人魚との独白
ルイボス
これもいつも通り
いつも通りに仕事をこなした今日。肌寒くなったり、暖かい時もある。上着に困る季節。そんな思いを一年前もした気がする、と宮藤は感じる。一年たったと感慨深くなり、一年間よくやったと自分を褒めたい。
宮藤は、帰り道に寄ったスーパーの袋をぷらぷらと下げながら、階段を登る。三階建てのアパート最上階を選んだせいで、地味に足腰にくる。今度引越しする時は、エレベーター付きの物件にする、と毎日思っていた。
宮藤は、靴が散らばらない様に脱ぎ、部屋に入る。電気をつけ、エコバックから買った食材を冷蔵庫に投げ入れる。
一度座ったら二度と立ち上がれない為、気が抜けない。
「おかえり」
リビングの方から声がする。
返事はせずに、お風呂を沸かすボタンを押す。流れるように、ざっと手洗いうがいをする。コップに水を入れて、宮藤はリビングに入った。
「返事してよ」
「ただいま」
「挨拶くらいしなよ」
「ペットにもか」
「ペットこそじゃない」
「ペットじゃなくて居候がいいなー」と呑気な声が頭に響く。
「お疲れ、どうだった」
宮藤は、ようやく椅子に座り、お茶をごくごくと流し込む。接客業は喉が渇く。それでいて、気軽に飲めない。本当、嫌な仕事に就いた、と後ろに寄りかかる。
サイドテーブルに目を向けると、金魚鉢の中でタコが、二本の足を組んでおもちゃのソファーに座っていた。他の足は髪の様に広がっている。タコの人魚はいつも優雅だな、とこれも宮藤は毎日思っていた。
「ぼちぼちだよ。客に一々反応するのには、もう疲れた」
「ハハ、成長したじゃないか。前なんて帰ってきて早々、愚痴塗れだったというのに」
「ほっとけ」
宮藤は、気にしている所を突かれ、誤魔化すように背伸びをした。ゴキゴキと音がし、腰が痛み出す。整骨院に行くべきか悩むが、お金の事を思うと足が遠のく。いつものことだ。
「あー、でも」
「ん?」
「直接言われた訳じゃないんだけど」
仕事が終わるまで、時々モヤついていた事を吐き出す。
「俺の仕事はさ、客から嫌われやすいじゃん」
「鉄道のチケット確認が?」
「嫌われやすいつーか。面倒に思われやすいというか」
この仕事をするまで、思ってもいなかった。ただただ、見せるだけ。手荷物検査を受けるだけを嫌がる人が、中々にいることを。宮藤は考えたことなかった。
島と本島を繋ぐ大切な手段。鉄道。
あまり知られていないこの仙洞沼島だが、SNSの発達により、『生きた秘境』や幻想的な場所として、有名になり、ここ最近鉄道が走るようになった。
正直何処にでもありそう、というのは彼の談。
飛行機でも良かったが、島に鉄道が無く、島民の願いの元海上に線路が通り走っている。
環境や治安を守る為、手荷物検査をするように決められている。宮藤はそこで、警備員のような仕事をしていた。
「こっちもマニュアルがあるから、不備があったら客に手続きお願いすんのさ。色々と、勝手に決められないから」
「当たり前だな」
「それを『融通聞いてよ』とか、確認終わったら『検査めんどくせー』とか。それがなんだか、イラッときちゃって」
「なぜ?」
そう問われ、宮藤はその時の事を思い出す。
「……勉強の中で、こんな事件があったからここまでする、ってのを知っているからイラついたと思う」
「軽はずみに聞こえたんだ」
彼に言われ、宮藤はこくりと頷く。ふぅと軽いため息が出た。呼吸が軽くなった気がした。
「真面目だね」
「うるさい」
「褒めているよ」
「……うるさい」
喋りすぎたとお茶を飲む。少しぬるい。氷を入れれば良かったと、宮藤は後悔した。彼も一呼吸と言わんばかりに、ティーカップを傾ける。タコなのに、なぜか様になっているのが不思議だ、と宮藤は思う。今は、人間の事を気持ち悪いと思う事が増えた。
「……テロとか事故とか起きるよりマシだろうに」
「皆、関係ないと思っているんだろ」
宮藤のポツリと呟いた声に、彼は反応する。
「9・11や地下鉄サリン事件もさ……そういや、今日の三十年前じゃない?」
「え」
「地下鉄サリン」
そう言われて宮藤は、カレンダーを見る。三月二十日。そうだったか。そうなのか。
「そもそも事件の日付を知らなかったかな」
「……」
「図星か」
その通りだ。まだ生まれていない年。授業で聞いた事がある、何かの話題で聞いた事がある。その程度の認識だった。
「君だって、今そう言われたから、事件を少し実感している」
「……」
