醜いアヒルに夢を見た

風鈴はなび

醜いアヒルに夢を見た

"醜いアヒルの子だったときには、こんなに幸福になれるなんて、夢にも思わなかった!"


昔は凄いと思った。私もこうなれると信じてやまなかった。

でも心が育つにつれて、私はこの話が大嫌いになった。

"周りから虐げられた醜いアヒルが実は美しい白鳥だった"……なんて素敵な話だろうか。

現実にはありえない絵本の世界のお話しなのだが……どうも私は絵本にすら怒りを覚えるほど心まで醜くなってしまったらしい。

私が自分の醜さに気づいたのは小学校二年生の時、男子に"顔が変"と言われた時だった。

家に帰って鏡を見ると、なるほど確かになんとも醜い顔が映っていた。

母に聞いたら泣きながら謝ってきたのは今でも覚えている。

なんでも幼い頃に父が母に投げつけたポットに沸いたお湯が入っていて、それが私にかかってしまったそうだ。それ以外にも父に何度か殺されそうになった時に出来た頬を裂いた傷もある。

左目を覆うほどの火傷跡、顔中に出来た斑点のシミ、耳たぶから顎にかけて右頬を裂く傷跡……見えないところの傷なら数えただけで吐き気がするほどある。

真っ当に生きていたらまず関わりたくない顔なのだと自覚したのはこの瞬間だった。

そんな"醜い人の子"である私も今は立派な高校二年生。一人暮らしで過ごしている。

友達ゼロでストレスのはけ口、ついたあだ名は"爆死ちゃん"……どうにも父親の事と母親がお金だけ残して自殺した事がバレたらしく親ガチャ爆死って意味でついたらしい。

まぁ呼ばれ方なんてなんでもいいからなんとも思わないけれど。


「あれ、爆死ちゃんじゃん! 今日相変わらず不幸ズラが上手いね!」


「そりゃどうも……で、なんか用?」


「……別にアンタに用なんかないし。ただ一人でいたから話しかけてやったの。ほら私学級委員長だから〜? アンタみたいな奴にも話しかけなきゃいけないわけ。そうじゃなかったらアンタみたいな傷物に話しかけるわけないじゃん」


「……あっそ、話長い奴が馬鹿って言うのは本当なんだね」


「馬鹿って…!」


「私より成績低いじゃん。文句あるならもっと勉強すれば? 傷物に負けるんだからアンタはゴミ?」


「ふん! 親いないくせに!」


「親いるくせにそれとか親も泣くね」

その一言を言った瞬間に右頬に鋭く重い痛みが炸裂した。

その衝撃で左に揺らいだ視線を戻すと息を荒らげてこちらを睨めつけるクラスメイトが立っている。


「……暴力で怒りが収まるとか安い人生なんだね、ほら落ち着いた?早く自分の席に戻らないとチャイム鳴るよ」


「アンタなんか死んじゃえばいいのに……!」


「…………」

死んじゃえばいいのに、か。

死んでもいいな、と思えるほどまだ人生楽しんでないのだからまだ死ぬ時では無い。

その日は三時間目の授業を受けたあと適当な理由をつけてサボったのだった。




「口座の残りは……ん〜こんなの一生あっても使い切れないって……」

母は正直とんでもない大馬鹿だった。だが金を稼ぐ才能だけは特筆するものがあった。

株、投資、挙句にギャンブル……何をやらせても負け知らずのまさに豪運。

ただそれが駄目だった。その才能のせいで母は利用されるだけ利用されて捨てられるような人生を送ってきたという。

そのせいで少しでも一緒に居てくれる人がいるとズブズブ依存していってしまうのだ。

その結果、父のような人を操るのが上手い人間に捕まってしまったのだが。

父はクスリで捕まった時の執行猶予中に飲酒運転で人を殺して再逮捕、母は父の判決が出てから二ヶ月後に自殺した。

親族との縁も切れているので見事に一人取り残されたというわけだ。


「金には困らないけど……そんなに金使う用事もないしなぁ」

趣味は強いて言うなら食べる事、遊ぶ友だちはもちろんゼロだしこんな顔じゃ外に出れるわけもない。

買い物だってフードを深く被って辺りが暗くなってから行くからたまに職質も受ける。


「お腹空いた……パスタパスタ……っと」

冷凍庫を漁り冷凍パスタをレンジに入れて待機する。

軽くスマホに目を通していると、とあるニュースが飛び込んできた。


「通り魔ね……しかもこの辺りだし」

別にそれが怖いとも思わない。例えばもし私の通っている学校の学生が殺されたとしても特に何も思わないだろう。

私を死んでもいいと思ってる人間が死んだところで悲しめるほど私は情がある人間じゃない。


「もし出会ったら私も殺されるのかな」

もし殺されるとしたら痛いのだろうか。右頬にできたこの傷の時よりも痛いかもしれない。痛いだろうな……苦しいだろうし血もいっぱい出るだろう。血って変に温かいからたくさん出るとなんか気持ち悪い。

