9-1 二年生・十一月(2)

 あたしがふたりの関係に全く気づけなかったのは、ふたりの接点があまりにもなさすぎたからかも知れない。片やクリーニング屋のギーク、片ややる気絶無系補習ガールだし。

 ふたりが出会ったのは職員室。健翔は家の金銭事情がのっぴきならないことになって、自分もバイトをしないと望む大学に行けない可能性があり、バイト許可を求める書類を提出しているところだった。一方、愛沙先輩は「家庭の事情」が勃発してしんどい時期だったらしく、落ち込みが酷くて登校もままならず、中退も視野に入れて担任に相談しているところだった。

 担任は、愛沙先輩の家がお金に困ってないことを指摘して、たまたま近くにいた健翔のことを引き合いに出した。めちゃくちゃ雑に言えば「ああやって苦労してる人にバカかと思われるくらいあなたは恵まれてる。だから頑張ってみようよ」というようなことを諭されたらしい。

 この無遠慮な言葉にムッとした先輩は、健翔本人にズカズカ近づき、恵まれてるという自分のことをどう思うか訊いたらしい。すごい度胸だ。よっぽどムッとしたんだろう。

 すると、健翔は「どうとも思いません」と答えた。

「バイトする程度で大学に入れるおれも、恵まれてる方なので」

 愛沙先輩はその明快な回答に衝撃を受けると同時に恥ずかしさも覚え、頑張ってみることを決めたとか。なんか偉人の逸話みたいなエピソードだ。

 その後、先輩は後輩なのに健翔を私的顧問に据えて、病むたびに相談を持ちかけた。先輩の周りにはいろんな大人がいたけど、みんなむにゃむにゃ曖昧なことを言って愛沙先輩の「意思次第」と委ねた。一方、健翔は得意の最短経路なコミュニケーションで、明瞭に思ったこと、やるべきことを言ってくれるところが良かったらしい。

 先に惚れたのは愛沙先輩だった。

 進級を目前に控えたある時、先輩は「青春がしたい」と言い出す。ここで健翔は自分が言うべき台詞に自力で辿り着いてしまう。

「なら、おれと付き合ったら、どうですか」

 愛沙先輩の魔性が健翔にも通用するなんて、論文として出せるレベルの発見だと思った。


 ここ数年、ラルヴァで恋愛は報告されていないと言ったかも知れないけど、報告されてないだけで、どこかでひっそりとカップルはできていると思う。そういう勇敢な人たちは学校の敷地外でロミオとジュリエットが如く、一緒にいるところを見つからないように、誰にも知られないような場所を選んで、デートなりなんなりをしているはずだった。

 ふたりも最初はそうしようとしたけど、健翔はバイトまみれ、愛沙先輩も体調と気分に波があって、なかなか校外で会うのはうまくいかなかったらしい。ラルヴァに書かれるのは本当に嫌だけど、ピ不足でくさくさしていた愛沙先輩は、たまたま補習室と同じフロアにある例の密会部屋を発見し、そこなら大丈夫そうだから昼休みに会おうと提案する。健翔は半信半疑だったが、一度くらい試してみようという心持ちで乗ってみた。

 そしたら、朝烏麻路に速攻でバレた。

 その時の心境は察しても察しきれない。ふたりはひどく肝を潰しただろうし、朝烏麻路的には想いを募らせていた幼馴染に彼氏ができたということで、すごいショックだったと思う。

 ただ、朝烏麻路は転んでもただでは起きず、ふたりのことを秘密にするだけでなく、その秘密がラルヴァに曝かれないように守りたいと申し出た。ふたりがイチャイチャしてる間、朝烏麻路はその邪魔が入らないように見張るということだとか。普通は思いつかないようなすごい役回り。愛沙先輩への愛が深すぎるでしょ、とあたしは舌をグルグル巻いてしまう。

 愛沙先輩は朝烏麻路の提案に甘えて、健翔もそれに追従した。

 ただ、多分、あの密会部屋は想像以上に強い位置にあって、昼休みはほとんど人が来ることがなかったんじゃないかと思う。そのために朝烏麻路の心にもどこか慢心が生まれ、生徒会の訪問にニアミスするとかいう危ない目に遭ってしまう──のは、また先の話だけど。


 そういう感じでうまいこと三者三様に回り始めた日常に闖入者が現われる。

 あたしだ。

 夏休み、極端に遭う機会が減ってしまうと思ったふたりは、大胆にも旅行の計画を立てた。健翔はバイト代の余剰分から、愛沙先輩は「受験勉強旅行」と偽って家族から旅費を調達し、遠方のお祭りで遊びがてら一泊してきちゃう、普段の窮屈な鳥籠を飛び出すような二人旅。

