新しい土地で苦労と支え
大学を卒業して、2年が経った。
パソコンの前に座ったさくらは、ため息をつく。
(また、先生から返事がない……)
チャット画面には、神奈月先生と書かれている。
『締切近いので、原稿お願いします』
『はい、了解しました。追加で書きたいシーンがあるので、もう少しお時間いただいてもよろしいですか?』
『もちろんです。どれくらいかかりますか?』
『もう半分仕上がっているので、後1時間ほどで書き上がります』
『承知しました。原稿上がったら、連絡お願いします』
このやりとりをしたのが、およそ40分前。
もうすぐ、約束の1時間だ。
(連絡が来ないとなると、まだ書いてるのかな)
「水無月さん、そろそろ閉めるよ」
「はい!今出ます」
スマホの連絡先を開いて、部屋を出る。
エレベーターに乗り込んだところで、手の中でそれが振動した。
『原稿上がりました。どこに持っていけばいいですか?』
彼女からメールが届いた時、エレベーターが玄関に付いていたので、会社を出て左右を見た。
(どこか、入れそうなお店…先に、先生の居場所を聞かないと)
『先生は、どちらにいらっしゃいますか?』
『水無月さんの会社近くにある、書店にいます』
スマホから顔を上げて、書店を探す。
道路を渡ってすぐの、左側にそれはあった。
『そちらに向かいますね。先生、夕食はもう済まされましたか?』
『まだです。最近は、何も食べていなくて』
『それでは夕食、ご一緒しませんか?』
信号が青に変わったタイミングで反対側に渡り、書店の前に着く。
『喜んで』
ちょうどそこに、メールと一緒に神奈月が書店から出てきたところだった。
手に茶封筒を持っている。
「お疲れ様です、香織先生」
「さくらちゃんも、お疲れ様。ご飯、どこで食べましょうか?」
「私はどこでも。最近は簡易的なものばかり食べていたので」
「あら、ちゃんと食べないとダメよ」
「先生も」
2人で顔を見合わせて笑う。
彼女から原稿を受け取って、並んで歩き出した。
「こんな所で、良かったかしら?」
「いいんですよ、私、パスタ食べたかったので」
そう言ってニコリと笑うと、香織は嬉しそうに頬を緩めた。
彼女がメニュー表を見ている間に、スマホを見ると結城から通知が来ていた。
『仕事、お疲れ様。今日は、食べて帰る?』
『ありがとう。うん、今日は先生と食べて帰るよ。今からだと、遅くなるかも』
『大丈夫だよ。迎えに行こうか?最近、変質者増えてるみたいだし』
『お願いします』
『おう、ご飯終わったら、連絡して。ちゃんと明るい場所で待ってろよ』
結城の優しい気遣いに、頬が緩んでいくのを感じた。
(あ、結梨からも来てる)
4つ年下の妹、結梨から連絡が来ていた。
彼女は今、文系の大学に通いながら小説を書いている。
趣味で続けていると言っていたが、ここ3週間ほどでサイトの運営者からレビューが入ったり、スカウトも受けていると聞いた。
小説家デビューする日も近いだろう。
(いつか、結梨の担当してみたいな)
そのためには、今の会社で経験を積む必要があった。
(だって、実際に経験していれば、私が会社を立ち上げたとして運営側で結梨をサポートできるんだもの)
叶えたい。結梨をサポートするために。
応援してくれる、結城のために。
さくらと一緒に東京で頑張ってくれている結城に何かお返しがしたかった。
(仕事が忙しくて予定が合わないんだよね)
スマホをテーブルに置いたところで、目の前にパスタが置かれた。
「お待たせしまた、クリームパスタです」
「ありがとうございます」
半ばボンヤリとしながら、お礼を言うと香織の前にもパスタが置いてあることに気づいた。
「あれ、先生、注文」
「ええ。あなた、何か考え込んでいる様子だったから。それに、先に決めていたんでしょ?」
香織が悪戯っぽく笑ってさくらの隣を指差す。
そこには開いたままのメニュー表が置かれていた。