「三十年前のこの日たくさんの人が死んだ」
「電車だけどね」
いや、地下鉄か。と彼が言った後、お風呂が沸いた音がする。
「お風呂だね。行ってらっしゃい」
「うん」
宮藤のモヤモヤは消えていたが、代わりに、心に少しショックを抱えることになった。
早々に風呂出てしまった。風呂前の会話のせいで、ゆっくりと入れなかった。宮藤は髪を拭きながら、買ってきた、ざく切りキャベツともやしを冷蔵庫から取り出した。いつもうるさい彼は、今に限って何も言わず、部屋は静かだった。
静けさに耐えられず、宮藤は中古のテレビをつける。しかし、タイミングが悪かった。
野菜を洗い、フライパンに敷き詰める。
「豚バラ…」
冷蔵庫から出し忘れた豚バラを上に敷き詰め、料理酒をひと回し入れる。蓋をして、適当に蒸す。
宮藤は、冷凍ご飯を電子レンジに入れ、スイッチを入れる。コップに氷と水を入れ、リビングに戻る。
テレビを見つめ直す。丁度事件が起きた時の映像らしい。イメージと違って、かなりの野次馬もいたらしい。もっと、こう救急隊や警察の人しかいないと思っていた。
スーツのおじさんや私服の人が、見ようと体を動かしている所がチラチラ映る。
本当に日常の中、起きた事件。誰もたくさんの死人が、出ているとは思わなかった、思っていなかった事件。宮藤は、今歴史を見ている。そう考える。
「死ぬ時なんて、誰もわかんないけどさ」
「……そりゃね」
うるさい彼がやっと喋る。この部屋にようやく、いつもの音が入った、と宮藤は思う。
「でもいつか、これも単語の一つになるだろうね」
「単語?」
「関ヶ原の戦いだって、日露戦争だって多くの人が死んだよ。でも今生きる人は、勉強の一部、試験に出るから覚えている。そうだろう?」
「……」
考えた事なかった。政治や情勢は違えど、
「当時は、嘆いたり、泣いたり、痛がったり。当然居ただろね。でももういない。当然さ、実感がないからね」
「……」
「人の危機管理なんてそんなものさ。惨めに思う必要ないよ」
「……うるさい」
「ふふ、その調子」
歴史の授業で一々泣いてはキリがない。そうなのだがそう言われてしまうと、学生時代もっと真面目に受けたかった、と宮藤の中で後悔が過ぎる。それを見抜く様に、彼はフフフフフ、と不気味に笑う。宮藤の干渉に浸る顔が気に入ったようだ。
「出来事を忘れないように、なんていうけど、悲しみ嘆いた人が居た事も、忘れちゃいけないのにね」
「歴史は中途半端か」
「そうだね」
彼の言葉を宮藤は受け止めていると、テレビはいつの間にか専門家が喋っていた。
きっとこの人の話している内容も中途半端な所があるのだろう。それが見えない様に、話すのが上手なだけで。聞いてもいないのに、決めつけているが。
それもきっと悪い事じゃない。僕らよりもきっと、この事件で心を痛めているはずだから。
「泣いたりするのは、今生きている人の特権さ」
「いつの間にか、単語になってしまうから」
「そう」
人との付き合いは苦手だ。すぐ相手の言葉に、翻弄されてしまう。それで今まで、弱虫、馬鹿正直と言われてきた。今もそれは、変わらない。実際見たわけじゃないのに、胸がすぐキューッと苦しくなる。
宮藤は胸を押さえて、テレビを消す。静寂がまた訪れるが、先ほどとは違い、彼が喋る。
「言っただろう。特権だと。存分に心を痛めておけ」
「ん」
「それより、料理は大丈夫か?火をかけていた気がするが」
その言葉に反応し、宮藤は慌ててキッチンへ戻る。状態を確認する前に、スイッチを切る。IHで良かったと胸を撫で下ろす。電子レンジはとっくに動いておらず、中に少し冷めたご飯があるだけだった。
鍋敷きをテーブルに敷き、フライパンごと置く。一人暮らしは、これが楽だ。ご飯とポン酢を持ってきて、椅子に座る。
「今日のメニューは?」
「もやしとキャベツと豚の酒蒸し」
「いいね」
いただきます、と声に出す。後出しで手を合わせる。いつもはしていないが、なんだかする気分だった。
「いつもするものだ。今度から、そうしなさい」
「うるさい。親か」
大口を開けて、頬張る。
蒸しすぎたと思っていたが、肉はとてもほかほかで、柔らかかった。キャベツともやしも柔らかく、とても甘かった。
今もいつも通りの日常を、過ごしている。
人魚との独白 ルイボス @rooibos01
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