桜も、もう終わりだね

波野まにま

第1話 桜も、もう終わりだね

 柔らかな風に乗って、薄桃色の花片がふたつ、みっつ、ひらひらと降りてくる。

 雨上がりの黒く滲むアスファルトに集まった花片が白を放っている。

「桜も、もう終わりだね」

「入学式に桜が満開なら良かったのにね」

「こっちは散っちゃったけど、東京はまだ咲いているんじゃない?桜」

「東京の方が咲くのも散るのも早いんだよ」

 シュウはへええと目を丸くする。彼が引っ張る私のスーツケースはアスファルトになにか恨みでもあるようにガタゴロ耳障りな騒音を立てて、早朝の誰もいない住宅街に響き渡っている。

「これさ、おまえ修学旅行に持ってきてただろ、水色のスーツケース。目立っていたから覚えているんだ」

「よく覚えてるなあ。さてはシュウ、その時から私に惚れていたな?」

 シュウはいつものように大きな口を開けてあははと笑う。私より頭一つ高い、その横顔を覗き見る。シュウは高三の夏休みまで野球部の練習に参加していたから、名残りの日焼けで褐色だ。私の顔色なんて、色白を通り越して青白いのだから、シュウの健康的な肌色やよく動く黒々とした瞳を見つめていると時々ため息が出てくる。

 駅まではバスを使うか、自転車。でも今日はどうしてもシュウと歩いて駅に行きたかった。私はこれから電車を乗り継いで、新幹線の止まる駅へ行く。それから東京まで3時間。4月から暮らすアパートにはそこから1時間の長旅になる。

 朝焼けの中をガタゴロ歩く。

「見送り、おれだけでよかったの?」

 私は頷いた。

 上京に最後まで反対していた両親の見送りも断った。お母さんは怒り声のまま私の背中に「気をつけなさい」とだけ言った。今日、この日に東京に行くことを知らせたのはシュウだけだった。

 とはいえ、見送りに来てほしい程、仲の良い友達もいなかったのだけど。


 暗いだの良い子ぶってるだの言われて、学校の中で浮いていた私。

 シュウは周りの目をいっさい気にせず、なにかにつけて話しかけてくれた。図書館で一緒に勉強したり、お茶したり、そのうち二人で映画を観に行くようになると、シュウが告白してくれた。

 どうしてシュウが私を好きになってくれたのか、今でも謎なのだけど。

 それをきっかけに学校での私を見る目が変わった。

 いつも明るくて声の大きなシュウは目立つ方なので、その彼と付き合っている私は、なんとなく一目置かれるようになったのだった。それまでずっと真っ暗だった高校生活に、ほわっと灯りがともったのはシュウのお陰だ。

 感謝している。


 シュウは地元の大学に進学する。

 同じ高校から地元の、その大学へ進学する人は少なくない。大学の数が少ないので地元を脱出しない限り選択肢はとても少ない。

 私は脱出する。

 そしてシュウは地元の大学で野球を続けると言っている。

 シュウならばきっと活躍できるよ。プロからスカウトが来るかもね、と私が言うと、あははと大きく口をあけて笑った。空に吸い込まれるようなからりとした笑い声が私は好きだった。

「ゴールデンウィークには帰ってくるの?」

「うーん、どうだろう。バイトをたくさん入れないと生活きついし、交通費もったいないし」

「じゃ、夏休みかあ」

「……そうだね」

「あーあ、長いなあ」

 たぶん夏休みも、私は帰らないだろう。兄を差し置いて上京することに不愉快な両親を納得させるためにも、私はなんとかして東京で自立していかなければならない。

 このまま実家から大学へ通うシュウとは違うんだ。

 それでも、誰にも頼れないひとりっきりの生活にわくわくしている自分もいる。念願の第一志望の大学に入るのだ。バイトで忙しくてもサークルにも入ってみたい。今度こそ友達もできるかな。うるさい親の干渉もなくなる。いつ、誰とどこへ出かけようが、いちいち報告する義務もなくなる。

「いいなあ、東京で一人暮らし。きっとすぐに都会の暮らしに馴染んで、おれのことなんて忘れちゃうんだ」

 シュウの言葉は内心を見透かされたようでドキッとする。

「結局、好きだ好きだ言っているのはいつもおればっかりで、おまえはそういうこと、なんにも言ってくれなかったよな」

 いつになく重たいシュウの声。

 いつもと違うシュウの眼差し。その瞳の強さに思わず息をのむ。

「……なんてね」

 笑顔が戻ったのでほっとした。ガタゴロとスーツケースの音が響き渡る。


 電車は時刻通りにホームに滑り込んできた。

 早朝なのでほとんど人の姿はない。

 私だけ電車に乗ると、発車のベルが鳴る。

 スーツケースを渡しながらシュウが私の腕を強く握りしめて、慌てるように私の唇に唇を押し付けた。

 扉が閉まる音がする。

「ありがとう、またね」

 振り絞るように私はやっとそれだけ言えた。

「大好き」

 言い終わる前に扉が閉まったので、その声がシュウに届いたかどうか、今でもわからない。

 窓に額をあてると、風に吹き上げられて舞い上がる桜の花片とホームにひとり佇む彼の姿が小さくなっていった。


 私は大学生の間、一度も実家に帰らなかった。

 その後も帰ったのは兄の結婚式とか父の葬式とか。

 風の噂にシュウは大学で知り合った人と結婚したと聞いた。

 私は東京での大学暮らしを十分に満喫して、望み通りの仕事についた。

 何度か恋もしたし、仕事も順調だ。

 ただあれからシュウよりも好きになった相手はいなかった。

 ただの一人も。

 葉桜の季節になると、いつもあの時の乾いた唇を思い出す。



 

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