私が死んでも悲しむ人は誰もいない。私も私が死んだとしても"まだしてない事あるのにな……"としか思わないだろうし思えないだろう。


「ってもうパスタ出来てるし……」

レンジの音にすら気づけないほどに、こんなどうでもいい事に思考を巡らせていたらしい。

熱々になった容器の端を爪で持ちながら机に置いて食事を始める。

今日は別に何も用事ないから夜までゆっくりしてようかな。




「ふぁあ……」

ふやけた声で欠伸をしながら真っ暗な部屋に電気をつける。

机に置かれた鞄から飛び出たノートを出して、今日出された課題のことを思い出す。


「課題の提出期限って明日……まぁ、やんなくていいかな」

そういえば切らしていたものがあったのを思い出す。


「コンビニ行こっと」

フードを深く被りマスクをして家を出る。

夜の風はまだ秋の気配は残っているが冬の匂いも感じられる。

夏はフードしてると有り得ないくらい暑いし、秋か冬が一番過ごしやすいから好きだ。


「さーせー」

時刻は深夜二時。やる気のないコンビニ店員は今日も一人で死んだ魚の目をしながらレジに立っている。


「六十八番ください」


「画面タッチおねしゃす」


「袋入りません」


「お会計が六百三十円になりゃす」


「千円で」


「お釣りが三百七十円すね〜ありゃした〜」

あまりにもこの時間帯の人間の脳みそは働いていなさすぎないだろうか?

