3-1 二年生・一月(2)

 時は跳んで──冬の学校の中庭。あたしと麻路は適度にイチャつきつつ昼ご飯を食べ終えた。

 麻路の体温はめちゃくちゃ高い。トレンチコート越しでもあちっ、となるくらいで、なんか触っちゃいけないものを触ったような気分になる。特に腋の下がすごい。ズボっと突っ込むとホッカホカでアイロンかと思う。

「……冷えてきた?」

 嫌な顔をされると思ったけど、意外にも麻路は何でもないように訊いてきた。腋が平気なタイプ? それとも、あたしの手が冷たすぎるから案じる心が先に来たのかも。

「ん、少しだけ」

「そう。……昼休みも終わりそうだしそろそろ戻りましょ」

「えー、もう?」

 スマホで時間を見ようとしたら、そういえば近くの花壇にめり込んで小さき生命のお墓みたいになっているのを思い出した。代わりに麻路の左腕をひっくり返して、ほっそりとした手首についた高そうな腕時計を見る。確かにぼちぼち教室に戻らなくちゃいけない時間だ。

「うえー、授業だりいなあ……」

 低く呻きながらスマホを引っこ抜くと、ぱっぱと土を払う。動作も問題なし。匂いは……。

「土くさっ! ちょっと、麻路! スマホが大根臭くなったんだけど!」

 そう抗議して麻路の鼻先に突きつけると、「うっ」とお人形みたいな顔が歪んだ。

「桜大根ね……」

「いや、確かに同じピンクだけどいろいろとちがう! 桜大根は土臭くないだろ! ……あーあ。焦げたパンよりも濃い焦げ茶っ茶色がついちゃったよ」

 あたしは常備してるウェットティッシュでゴシゴシとスマホを拭いて、ひとまずアルコールの水色な匂いで塗りつぶした。学校用だから良かったけど、仮に私用だったら即大喧嘩、屈強麻路にヒョロっ子あたしはボコボコにされて大泣きしているところだった。危ない危ない。

「……あなたには、土の臭いが濃い焦げ茶色に見えるのね」

 それから連れたって中庭を去り、下駄箱に着いたところで麻路がふと言った。

「ん? うん。まあ、実際は見えるっつか、感じるって感じ」

「共感覚っていうの。私にはあんまり想像がつかないないんだけど」

 世にはある刺激に対して全く別の感覚が反応する人がいて、声に匂いを感じたり、文章に色を見たりする現象を「共感覚」というらしい。あたしの場合は匂いに色が見え、そのおかげか子供の頃から異常に鼻がよく、生まれてこの方、犬のうんちを踏んだことがない。

「まあ、あたししか感じない感覚だし、色と匂いの成分が厳密に対応してるってわけでもないから話半分で取ってくれればいいんだけど──」

 あたしはとっとと上履きに履き替えると、靴を取るために屈んだ麻路の髪の匂いをスンスンと嗅いだ。麻路の匂いは銀色。その髪色とバッチリ似合ってて、マジでいい。

「碧子自身の匂いは何色なの」

「そりゃあおだよ」

「本当に? 名前に引っ張られてるでしょ」

「仕方ないじゃん、実際にそうなんだから」

 あたしは経験上、この話題が不毛に終わることを知ってる。夢の話みたいなもので、結局、その人の喋りの面白さ以上になることはないし、匂いの色なんて話題が広まりようもない。麻路は銀、あたしは碧。それで? っていう。

「まあ、でも、良いと思う」

「え?」

 きょとんとするあたしに、麻路はトントンと上履きの爪先をタップしながら言う。

「その、碧子が匂いの色を言うの、割と好き」

 うわ。少女漫画なら大ゴマ顔アップふわふわきらきらトーンで飾られるような台詞だった。

「──キュン」

「それ、口で言う人いるんだ」

 やべ、口で言う人になってしまった。でも、キュンとした衝動には抗えないし、キュンと言わないことには伝わらない。良いんだこれで。あたしはニタニタが止まらなかった。

 その後、あたしたちは次の教科何? とか他クラスの友達同士っぽい会話をしつつ階段を上っていき、あたしの教室の前で別れた。

「それじゃ、また明日」

「うん。またね、バイバイ」

 そう告げて、あたしがルンルンで教室に入った瞬間──スン、と「いつもの教室」が出現した気がした。まるで今までそこには虚無があって、あたしが認識した途端に教室がそこへ出現したような、わざとらしさ。違和感。居心地の悪さ。

 あたしはそのタネを知っている。みんな、あたしと麻路のことに興味津々なんだ。年明け早々、距離の縮まった女たち。優等生と劣等生のベタだけど永遠におもろい組み合わせ。そこに恋情はありや? めでたく付き合い始めたのか? ふたりは何をしてる? だけど、みんな表向きは興味のないフリをしてツーンとしなければならない。

 餌場の海へ真っ先に飛び込むファーストベンギンよろしく、うっかりあたしへインタビューをしようものなら「○○が兎褄に凸した」と秒で報告され、その瞬間、「早速、事情を訊いちゃう下世話なヤツ」というレッテルが全生徒に共有される。なまじ優秀な世曜高生たちの自意識はそれを許さない。そんな辱めを受けるくらいなら中退した方がマシらしい。

 なんだけど同時に、ラルヴァ体制下に入って久々のカップル成立、しかも女子同士。百合文化旺盛な昨今、そんなん絶対に気になっちゃうお年頃、知りたいけど知れないジレンマがこの教室中に充満する居住まいの悪さの正体だった。

 あ、そうだ。きっと今頃、ラルヴァはすごいことになってるはず。

 あたしは自分の席に戻ると、ど根性大根スマホを取り出して、ラルヴァにアクセスしてみた。どんなもんかなあ、と仕掛けた罠の様子を見に行く漁師みたいな気持ちで、遷移画面を見つめる。さあ、さあ、さあ……新聞にある首相動静ばりにあたしたちの一挙一動が報告されているんでしょうね、と期待しながら接続されるのを待つ。

 その時、キンコンカンコン、と午後の授業の始まる合図がした。

 あれ? あたしは一瞬顔を上げる。授業開始時刻。

 あれ? あたしはスマホを見る。

 そこにはなんか厳つい英文が表示されていた。あたしの乏しいイングリッシュパワーでもそれが意味するところはわかる。翻訳しよう。

 ──すまん、ラルヴァのサーバーに問題が発生してアクセスできん。

 危うく「おいいいいいい」と大声を上げるところだった。

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