短編集こそ世界を救う

烏蝿 五月

一人暮らしの大学生の後悔

僕は普通の大学生、とは言い難い状況にある。


それはとても貧乏であるということだ、もちろんバイトはしているが、それだけで一ヶ月を

乗り切るのは厳しいものであった。


一人暮らしに慣れるよりも先に、親に仕送りを頼んだことは情けなく思う。


しかしそれが僕の命綱になっているのは事実であった。


そして明日が仕送りがくる日、なので少しぐらい贅沢をしようと思い近くのスーパーへと向かったのだが、肉を見ても、魚を見ても、値段のことが思考を停止させてしまい、帰って自炊する気も起きず、結局安くなっていたカップラーメンを一つだけ買って家に帰った。


誰もいない部屋に帰るというのは、実家暮らしを辞めてから何ヶ月経っても慣れることは無かった。


とりあえずお湯を沸かしつつ、することも無いのでレポートをやり始めてみたものの、今の心境では手に着く訳もなく、その場に寝転がってしまった。


大学では“そこそこ勉強のできる奴”という立ち位置に腰を据え、それとなく友達のような存在もいるにはいる。


だが、そんな奴らも僕のことを都合のいい道具としか見ていないのは理解している。


なに?「いくらなんでも卑屈すぎるんじゃないか」だって?


この前起きた出来事を知ったあとに、もう一度同じことが言えたのならご立派だね。


ある日僕は体調を崩して三日間講義には参加出来なかった。


そして次大学へ向かった時、アイツらに声をかけられた。


「お前、何日休むつもり?はやく明日提出の課題見してよ」


その時、僕は内心とても焦っていた。


別に脅しまがいの行為をされたからでは無く、レポートのことをすっかり忘れてしまっていたからだ。


その旨を伝えると、アイツらは僕に舌打ちをしてどこかへ行ってしまった。


これが、僕が卑屈に考えてしまう理由だ。


大学生活がこんなものだと想像しなかった訳では無い、高校生の頃から性格なんて変わることは無く、そのまま大学へ来たのだから自分でも納得出来てしまう。


それでもなんとか変わろうと努力はしてみたさ、容姿を変え、ポジティブに考えられるようにして、流行りをしっかりと記憶して、孤立してしまわないように頑張っていた。


はずだった、けれど結果はこのザマである、何を変えても何をしても変われなかった自分の事が嫌いで嫌いで仕方がないと思い、寝転がったまま顔に手を当て暗闇に沈む。


カチッとお湯の湧いた音がしてゆっくりと体を起こし、ポットからカップラーメンにお湯を注いで机の上に置き、割り箸で蓋を抑えたものをボーッとみつめる。


お湯を入れてから何分経ったのか分からなくなってしまい、もういいやと蓋を開けようとしたその時、スマホに着信があった。


唐突の着信は妹からであり、夜遅くに何事かと通話を開始した。


「兄貴!今すぐ実家に帰ってきて!あ、いや、近くの○○病院!お母さんが倒れたの!」


そう言って通話は切られてしまった。


僕はそのまま放心状態になりかけたが、最後の言葉を思い出し、急いで靴を履いてタクシーを拾おうとした。


しかしお金がなかった。


電車は既に終電をすぎていて乗ることは出来ない、タクシーはお金がかかる、走って向かうには遠すぎる。


全身から汗が溢れ出す、思考をどれだけめぐらせても解決策は浮かんでくることは無く、しばらくその場に立ち尽くしていた。


すると、車が一台アパート前の道を通りかかり、なぜかそのまま僕の目の前で停止した。


「あれ、お前、なにしてんだ?こんな夜中にポーっとして、俺たちに見せる課題は終わったのか?」


それは友達のようなものである、同じ大学の奴らだった。


なりふり構っていられないと思い、今の状況を説明した後にダメ元で送ってくれないかと頼んでみる。


土下座でもしようかと考えていると予想外の言葉が飛んできた。


「早く乗れよ。その病院ってどこだ?マップだせ」


まさかの回答に、その場で固まっていると急かされた。


後部座席に乗ろうとしたが、マップが見れないと言われ助っ席に移る、スマホで病院までのルートを出したあとすぐに車は動き出した。


「お前、地元同じだったんだな。その病院なら分かるからマップいいわ。出来るなら連絡入れて大人しく座っとけ」


なにも考えられなかった。


複数のことが同時に起きたことで、脳内で処理しきれていないのだ。


母親が倒れたということについては、本当に唐突のことだった。


数週間前に一度実家に荷物を取りに戻り、その時は元気そうにしていた為、安心してその場を後にしたのだが、もしかしたらその時には既に体調を崩していたのでは無いか、思い出そうとしても頭が混乱していて思うように頭が回らない。


