第三章 女王エリザベスと獅子の試練

ランスの怪童

レイ・アルジュリオは謹慎中

 ぱら、ぱらと小説の頁をめくる音が部屋に響く。運動が大好きなその女子にとって自分の部屋とはいえ狭い場所に監禁されるなど拷問に等しい。運動選手アトレットにとって体を動かし、鍛え、自らの可能性を引き上げることは何よりも大切なことである。それが類まれなる才能を有し、特にカラテにおいては若干十四歳でエーテリア杯優勝を決めるような天才児とあればなおさらだ。

 国はこの才能を保護して惜しみない援助を施し、ランス共和国が世界に誇る運動選手の育成にもっと力を入れるべきなのだ。


 そんなことを考えていると本の内容などまったく頭に入らない。恋愛や戦記、推理小説が嫌いなわけではないが、今自分に必要なのは本ではない。運動だ。


 新世紀一〇二二年、レイ・アルジュリオは十四歳。


 ばん、と読書中だった『機罡創世譚』を閉じると、運動大好き少女はTシャツに短いパンツという簡素な格好のまま抜き足差し足、忍び足。自室のドアに近づいた。


「あら、ら。どこに行くのかしら、レイ」


「ト、トイレよ」


 扉を開けたところに立っていたのはレイの母親、レオノーラである。ばつの悪い顔をして母の視線を避けるレイだが、彼女の表情は柔和で優しい。だが、鋭い。


「キアオマタートウを履いて?」


 うっとレイは視線を足元に落とすと、そこにはボロボロになった運動靴があった。キアオマタートウとは、そういう名前の運動靴(のメーカー)で、遠い南洋の島国の言葉で「一緒に走ろう」という意味がある。


「今は停学中でしょ。まさかそのまま外に出ようなんて思っていないわよね」


「そ、そんなことないもん。ただ、ちょっと体を動かしたいだけ」


 レオノーラはそんなレイを愛おしく見つめる。学校側が提示した娘への処分が不当であることは母親である自分が一番よく知っている。それでもレオノーラは心を鬼にしてレイを自室に閉じ込めなければならない。それが我が子を世間の好奇な視線から守る唯一の方法なのだ。



 ――稀代の天才カラテ選手、闇術式オプスキュリトの使用疑いか



 先日行われたカラテのエーテリア杯。前評判通り決勝戦まで勝ち進んだレイだったが、そこまでの試合でスタミナを使い切っていた。そして決勝の相手は彼女の二倍はあろうかという巨漢で気力も体力も充実していた。

 天才的な才能を力が刈り取る試合になるだろう。誰もがそう考え、そしてその通りの試合運びとなった。

 しかし結果は違った。


 満身創痍のレイが限界であるのは誰の目にも明らかであり、これ以上は危険だと主審が止めようとした瞬間である。突如、常軌を逸した力で対戦相手を圧倒しだし、一方的に叩きのめしたのだ。

 あれは闇術式だ! と会場は騒然とした。


 エーテリア杯のみならず、多くのスポーツ大会において魔法や薬物によるドーピングは禁止である。特に出所でどころ不明の違法魔法を闇術式オプスキュリトと呼び、厳罰の対象だ。


 事前に魔法を使用したかどうかの検査は入念に行われ、魔法の効果に預かれるような装飾品の着用もダメ。外部からの魔法の干渉にも厳しく制限がなされている。

 しかし検査をすり抜ける手段は年々巧妙化しており、闇術式に手を出す選手は後を絶たない。レイ・アルジュリオが決勝戦でみせた異常な変貌ぶりは誰の目にも闇の力を感じさせるに十分なインパクトがあった。


 優勝は術式使用の有無が判明するまでお預け。レイは公的機関での検査入院となった。


 二週間にも及ぶ精密検査の結果、レイ・アルジュリオは潔白が証明される。これにて無罪放免。晴れてエーテリア杯優勝という栄光を手にした。


どんなもんよヴワラ ル トラヴァイ!」


 そう胸を張って退院したレイを待っていたのは、世間の冷たい視線であった。入院していた彼女には知らされていなかったのだが、世の中ではランスの怪童についてひどく恣意的に偏向された内容の報道が連日流されていたのだ。


