15 二年生・二月

 ラルヴァは情報メディア部の手に渡って、予定通りに解体・凍結が完了した。

 丹堂センがラルヴァの管理を担っていた件については、生徒会を通じて学校側に告発された。報告を受けた経営陣は、生徒に話を聞いたり、ログを遡って実態を調査するとか、頭でっかちな規則を作った割に案外スピーディーに調査を行っていった。あたしや麻路ももちろん調査対象でなかなか疲れた。この対応については、堀川がそうだったように教師陣も普通にラルヴァの存在を知りながら黙認していた節もあったので、それが露呈しないうちに始末をつけたかったのだと思う──と健翔が言っていた。姑息な連中だ、とあたしはげんなりした。

 とまあ、そんなカルマを押しつけられる形で丹堂センは懲戒免職処分。ううん、一児の父、大丈夫なのか。後に聞いた風の噂では実は親子仲があんまり良くないとか。あんな理想主義教育メガネ親父だもんなあ、さもありなん……と会ったこともない子供の心配してしまった。

 それで、丹堂センがラルヴァを管理するまでの経緯なんだけど、サーバーの解析をした結果、確かに創設は六年前の卒業生によってなされたらしい。最初は呑気なローカル匿名掲示板みたいな雰囲気だったものが、二年くらいの熟成期間を経て現在の監視密告社会へと変貌。当時の情報メディア部員がその対処に憂慮していた中、丹堂センは却ってラルヴァの浸透で世曜生が大人しく、お行儀良くなっていったのを実感し、ラルヴァの有用性を確信。今後の管理と運営を申し出たという。丹堂センなら安心だ、ということで管理権が引き渡されて以来、ずっと陰から世曜高の空気を牛耳ってきたというわけだった。

 つまり、丹堂センが後からやってきたわけで、ラルヴァという環境自体は自然発生的に現われたものらしい。その辺り、世曜生の心理がラルヴァというサイバー風土に染みこんでいった、という感じなのか、それともラルヴァが世曜生をそんなのにしたのか──卵が先か、鶏が先か、みたいな感じ。誰か研究して欲しい。


 キンコンカンコン。

 平穏な二月のとある昼休み。チャイムが鳴って、教師が授業終了宣言を出して、なんとなく自由に動いてヨシみたいな雰囲気になった瞬間、あたしは立ち上がって廊下に飛び出した。すると、似たような連中が他の教室から湧いてくる。購買ダービーの火蓋が切って落とされた。

 負ける気がしない。こっちは年季と立地が違うんだ。あたしはいつものルートを最短距離で辿っていくと、そのままトップをキープして購買へゴールを決めた。

「よーし、今日も一番!」

「あら、最近は絶好調ね、兎褄ちゃん」

 購買のおばさんに、あたしはえへへ、と笑ってみせる。

「まあね。そしたら、えーっとねぇ……」

 スッポンパンにバチバチコロネ、百層デニッシュとかいうネタ振りパン、それから一瞬でなくなる脱法マカロンを根こそぎ買っていった。あたしの後ろでは、遅れて並んだ生徒たちがあたしのチョイスにいちいち「あーっ!」とか「それはいいや」みたいに一喜一憂している。ラルヴァが滅んで以来、購買ダービーから賭博要素は消え去り、シンプルな購買競争になった。

 そして、見ての通り、誰も人目を憚ったり変な自意識を持ったりせず、伸び伸びと学校生活を送るようになっている。そうそう、これこれ。あたしは高校ならではの、こういう雰囲気が欲しかったんだ。まだ解放されたてでぎこちないところもあるけど、四月に新入生が入ってくればいよいよ刷新されるはずだ。あたしは新たな春の訪れに今から胸を膨らませていた──。

「あ、碧子姐さん! こんにちは!」

 戦利品を抱えて歩いていると、ひとりの女子生徒があたしのもとにすっ飛んできた。

「あ、唐沢からさわちゃん。今日も元気ね」

 唐沢ちゃんは、麻路とのキスを餌にラルヴァ民を釣りあげて開催した学食会合で、一番最初に「ラルヴァはないほうがいい」と口にした子だった。そして、あたしと麻路の関係をしきりに探りにくるおませさんでもある。

「あの、あれから朝烏先輩と一緒のところを見ないですけど……どうしちゃったんですか?」

 こんなことをド直球に訊いてくる。ラルヴァ時代だったらとんでもないことだな、とあたしは苦笑いしつつ、おまけでついてきた塩バターパンを恵んであげる。

「いやいや、仲良いまんまだから安心して」

「そうですか……? われわれはおふたりのことが心配で心配で……」

 リスみたいにもぐもぐと塩バターパンを食べながら、唐沢ちゃんは嘆く。

「そんな心配しなくても……って、ん、われわれ?」

 言葉尻に引っかかったあたしに、唐沢ちゃんはバーン! と胸を張ってみせる。

「はい! われわれはおふたりを見守る同士! いつでも草葉の陰から応援してます!」

「え、それってファンクラブみたいな感じの?」

「俗っぽく言えばそうです。正式名称は『草葉の陰から見守り隊』──草葉隊です」

「すっご! 実在するんだ! 面白ーっ。っていうか、草葉の陰って死んでんじゃん!」

「その通りです。ラルヴァ、ラテン語で『幽霊』が元ネタなので」

「あーっ、そういうことか! 愉快なこと考えるねー」

 なんて話しながら、あたしは校内で堂々とこんなことを喋れる至福を噛み締めていた。そうそうそうそう、こういうのがしたかったんだ、あたしは……。

「お顔が見えたのでつい声かけちゃいました、すいません! それでは!」

 それからちょっと話した後、唐沢ちゃんはぴゅーっと効果音が聞こえるような走り方で去って行った。賑やかな子だ。ラルヴァ体制下ではさぞかし息苦しい思いをしていたに違いない。

 あたしは健やかな気分で渡り廊下を往く。と、噂をすれば影が差す、銀色の匂いが漂い、ほどなくすっかり綺麗な黒髪へ戻った麻路が姿を現わした。

「あ、麻路!」

 声をかけると、麻路だけじゃなくて隣にいる誰かの目もこちらに向いた。って、よく見たら麻路のクラスの担任じゃん。麻路は気まずそうな表情で応える。

「碧子、ごめん、今取り込み中で……」

「あー、うん、オッケー。声かけただけだから」

 あたしたちはそんな短い言葉を交わしただけですれ違う。なんか、二月に入ったら万事がこんな感じで、唐沢ちゃんが杞憂を抱くわけだ。まあ、しょうがない。あたしたちの関係はラルヴァに見られるためのものだった。それがなくなった以上、もう──。

 せめて、来年の夏にお祭りは行きたいな、と思いつつ、あたしは自分のクラスに戻る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る