そして今隣に座っている奴の事だ。


正直に言えば乗せてくれるとは思っていなかった。


だから恥を忍んで土下座をしようとしていたのだが、すんなりと受け入れてくれた。


こんな状況を急に説明されて、すぐに理解して行動をしてくれた事が未だに信じられていない。


しかし、今隣には制限速度ギリギリで運転をしている奴がいる、これを見てもまだ嘘などと

考えるのは彼に失礼になってしまう。


色々と考えながら病院に到着するのはひたすら待つ。


そんな自分を俯瞰してみると、とても弱く、情けなく、小さく見えた。僕は何も出来なかった、この前実家に戻った時に体調はどうかと聞くべきだった。


妹を通じてもっと実家のことを気にかけるべきだった。


ただでさえお金を工面して貰っていて、それだけであとは知らんぷり、こんな話をすれば批判されるのは当たり前の状況だ。


本来なら僕の方から実家にお金を入れるような勢いでなければならなかった。


都合の悪いことから目を逸らし、逃げるように生きてきた結果がこの不幸をもたらしたのだと、そう神様が言っているように雨が降ってきた。


しばらくして、病院の前に着く頃には雨は豪雨に変わっていた。


「着いたぞ。早く行けよ」


そう促され、車から出てお礼をすると、もう一度「早く行け」と言われ、病院の中へ走って向かった。


名前を伝えると病室を伝えられ、番号を横目に全力で走る。


途中、看護師に注意された気がするが、それどころでは無かった。


病室の前には妹が立っていて、目が合った妹は僕の元へ駆け寄り、目の前にたどり着いた途端に俯いてしまった。


「兄貴、なにしてたの?遅い、遅すぎるよ。もっと早く来てくれてたら、お母さんだって…」


そう言いながら妹は大粒の涙を流し始めた。


「“お母さんだって”ってどうゆう意味だ?母さんは大丈夫なんだよな?」


焦りながら妹に質問してみても、泣いたままで返事は返っては来ない。


近くの看護師さんを呼び止めて母さんの容態を伺うが、「ベッドに居られます、会ってあげて下さい」とだけ言われ、病室のドアを開けてくれた。


僕は恐る恐る病室へと足を踏み入れたが、目の前の光景を受け入れきれずにその場に立ち尽くしてしまう。


そこには母がいた。


少しばかりの管が繋がっていて、目を閉じて眠っていた。

しかし、ドラマでしか見た事のなかったその機械の線は、ただ静かに水平線を描いていた。


震えて力の入らない足をなんとか動かし、母の元まで歩み寄って「母さん?」と呼びかけても反応は無い。


後ろから足音が聞こえ、振り返ると妹がいた。


妹の僕に向けられたであろう視線は、大学でのアイツらの目と同じものであった。


それからのことはあまり覚えていない、というよりも思い出せなかった。


気が付けば一人暮らしの部屋に座っていて、昨日のことは夢だったのではと、思い始めた頃にスマホがなった。


「兄貴、お母さんのお葬式、来たいなら来て」


それだけ伝えられたあと、すぐに通話は切られてしまった。


それで夢では無いと実感させられたが、浮いているような感覚で身体には力が入らなかった。


すると誰も居ない部屋にお腹の音が響き渡る、そういえば昨日のカップラーメンも食べていない、お腹減ったなと思い、机の上に置かれたままの冷えて伸びきったカップラーメンを空っぽの胃に詰め込んだ。


