊もあり、私が生きている間には読破できないだろうなぁと思っています。

 母の通っていた高校は京都の大学に門戸が開かれていて、祖父の言葉に反発したこともさりながら、あわよくば文学の方面でそちらに進学できるかも?と言う期待もありで勉学に励んだ訳ですが、いざ進学のタイミングで、祖父からは家に残って欲しいとの話があったと。

 母は五人姉弟の長女。下にはまだ妹や弟がいます。

祖母の身体が弱かったので働き手として母の戦力は大きく、まだまだ頼りにしていたのでしょう。

 母と同じく、運動が得意であったすぐ下の妹も、体育大学の実技試験でバスケットボールのフリースローを一人だけ一発で決めて見事合格したにもかかわらず、やはり進学は諦めてくれと話があったそうです。

 戦後の時代、まだ日本が復興に向けて這いあがろうとしていた時代。上の子供は下の子供の為に犠牲になりがちな時代でした。


 大学への進学は諦めましたが、祖父は母を服飾の専門学校へ進学させました。母は洋裁の腕を磨き、店の手伝いの合間に洋服の仕立ての仕事もこなし、家計を助けました。母が使っていた業務用の足踏みミシンはまだ私の手元にあります。私も幼い時から内職の母の隣で針を握り、母からの洋裁の手解きを受けたので後々家庭科は得意な科目になりました。


 母の手作りの服で良く憶えているのが、赤ちゃんの時の花柄のワンピース、万博に行った時の白いレースをあしらった赤いワンピース、小学校の入学の時の私のピンクのパンツスーツと母のブラックスーツです。

 入学式の母はとても美しく私の自慢でした。また授業参観にはやはり自作のワンピースなど着て颯爽と現れるので、いつも心待ちにしていた事を憶えています。

 

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