 多忙で繊細なふたりのスケジュールを調整し、なんとか折り合いをつけて実現したその旅行に、朝烏麻路は他人のフリをしてこっそり同行した。もちろん、セキュリティのためだ。愛沙先輩は「そこまでは別にいいよ」と断ったけど、朝烏麻路は「本当に万が一、世曜高生がどこかにいたら洒落にならないから」と血眼になるので、先輩は「そんなに来たいならおいで」と甘えた。健翔にとっては彼女の友達で気を遣うだろうから、同行は内緒にしておいたらしい。そこまでする? って思うけど、それが朝烏麻路という女だった。

 事前準備として、朝烏麻路は手に入る限りの資料を使って、なるべく全ての生徒を把握するように心がけたらしいけど、その頭脳を以てしても千人近くの顔を覚えるのは現実的ではなく、自信ないままにその日に臨んだ。死地に望む武士みたいな心境だったのかも知れない。

 そして、当日のお祭り、本当に何も知らず、たまたま親戚と一緒にやってきたあたしが、本当にたまたまふたりを目撃して、興味を持ってその後をつけてしまった。愛沙先輩はバリ気合いマックスでおめかしをしていたし、見慣れない浴衣の後ろ姿だったから、あたしは遠目からでは先輩だと見分けることができなかった。その間抜けな姿を監視役の朝烏麻路にまんまと見つかって、殺人事件寸前のめちゃくちゃな口封じを執行される。あまりに殺意に満ちていたために、あたしは健翔と朝烏麻路が付き合っているのだと勘違いした。

 あたしは人生で二番目に怖い思いをしたけど、朝烏麻路もきっと恐ろしかったと思う。もし、あたしが気まぐれでラルヴァに書き込んでしまっていたら「私がついていながら」と後悔し、一生残る心の傷になっていたかも知れない。それだけふたりの水入らずの時間を望んでいた。

 ちなみに、朝烏麻路があたしを世曜高生と断定できたのは、先輩があたしとよく絡んでいたのが印象に残っていたからじゃないかと思う。つまり、朝烏麻路は暇さえあれば愛沙先輩を見ていた──二学期の頭にあたしを監視していたのと同じような感じで。となると、後にあたしがふたりの関係を知った日、朝烏麻路が「ふたりの方はどういう関係なの」と訊いてきた文脈が変わってくる。聞こえてなかっただけで、ゴゴゴ……と地鳴りみたいな音がしていたかも知れない。意味がわかると怖い思い出──もはやその愛は病的だ。朝烏麻路がそんな人だなんて、なんか、胸がズキズキと具体的に痛くなってきた気がする。先輩が羨ましすぎだった。


 とまあ、その後の経過はあたしが経験した通りだった。朝烏麻路はふたりの守護にプラスして、あたしの監視という業務が追加される。あたしはその眼差しを錯覚してドキドキして恋に落ち、バイト中の健翔に事実確認をしにいく。朝烏麻路と付き合ってるのか、なんて馬鹿らしいことを訊かれた健翔は、脳内に宇宙が広がったんじゃないかと思う。

 その後、中間テストで朝烏麻路の成績が下落、キャパオーバーを迎えたのを愛沙先輩に慰めてもらっているところに、匂いに釣られたあたしが飛び込んできてしまう。

『えーっと、アオちゃんにはわたしの事情、話してるよ』

 高度な腹の探り合いの中、あたしが先輩の〈家庭の〉事情を知ってると伝えたところ、朝烏麻路はあたしが先輩の〈恋愛の〉事情を共有していると勘違いした。

『そ、そんな……それじゃあ、私は……』

 と狼狽えていたのは、特に隠さなくていい事情を隠すため、無駄な努力=あたしの監視をしていたのか、と愕然としていたから。確かに、あたしが最初から先輩と健翔が付き合ってることを知ってたら、朝烏麻路の一連の行動は荒唐無稽な茶番でしかない。そして、図らずもあたしが誠実であることは、朝烏麻路自身が成績を削ってまで目撃してきたことだった。

 そんな認識の重大なバグが発生していたために、あたしは何にも知らないくせに、同じ秘密を共有する仲間として、棚から純金製のぼた餅が出たような都合の良さで朝烏麻路との信頼を構築できてしまった。

 そして、あたしは何にも知らないくせに、愛沙先輩と健翔の危機を救った。


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