醤油味のはずが味はしなかった、それに違和感すら感じずにただ呆けてしまう。


自分が置かれている状況を知ってはいても、理解ができない時はこんな気持ちなのかと一人で頷いていて、スマホがなっていることに気づくのが遅れてしまう。


誰だろうと思いながらスマホを手にすると、着信は先程と同じく妹であった。


「さっきはごめん。お母さんのお葬式は来てほしい、それと、忙しそうならいいんだけど、家に帰ってきてほしい」


こんなにも弱々しい声で話す妹の声は初めて聞いた。


僕とは正反対の気の強い性格で、中学の頃も頻繁に友達を家に呼んでいた。


そんな姿からは想像もできなかった思わぬ内容に、少し戸惑いながらも「わかった」と返事をする。


それから手軽な荷物や着替えだけを鞄に詰めて、いつの間にかポケットに入っていたお金を使って実家に向かった。


今は大学のことなど頭には無く、ただ妹とのこれからについてのことと、母さんのことで脳みそはパンク寸前だった。


母さんの件で地元へ戻った時は、妹が来ないでというもので、心配して待っていてくれた大学の友達に頼んで帰り道を進んでいった。


つまり、実家に帰るのは実に久しぶりのことであり、なぜか緊張感すら覚えてしまう。


家のチャイムを鳴らすと「はーい」と返事が聞こえ、扉が開き、どちら様ですかと言いかけた妹は僕を見るなり飛びついてきた。


そして病院の時よりも激しく泣いた。


その小さな背中をさすっていると、もう二人家の中から出てきた。それは毎年お正月に見た顔で、母さんの姉夫婦だったか。


二人は優しい目で僕らを見たあと、まずは家に入ることを促し、妹は「ごめん」と小さく言って僕の手を引いた。


話を聞くと、僕が病院に到着するよりも前に母さんの元を訪れていて、母さんから直々に頼まれたらしい。


僕が変わらず大学に通えるように私のお金は使ってくれ、妹は家で一人になってしまうから面倒を見てほしい、葬式は小さくていいなどと最後まで話していたということも聞いた。


自分が死んでしまうという時でも、我が子の心配をしていたという母さんを改めて尊敬したと同時に、母さんの最期に間に合わなかったことへの後悔の念が膨らんでいく。


すると、話は実家と妹のことへと移り変わった。


母さんの姉夫婦曰く、二人は子供を授かっていないため、妹の面倒を見ることは喜んで受け入れるとのことだった。


僕はそれを聞き入れて、妹をよろしくお願いしますと言うこともできた。


しかしそれは、全てから逃げることだとわかっていた。


二人は本当に妹の面倒を喜んでみてくれるだろう、けれど自分自身妹の事を考えると不安が残る。


それは母さんのこと、三人家族のうち一緒に暮らしていた一人が居なくなってしまったことを、妹は受け入れきれるのだろうか。


その結果、僕は二人に頭を下げてお願いをした。


「この家を妹と二人で守っていきたいです」


隣りに座っていた妹は驚いたようで、すぐにまた泣き出してしまった。


「大学はどうするの?」


先程の優しい目とは違い、真剣な眼差しで問いかけてくる。


これは優しさなのだと理解しているため、逆にこちらの心は暖かくなった。


「大学は辞めて、ここら辺で働ける場所を探して稼ぎます」


こちらも真剣な眼差しを返し、覚悟を伝える。


すると、思わぬ提案をされた。


「わかった、ただし数ヶ月は一緒に暮らそう。働き始めるまでに時間がいるだろうし、家事だって妹さん一人に任せる訳にもいかないだろう」


それからこの四人での生活が始まった。


大学はやめ、借りていた部屋の契約も解除し、荷物をまとめて実家に戻った。


僕の部屋は昔と変わらずにあったが、埃を被っている訳でもなくとても綺麗な姿であり、妹から聞いた話では母さんが毎週欠かさず掃除をしていてくれたそうだ。


荷物を置いて、改めて妹と二人に挨拶をする。




僕の胸の内には未だに「後悔」という二文字が消えぬまま残っている。


それは、母さんの最期に立ち会えなかったということだ。


これを拭い切るには時を巻いて戻す以外方法はない。


つまりは僕が死ぬその時まで抱える後悔であるということだ。


この気持ちは忘れてはいけないし、年月を経ても忘れることはできない。


しかしそんな思いも、妹と一緒に暮らし始めて少しずつ和らいでいった。


「兄貴!私のアイス食べたろ!◯ね!いや、◯す!」


母さんの姉夫婦は笑って見ていて、「ハー〇〇◯ッツ買ってやるから」というと、「二個だよ」とニヤニヤしながらいうもので、適当に返事をする。


今からお風呂上がりに随分と元気な妹と一緒にコンビニへ歩く。


そして、元一人暮らしの大学生は後悔と共に今日を生きていく。


ちなみに、大学の友達は長期休みのとき遊びに来るようになっている...。

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