 ――レイ・アルジュリオの闇術式疑惑。たとえ検査結果がシロであろうと一枚めくれば広がる無限の深淵


 ――前代未聞の不名誉、エーテリア杯の運営委員会にも激震。当該選手の永久追放も検討か


 ――燃え上がった炎の輝きは藁に灯された三日天下。栄光から転落した『元』天才少女の欺瞞に満ちた人生とは


 言いたい放題である。世界魔法使い組合ギルドの判定員が立ち会う検査で潔白を勝ち取ったというのに、世間ではレイを叩く声が後を絶たなかった。それでも相手にしなければ、そのうち収まるだろうとレイは考えた。

 ところが話題は収束するどころかますます拡散の一途をたどった。


 ――渦中の天才選手、実家は元伯爵家にして祖父は帝政ランスの重鎮。疑惑のシロ判定に王党派の大物が関与か


 まずはこれだ。レイの実家が元貴族であることは事実である。何なら祖父のスペンサー伯ルイ・アルジュリオは教科書に載るほどの有名人だ。

 ランスはつい最近まで絶対王政の世の中だった。これが九八五年の民主革命で打ち倒され、貴族等の特権階級が廃された。その後ランスは共和制が立ち上がったものの、すぐに帝政に取って代わられ、そこから紆余曲折を経て再び現在の共和制に落ち着く。

 革命時に声高に叫ばれた「貴族は市民の苦しみを贅に変える諸悪の根源」という標語スローガンが未だ国民感情の中にあるせいで、元貴族というだけで悪者扱いされるのがランスの常なのだ。


 極めつけはこちらの噂だった。


 ――エーテリア杯最年少優勝の裏に魔王軍の影。レイ・アルジュリオに潜む闇に惹かれて群がるヴァイダムの魔の手


 世界各地で悪さをしてまわる最悪の犯罪組織、魔王軍ヴァイダムとの関係も取りざたされてしまった。闇術式に魔王軍の関与を疑うのは子供にも分かる図式である。彼らが人間ヒトの心の弱さにつけ込んで闇術式を授け、その人間の社会性、信用をどん底に叩き落としたところで組織に勧誘するのがやつらの常套手段だ。

 七年前に廃兵院の惨劇事件トラジディ デ アンヴァリッド*を起こして以来、より悪名を高めた魔王軍である。

 関係があるなどと噂をされるだけで社会的信用は失墜してしまう。


 話題は収まるどころか拡散の一途を辿たどった。この事態を受けて、ついにレイは通学中の中学校コレージュから退学を視野に入れた無期停学を言い渡されてしまったのである。



 今でも自宅前には報道関係者が何人か居座っており、疑惑の渦中にある天才カラテ少女に話を聞こうと機会を狙っている。

 以前は家の壁に落書きをされたり、窓ガラスを割られるなどの被害が相次ぎ、ランスの警察や軍人が出張って警護する事態にまでなったほどだ。


「……そりゃあ、ラセンの言いつけを破って勝手に大会に出たのは悪かったけどさ」


 レオノーラに目論見を看破され、部屋に戻ったレイは憮然とカラテの師範を揶揄した。世間の好き勝手な物言いには少しも動じないレイだが、相も変わらず連絡のひとつも寄こさないラセンの風来坊ヴァガボンぶりには心底呆れた。

 首に下げた赤い宝石の付いたネックレスをいじりながらぼやく。


「可愛い弟子がこんな目にあっているのだから、少しは顔ぐらい見せたらどうなのよ!」


 長い付き合いでラセンのことは知ってるつもりだが、ほんの少し、淋しさを感じた。






*廃兵院の惨劇事件トラジディ デ アンヴァリッド 新世紀一〇十五年、当時帝政ランスの皇帝だったジャンヌ・ヴァルトが魔王軍に襲われ、後に死亡した事件。これを機に各国は魔王軍に対する徹底抗戦と連携を強化した。

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