フッサールは後年、生活世界という言葉を用いた。生活世界は、日常的に生きている、直観的で直接的に経験される世界を指し、個人の主観だけでなく、文化や歴史など他者とも共有されている世界観の事をいう。
特にフッサールは他者と共有されている世界観を重視していた。自分と他人の類似性や経験や体感などを共有することで共感する感覚を身に付けられる、と言った。
本作品の暴力的な点は、男子がふるった暴力だけでもなく、男子が受けていた虐待だけでもなく、男子とその他大勢が生活世界を共有出来ていないのを読者に突きつけて来る点だろう。
真相が明かされた時、この男子が社会から孤立した存在だと思ってしまうが、まあ大丈夫だろう。最悪な結末を迎えない事は作中でも示唆されているからだ。