やる気がないとか覇気がないとかの次元じゃない気がする。

コンビニを出てまっすぐ帰っていると、ふと視界に違和感を覚える。


「人影……?」

電灯だけが照らす道に座り込む人影が一つ。

酔っ払いだろうとと思い気にせず歩いていくと、なんの事はない澄まし顔の青年が座っていた。


「あれ?お嬢さんこんな夜中に一人でどーしたのよ」

男は浮ついた中身のない声で私に問う。


「……買い物」


「へぇ。……ねぇ俺にも一本ちょーだいよ。ライターはあるからさ」


「……なんで買ったものがわかったの?」


「鼻がいーんだよね。生まれつき」


「外では誰が見てるかわかんないし家来てよ」


「いーのぉ? こんな怪しい男家に入れて。無理やり押し倒されたら逃げれないと思うけど?」


「そん時はそん時」


「あっそぉ。じゃあお邪魔するわー」

なんで私はこんな奴を家に招いているのだろう。

よくわかんないけどなんか……なんだろう……

まぁ誘ったものは仕方ない。どうせ私がどうなろうと悲しむ人なんかいないのだから。




「適当に座っていいから」


「きれーな部屋だねぇ。あ、酒ある? 出来れば強いやつがいーな」

なんの躊躇もなく男は座り込んで酒を要求してくる。

多分こいつには普通の人にはあるはずの倫理やら道徳やら当たり前がないのだろう。


「ない」


「まじかー酒も飲まずに生きてんだ」


「まだ未成年こどもだよ?」


「俺なんかその歳ん時は飲み歩いてたけどなぁ」

そう言うと男は欠伸をしながら立ち上がり私の横に座った。

何も考えていないような、全てを知っているようなそんな顔でこちらを見つめる。


「なに襲うの?」


「俺そんな趣味ねーし。ほらちょーだいよ、ライター貸そっか?」


「……はい、火ぃつけて」

ボシュ……っとライターから火が揺れる。

先端についた火を男が咥えた"それ"に移すとたちまち部屋が燻ってくる。


「……ふぅ。やっぱ人の金で吸うのが一番美味ぇや」


「…………」

言葉もなく視線も交えず、緩やかに苦しみも感じず死に向かっていく。

ジリジリと灰になっていくそれはまさに自分の命と言ってもいいだろう。

初めはなんとなく悪くなろうと始めたものだが今では手放せなくなっている。

根底には"誰か私を案じてほしい"なんてくだらない欲求があったのだろう、まったくふざけた人間だ。

くだらない欲求にくだらない理由をつけて正当化しようなんて、笑いものにもなれやしない。

いったい私はどこに向かいたいのだろうな。


「名前はなんつーのよ」

燻された沈黙を破ったのは男は、空っぽな声でそう言った。


薙達 咲満なぎたち さくま……」


「へー男みてーな名前してんね」


「よく言われる」


「咲満か‥…それじゃあなんかして欲しいことってある?」

寿命が来たそれを皿に投げ入れて男は立ち上がりそう言った。

溢れそうなほど色々なものを含んだ笑顔がなんとも恐ろしい。


「なんで急に」


「一本くれた恩返し。誰か殺して欲しい奴とかいる?」


「……そうだろうとは思ってたけど」


「気づいてんなら話がはえーわ」

やはりこの男は巷で噂の通り魔だった。

気づいていたとも。気づいていながら私はこの男を家に招いたのだ。

いつ刺されるかわからない、いつ嬲られるかわからないそんな狂人と共に過ごしていた。

でもそれでもいいと思っていた。殺されるのならそれでいいと心のどこかで思っていたのかもしれない。


「でどーすのよ」


「……考えさせて」


「いーよ」

……自分でもよくわからない。

私はこの十数年、蔑まれ疎まれてきた。

でも生きた……自殺なんて考えたことも無い。

味わえなかった普通をいつか味わうために、その日が来るまで死にはしないと決めていた。

それでも死にたいと思った事は幾度とある。

普通など望むべくもなく、同情も憐憫も私にとっては"普通の人間"の自慰行為じこまんぞくにしか思えなかった。

捻くれて捻じ曲がったどうしようもないこんな私を一番嫌っているのは私だ。


「望むこと……」


「ん」

それでも私だって人間だ。私だって自分を大切にしたいと思ってもいいじゃないか。

私を産んだ母親も、私を傷物にした父親も、その傷を嘲る他人様も、その全てを知っていてなお"私が悪い"なんて自分を元凶と思えるほど器の大きい人間じゃない。

愛されてこなかった、愛されようとも思わなかったこんな私のことを、私ぐらいは愛してあげたいと思うことくらいは許されるべきだろう。

好き勝手……どうせならなってやろうじゃないか。自己中に我儘に傲慢に悪辣に、自分だけの人生しあわせのために、他人の人生しあわせを踏み躙る人間に。


「アンタ警察に追われてるんでしょ」


「ん? まぁそーだけど」


「なら私の家に居ていいよ。お金もあるしアンタのことを匿ってあげる」


「へぇ……驚いたな」

通りすがりの人間を殺してるような奴に驚いたと言われる日が来るとは思わなかった。


「その代わり私が殺して欲しい奴、全員殺してくれる?」


「別に良いけどお前も共犯……まーいっか」


「じゃあ明日早速お願いね」


「おー任せな」

開けた窓から吹いた風がカーテンを揺らす。

それはなんとも気持ちのいい風だった。




「んー! んー!!」


「ごめんねーおじょーちゃん。一宿一飯の恩ってやつでさ。俺の事、地獄でちょっぴり待っててよ」

振り上げられたナイフには、まるで人の感情というものが無いように見える。

無機質でただひたすらに冷たく残酷で、理不尽極まりない運命ぐうぜん


「ふぅーっと。これでいーの?」


「うん……ホントにゴミになっちゃったね」

目の前に転がるお人形さんを嘲るようにそう言った。

ごめんね、アンタは傷物にすら成れなかったね。

ねぇどんな気分? 死ぬってどんな気持ちなの? 死ねって言ったその口で死んだ感想教えてみてよ。いつもみたいにさ、耳元で飛ぶ蚊みたいに鬱陶しくてうるさい声で、長ったらしい喘ぎ声ひとりごとで、私に説明してみ​────


「うげ……汚ねーって……」

その一言でふと我に返る。

足元に目を向けるとローファーの先は赤黒く染まり、足を少し動かすとその度になにかが足裏でぷつん……と潰れる感覚がある。


「うん、ごめん。今、行くから」


「もう今日はおしまーい。明日は誰と遊べるかな〜」

拝啓昔の私へ。

ごめんね、私は醜いアヒルの子みたいには成れなかったよ。

でもね今の私は、今までのどんな私より、幸せで満ちてて、人生を楽しめてるよ。

この先どうなるかなんて分かりきってるけどさ、今まで知らなかった人生しあわせを私は私のために噛み締めようと思う。

私は成るべくしてこう成った。だから後悔もなにもない、地獄に堕ちても私は私だけを愛せるから。

あーほんと! 人生ってどうなるかわかんない!


"醜いアヒルのままで、こんなに幸せになれるなんて、夢にも思わなかった!"

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