【第3話 入寮】

 午後の陽射しが寮の中庭に差し込んでいた。石造りの回廊に影が伸び、若葉がそよぐ風に揺れている。新入生たちが講堂での振り分け結果を胸に、思い思いの荷物を抱えながら、指定された寮棟へと歩いていた。




 学院の敷地は広大で、寮はその東側に位置している。用途や階級、目的別にいくつかの棟に分かれており、アマネとシオンが割り当てられたのは、一般クラス生用の貴族寮の一区画だった。貴族と従者が対で入ることを想定された設計で、中央廊下を挟んで左右に並ぶ部屋には、適度な距離感と一定の配慮が施されていた。




 アマネの部屋には、木製の調度が整えられ、ベッドと机、書棚が陽の入る窓の近くに配置されていた。室内はまだ新しさが残り、わずかにインクと石鹸の香りが混ざっている。隣接する小部屋はシオン用で、簡素ながら清潔なベッドと机が備えられていた。




 荷解きをしながらアマネは小さく呟いた。


「……空気が、静かですね」




 シオンはその言葉に顔を上げることなく、黙々と鞄から衣類や文具を取り出して整えていた。その静かな動作の端々に、どこか緊張と訓練の跡が見て取れる。




 ふと、壁の向こうから軽い物音と、にぎやかな声が聞こえてきた。誰かが何かを落としたのだろうか。アマネは少しだけ目を細め、その気配に耳を澄ませた。







 左隣の部屋には、やや大柄な少年がいた。名をトーヤという。




 上着を脱いで腕まくりし、部屋中に散らばった道具の山を前に奮闘していた。丸めた布や金属板、細いパイプのような器具……そのいくつかには魔力を感じさせる脈動があり、どうやら試作中の魔導具らしかった。




「あ、やっぱりこの床、固すぎるな。魔力の反発テストには向かないかも……」




 彼はひとりごとのように言いながら、ふと気配に気づいたのか、顔を出してきた。




「お前がアマネ? よろしくな! 俺、トーヤ。運動系の魔法とか研究しててさ。戦うのとかは別に興味ないんだけど、“跳ぶ”とか“走る”って、すごく面白いと思うんだよな」




 明るい笑顔と、どこか子どものような好奇心に満ちた口調。


 トーヤの話は軽快だったが、その内容には独自の哲学があった。魔法を“競技”として昇華させることへの熱意。接触のない格闘術や身体強化との融合実験の構想。それらは彼の飾らぬ性格と合わさって、アマネに不思議と居心地の良さを感じさせた。




「そのうち、いっしょに試してみようぜ。静かそうなやつって、意外とバランス感覚いいんだよ」




 アマネは目を丸くし、それから笑った。


「それ、褒めてる?」




「もちろん」




 言葉のキャッチボールが自然にできることに、アマネは小さな安堵を覚えた。







 一方、右隣の部屋は静まり返っていた。




 何度かノックしても反応はなく、アマネがあきらめかけた頃、ようやく扉がわずかに開いた。




 そこから顔を覗かせたのは、痩せた体躯の少年だった。髪は柔らかそうな淡い栗色で、視線は足元をさまよっている。




「……こんにちは」




 小さな声。怯えたような目。




 アマネはゆっくりと頷き、やわらかく返した。




「こんにちは。ぼくはアマネ。となりの部屋に来たばかり」




 少年は一瞬きょとんとして、それから名乗った。


「……リューエルです」




 話を聞くうちに、彼が準王侯の家系であること、そして自分の才覚に劣等感を持っていることが分かってきた。




「……でも、僕、あんまり得意じゃなくて……魔法も、筆記も、普通。家ではそれが……恥ずかしいって言われてて」




 リューエルの声は小さく震えていた。




 アマネは少し黙ってから、静かに言った。


「普通って、悪いことじゃないと思うよ」




 それは、アマネ自身がいつか母に言われた言葉に似ていた。




 リューエルは驚いたように目を上げて、それからほんの少しだけ、口元を緩めた。


「……ありがとう」




 その言葉は、とても静かだったけれど、確かに届いた気がした。







 その夜。


 部屋の灯りを落とし、アマネはベッドに身を沈めていた。




 隣ではシオンが、机の上に整理された道具の最終確認をしていた。従者としての習慣なのだろう。その姿が部屋の片隅でほんのりと光に照らされている。




「……どう思った?」




 アマネが問いかける。




 しばらくの沈黙ののち、シオンは手を止めて答えた。




「……あの隣の二人、たぶん善い人たちです」




 それは短い言葉だったが、アマネの中にも、同じ感触が残っていた。




 出会いの一日。


 始まったばかりの学院生活。




 アマネはそっと目を閉じた。


 新しい生活は、静かに、だが確実に動き出していた。

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