「あ……私、開けたまま。ありがとうございます」
「いいのよ」
フォークにパスタを巻き付けて、ひと口食べる。
数時間までの、疲れが吹き飛んだ気がした。
「ありがとう、結城。迎えに来てくれて」
「さくらのためなら、どこにだって行くよ。今日も、仕事お疲れ様。はい、コーヒー」
香織と別れた後、結城の運転する車で家に帰る。
ほろ苦いコーヒーが、疲れた体に染み渡る。
(………坂田先生から、連絡が来ない…)
坂田弘文。さくらの担当小説家だ。
彼は、短編集をメインで書く作家なので締め切りがもうすぐなのだが連絡がない。
(私から、連絡したほうがいいのかな?……だけど、先生は体が弱かったはず。入院されてたら、流石にひと言くらい、あるわよね)
弘文のメールを開くも、そこには何も来ていなかった。
もしかして、どこかで倒れているのだろうか。
弘文は、奥さんと2人暮らしだと聞いている。
もし倒れていたら、彼女が看病しているはずだ。
(うーん……メールを送ろうかな)
そんなことを考えている間に、家に着いた。
電話帳を表示したまま、玄関を上ったためにリビングに入った時には、呼び出し音が響いていた。
「あれ?さくら、電話鳴ってるよ?」
「あ!間違えてかけちゃった!…まぁ、いいわ。今日こそ、ハッキリさせないと」
「はい。水無月さん、どうなさいました?」
机に置いていたスマホから呼び出し音が途切れて、声が流れ出してきた。
「弘文先生、お疲れ様です。体調のほうはいかがですか?」
「最近は大分いいですよ。2日ほど前に、寝込んでいましたが今は執筆をしていました」
「それなら、良かったです。来週の火曜日が締め切りですが、間に合いますか?」
「間に合うさ。もう、1部完成しているからね。後、もう1部書くだけだ。まぁ、後に書くものは半分仕上がっているからね。来週の月曜日までには上がるよ」
「本当ですか!?ありがとうございます。では2部出来上がったら、私に連絡ください。お伺いします」
「わかったよ。ごめんね、手間をかけさせてしまって、必ず仕上げるからね」
「はい、はい、待ってます。失礼します」
電話を終えて、スマホを放り出した。
結城が労るように、肩を叩いてくれる。
(仕事で疲れた時も、そばにいてくれる)
すぐそばで、支えてくれる。癒してくれる。
好きでいてくれる。幸せをくれる。
優しさをくれる。希望をくれる。
結城には感謝してもしきれない。
東京に行くと言いながら、一緒にいたいと思うわがままを聞いてくれた。
「結梨……ありがとう…本当に、ありがとう。私のわがままを聞いてくれて、一緒に東京に来てくれて…ありがとう。大好き……大好きだよ、結城。これからも…よろしくね」
結城に抱きついて、言う。
涙が溢れ出して止まらなかった。
東京に出てきて、仕事に慣れなくて大変だと帰りたいと思ったことは何度もある。
(だけどー、)
結城が大丈夫と言ってくれるから頑張れる。
これから先、どんなことがあっても結城とならー乗り越えていけると思った。
「俺も、大好きだよ。東京に来たことは、後悔してはい。さくらのわがままだと思ってもいない。俺も、君と一緒にいたいから、そう思ったから東京に来たんだよ。…この先も、ずっと」
結城の言葉に、暖かな涙が溢れて止まらない。
(幸せだなぁ)
本当に、幸せだと思う。
こんなに愛されて、いいのだろうか。
さくらをこんなにも思ってくれるのは、きっと結城以外にいないだろう。
どんな時も支えてくれる結城と出会えたことは奇跡だと思う。
ーこれからも、よろしくね。
結城を強く抱きしめながら誓う。
彼の幸せは、自分が作っていきたいと。
そして、彼が俯いた時は支えてあげたいと。
(まだまだ非力だけど)
大切な人のために、頑張るのだ。
怖がりな花に贈る勇気 冬雫 @Aknya
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