物語と割り切って主人公の受難として読むのもありですが、私はこれが人間の生きる意味への問いかけの姿と読んでもいいと思いました。
途方もない世界にただ一人。
生きるために食らってきたもの。
自ら自分を殺すこと。
弔うとは何か。
出会いという光。
自分とは何か。
幸福とは何か。
生きるとは何か。
罪と罰とは何か。
私は何者なのか……
そういうあがきや、掴みかけてはまたすり抜けていくもどかしさを経験した人には共感できることが多いのではないでしょうか。
また、世界の外側に他者がいて、しかも生殺与奪を握られているこの状況。その緊張感が、逆に読み手に対し他人事でないと思わせるものがありました。
カミュの著作で有名になったシーシュポスの神話は「終わりなき永遠の罰」を描いている。
神をだました罪でとらえられたシーシュポスは大きな岩を山頂に運ぶ作業を強いられる。
やっとの思いで岩を運ぶと、山頂に着いた途端岩は転がり落ちる。
シーシュポスは再び岩を山頂に運ぶ。しかし岩はまた落ちる。
この果てしない徒労が永遠に続く……
Scape Goatも永遠に終わらない罰を描いた作品だ。
シーシュポスの神話との違いは男がどんな罪を冒したのかわからないこと、そして固有名詞が一切ない世界であることである。
男の名前もわからない。
白い獣はユニコーンであろうが、その名前も出てこない。
女の名前もわからない。
ただ青(空)、白(砂漠)、赤(血)の色彩があるだけだ。
フランス革命で生まれたフランスの国旗も青・白・赤の三色旗である。
三色旗が象徴するのが自由であるなら、本作で描かれるのは自由の地獄であろうか。
女のエピソードがとくに印象深い。
男は必死に女の名前を思い出そうとするが、できない。
名前は象徴以上のもので、名前がない限り思い出もない。
名前がないこともこの世界の罰なのだ。
『Scape Goat』はリアルな痛みを伴う現代の神話といえると思います。
ぜひご一読をおすすめします。
傑作です。