赤毛オッシの物語
おおぬきはじめ
序章 前日譚
この世界で最も名が知れ渡っている人物は
世界の三分の二を版図とした皇帝でもなく
最強の名を恣にした騎士でもなく
世の理を知り尽くした不老不死の魔女でもなく
人々の世に鉄を広めた鍛冶師でもない
それは
この社会で亜人、漂流者と蔑まれた
一介の冒険者だった
彼の名はオッシ
赤毛のオッシという名は
数多の吟遊詩人によって謡われ
幾多の民によって語り継がれていた
********
オッシという名を知ったのは、いつどこでだろう。少なくとも私が魔術学院に入る前であることは確かである。それは、兄と共に家庭教師から指導を受けていた頃だろうか、それとも家の者と街に出かけた際だろうか、母が語り聞かせてくれた物語の一つだったのだろうか。その名は知らず知らずのうちに私の知るところとなり、家を出て魔術学院に籍を置くことになってからも、当たり前のように耳にする、いや、最早耳にしたとしても気に留めることもないくらいの有様であった。
私はとある家の次女として生を受け、兄と共に教育を授かった。幸いと言うべきか、兄はとても優秀で、両親の期待に添った心身共に秀出した人物に育ったので、家の事は万事兄に任せるとして、私は自由気まま、夜宴に参列して相手を探すもよし、魔術学院に入って自活の道を探すもよし、の情況であった。夜宴は何となく苦手だったので、私は家名を上げるつもりもなかったが、魔術学院に入学することにした。
魔術学院と言っても魔術を学ぶ必要は必ずしもなくて(いやある程度基礎は学ぶことになるのだが)、魔術だけを専門で学ぶ必要がない、という所が魅力的だった。
魔術学院は魔術以外にも、政にまつわる法典や、古より継承されている文化等を学ぶことができる場所であり、言い換えればこの世界の知識が聚合した場所なのだ。
私はあまり魔術に興味がなかったので(誤解しないで欲しいのは決して苦手というわけではない)、魔術の学習はそこそこ、初学者にも開放されている一般書が積み上げられた図書館に籠もって、気の赴くまま本を手にとって過ごしていた。
多くの書物の中で次第に興味を持つようになったのは、偉人と称される人々がどうやって偉人たり得たのか、という事である。兄と違って凡庸な私は、偉人がどういう人生を送り、何を転機にして偉人となったのかを知りたくて、その手の本ばかりを読むようになった。
自由気ままに過ごしているとはいえ、大人(この社会だと十六歳)になると、よほどの家柄であったり地位でもない限りは、何かしら所属する集団に還元しないといけないのが世の常である。かくいう私も図書閲覧の権利だけでなく、宿賃と食事代に相当する何かを還元せざるを得なくなった。妙案が浮かばずにいた私は、この世界では誰でもその名を知っているであろう、「赤毛のオッシ」についての調査報告を提出することにした。
「赤毛のオッシ」という人物は、世界を股にかけた冒険者で、多くの吟遊詩人によって伝承された英雄であり勇者だ。それほどの人物であっても、当学院の高名な魔導師先生方からすれば、魔術を使わない冒険者なぞ相手にならないらしい。そのお陰もあって、私の苦し紛れの提案は前人未踏のものとして調査の許可が下った。
いざオッシに関連する書籍を探してみると、案の定、多くの宮廷吟遊詩人の詩や、各地域の名を冠した冒険譚にその名が記されている。その量にウンザリしながら、手当たり次第、英雄譚、叙事詩、伝説等から彼の事績を抽出することにした。
読書が好きでも、こういった義務が発生すると、一気に作業化して熱意が冷めてしまう。それでも関連するであろう書籍を見つけては机に載せていった。ある程度見通しが付いた段階で、山積みになった書籍に軽く目を通すと、とんでもないことに気づいてしまった。これまで私はいかに楽をして今の生活を継続するかを第一に考えていたのに、オッシのせいでとんでもない事に巻き込まれてしまったのである。オッシにはその責任を取ってもらいたいくらいである。
私の人生に波乱を巻き起こした、オッシについての気づきとは何だったのか。一言で言うと、矛盾だらけ、ということだ。ある地方に伝わる伝説では、オッシはとんでもない大男で力持ち。別の地域に伝わる叙事詩では、オッシは子供のような背丈ながら、その身のこなしはシルフの如き軽やかさ。概ねどの資料でもオッシはとんでもないお人好しの善人であったが、その他の共通点は髪色と性別位。いや、中には女性かと見紛うような描写すらなくはない。
さてこの現実をどう受け止めたら良いのだろうか。数日間、ウンウンと呻りながら思案した結果、ある一つの仮説を導き出した。そう、オッシは複数人存在したのである。こう考えるしかない、当時の私は報告をまとめることに終始し完全に煮詰まっていた。教官である魔導師(魔術以外に価値を見いだせない狭隘な思想の持ち主である。私は本当に運が悪い)に「万巻の書が堆く積まれたこの図書館に、更に一冊君の本が置かれることになるが、ちゃんと価値はあるんだろうね」そう厭味を言われている私は、何とかしなくてはいけない、その思いだけで結論を急いだ。オッシ複数人説。多分、この世界で私が初めて提唱した説だろう。正直、この世界にとっても、私にとっても、本当にどうでもいいことではあるのだけれど。
この仮説をまとめて調査報告として一冊の本にした私は、件の魔導師に提出した。実際の所、この本の三分の一は、オッシ関連の書籍名を羅列したシロモノだけど、だからこそ価値があるんだ、その一縷の望みを汲んでくれるだろうか。魔導師の表情を窺いながらビクビクしていた私は、思いの外好意的に捉えられているような面差しを確認した。これで私は解放される、また自由気ままに本を読み漁る日々を取り戻せる、そんな淡い期待をこの魔導師は完全に裏切った。
「これは面白い仮説だ。ぜひ実証しなさい。彼の事績を辿り、偽りの英雄を等身大の男に戻してあげなさい」
この一言で、私は赤毛のオッシを追い求める旅に出ることになってしまったのである。
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