【第2話 振り分け試験】


 魔法学院は、王都における名門の一つだ。


 とはいえ、入学そのものに試験はない。貴族の子弟であれば、家の承認があれば誰でも入れる。



 だが、入ってからの道は分かれる。


 学院では、素養、血筋、将来性――それらの総合的な評価により、学ぶ内容が大きく異なる。初日に行われる「振り分け試験」は、単なる実力測定ではなく、将来における進路を決める意味合いすらあった。



 高天井の講堂に集められた新入生たちは、家紋の刺繍が入った制服を着て静かに席に並んでいた。重厚な扉の向こうでは、魔力測定の術式が脈打ち、試験場の中央では青白い結晶石が脈動している。



 アマネは、自分の手袋を脱ぎながら、無言でその空気を味わっていた。


 期待、緊張、誇り、不安――いくつもの感情がこの場には渦巻いている。だが、彼はただ静かだった。



 試験は、筆記による座学の確認から始まり、続いて実技に入る。


 実技とはいえ、形式は簡単だ。学院指定の宝石に魔力を流し、定められた呪文を唱えるだけ。



 だが、そこに現れる炎の色、揺らぎ、発現までの遅延、持続力、魔力の乱れの有無――あらゆる情報が観測され、記録される。それらの数値が、評価として刻まれるのだ。



 順番が近づいてきた。


 アマネの胸の奥に、ふとある記憶が浮かぶ。



 ──あの火灯。



 まだ学院に入る前、ひとけのない教室で、自分一人で宝石に魔力を流したときに灯った、静かで淡い、青白い火。


 誰にも見られていない空間で、自分だけが見た光。



 それを、アマネは母にだけ見せた。


 夕暮れの庭、石畳に腰かけたまま、そっと手をかざして灯した青の火は、母の頬を淡く照らした。



 そのとき、母は目を見開き、そしてしばらく黙った後、穏やかに微笑んだ。



「……すごいわ、アマネ。でも、これを人前でやってはだめ。あなたが“何者なのか”を、選ぶ権利を持ち続けなさい」



 普段は優しく、何事にも寛容な母が、初めて「慎重に選びなさい」と強く言ったその言葉は、アマネの心に深く残った。



 父でも兄でもなく、あの母がそう言った。


 アマネは、自分の魔法を“手札”として保つべきだと理解していた。



 そして今。



 試験の場に立ったアマネは、用意された透明な宝石に手を伸ばす。



「【火灯ヒトモシ】」



 魔力を丁寧に、けれど意図的に抑えて流す。


 揺らぎを残し、出力を一定以下に絞り、意図的に小さな誤差を混ぜ込む。



 灯った炎は、ごく平均的なものだった。


 色味、反応時間、持続力。どれも、目立つほどでもなければ、劣るほどでもない。



 審査官たちは数度うなずき、記録紙に何かを書き留めた。


 彼の試験は、それだけで終わった。





 アマネのあとに控えていたのは、従者の少年――シオンだった。



 黒い制服、静かな眼差し、無言の立ち居振る舞い。


 普段は主人の背後に影のように付き従うその姿は、この日、まるで別人のようだった。



 試験官が名を呼ぶと、シオンは一礼し、所定の位置へ歩を進めた。


 動きに淀みはない。礼儀の中に、研ぎ澄まされた刃のような均衡がある。



 宝石に手を触れる。


 魔力が流れた瞬間、透明な結晶に緻密な幾何学模様が浮かび上がった。


 呪文はただ一言。



「【火灯】」



 その声は小さいのに、講堂にいる誰もが、その直後に現れた火に息をのんだ。




 炎は真っすぐに立ち上がり、紅蓮と金が層をなして揺れる。


 制御、持続、精度、すべてが「完成された技術」として現れていた。




「……これは、“一年に一人”の資質だ。いや、数年に一度の“逸材”かもしれない」



 ざわつく声が走る。


 だが、当の本人は冷静だった。


 試験を終え、再び礼をし、口を開いた。



「従者枠での志願です。希望先は、アマネ様と同じ区分でお願いします」



 審査官たちは目を見開き、声を潜めた。



「……本気か? 君ほどの素質があれば、上級特待でも十分通用する」



「従者の任を忘れるつもりはありません」



 そう返したシオンの目には、迷いも誇りもなかった。


 ただ、自分の在るべき場所を知っている人間の、静かな決意があった。





 その日の午後、学院の研究塔の上層。


 光のよく入る回廊のひとつで、制服を着た少女が外を眺めていた。



 風に揺れる青銀の短髪。鋭くも美しい横顔。



 ルーセ・アスティナ。


 学院上級課程、二年。名門アスティナ家の嫡女であり、精霊魔法の基礎と応用において極めて高い評価を受けている。彼女の魔法は“理想値に最も近い”と称され、講師陣からも一目置かれる存在だった。



 けれど、それを鼻にかけるような素振りはない。ただし、彼女自身の目は常に冷静で、他者を測る物差しを持っている。それゆえに、平均に埋もれる者や、自らの力を曇らせる者に対して、時に厳しい印象を与える。



 回廊の手すりにもたれながら、遠くの庭で訓練を終えた下級生たちの姿を見下ろしていた。


 その眼差しは静かだが、どこか探るようでもあり、選別しようとする観察者のそれだった。


 精霊魔法の基礎・応用を最高水準で修め、エラゼミの副筆頭でもある。



 彼女は、階下を歩く下級生たちの話を、風に乗って耳にした。



「……すごかったよ。シオンって子、まるで精霊に祝福されてるみたいだった」


「でもさ、あの子、一般クラスを希望したって……もったいないよな」




 その言葉に、ルーセはふっと眉をひそめた。




「……才覚を、無駄にする人は嫌い」




 その言葉は風に消え、少女の背中だけが静かに、奥の階段へと消えていった。

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