オルガノイド−ナイトメアー
人生ルーキー饅頭
第一章 [煉瓦道] 編
第1話「悪夢」
目に入る者の全てが恐い、目に入る物の全てが怖い。目に映った強大な化け物が鈍い足音を響かせて少しずつ、着実に、
身体の隅々が満遍なく痛い。身体の至る所が濡れて気持ちが悪い。血、糞尿、脂汗、涙、この小さな身体に巡り巡る水分と言う水分がグチョグチョに僕を溺れさせる。
痛い、辛い、憎い、苦しい、どうして僕はこんな目に遭わなければいけなかったのか、どうして僕はこんなにも身の毛もよだつ様な苦痛を味合わなければいけなかったのか。何も覚えていない、何も考える事が出来ない、何も感じたくない、何も、何も、何も、何も、何も、なにも、なにも、なにも、なにも、なにも、なにも、なにも、なにもなにもなにもなにもなにもなにもなにもなにもなにもなにも。
今は、見たくない。
「__あ゙っ」
最期に見た情景。
血に染まった赤黒い視界が大きな衝撃や痛烈な痛みと共に途切れたと思えば、突然視点は移り変わる。ミンチよりも酷い惨状と成った僕の圧死体を、僕自身が見下ろしていた。
血痕の上を目玉が転がる。
僕を滅茶苦茶に踏み殺した"花とライオンが合わさった様な常人の想像の域を遥かに超えた背徳的な異形の化け物"は満足気に自分の鼻を舐め、器用に牙と牙で僕の目玉を挟んで持ち上げた。そして一瞬の静寂が空間を支配した瞬間、"プチュッ"と音を出して目玉を潰した。
それと同時に僕の意識は薄れてゆき___
「......ッッッ!」
夢から覚めた。
―――
大っぴらに開けた小さくも大きな四角の窓から入ってきた清く涼しい
本当に本当に穏やかな初夏の昼下がり。
そんな最高の時期でも僕は穏やかでは無かった。
ボクが死ぬ、悪い夢。昨日と同じ、悪い夢。もう既に二回も見た地獄絵図であり、もう二度と見たくない絶望のドン底。
悪夢は決まって二時だ。極めて幸せで平和な夢にどっぷりと浸っていたとしても、突然で突発的な突き刺す様に強烈な恐怖という恐怖に全てを掻き消され、悪夢は僕に襲い掛かって来る。
やがて化け物に殺されて目が覚めれば、次の夜まで寝る事は叶わない。今の僕の様に、見るからに眠そうな目の隈を垂らしていたって絶対に寝る事は叶わない。このままでは必ず衰弱しきって死に至る。
身体の本能と危機察知能力が、そう絶えず警鐘を鳴らすのだ。
「―――ふ~ん、かわいそっ」
「自分から聞いといてそれは無いですよ」
彼女は二年生の先輩であり僕が密かに心を寄せる美しい女性の
肩まで伸びている黒く艷やかな髪の毛と、不意に見せる無邪気だが何処か奥ゆかしい不思議な笑顔。もし僕が一国の重役に就いていたとしたら、彼女は傾国の美女として歴史に名を残していただろう。
「いや〜ごめん。語彙力の無さ?っていうの?言葉足らずで誤解されちゃうのが常なんだよね。...でもさ、青戸がして貰いたかったのは同情じゃないもんね」
「__それは...」
「聞いて貰いたかった、でしょ?」
彼女の前ではどうしたって素っ気ない言葉になってしまう。 どんなに言の葉を紡いだって解けてしまう様な力足らずで弱々しい心情と現状。
対して彼女は冷静で、僕の真意を見抜いて明確に言葉として表してくれる。言う時はハッキリ言う、そんな彼女の力強い気遣いが僕を安心させてくれた。
「佐村先輩の言う通りですね、本当に有難うございます。 ...でもやっぱりイジワルっすね」
「そんなに褒められちゃ困るね〜」
そう言うと、彼女は小さなブレザーの中に手を伸ばして一枚のメモ用紙を取り出す。それを僕に差し出してニコッと笑みを浮かべる。
「ま、睡眠の質でしょ。この紙に書いてある事をしてから寝ると、とっても気持ちいいよぉ〜」
「質で解決出来るんですかね。まぁとりあえずやってみます。有難うございます」
佐村先輩が手渡してくれた手の平サイズの小さなメモ用紙。数秒前まで彼女の懐に挟まれていた薄っぺらく何気無い只のメモ用紙だがドコか生暖かく、そこらのストーブより、初夏の照った陽光よりも、僕は暖かく感じた。
「...んんん?」
メモ用紙を軽く眺めていると、密かな違和感に気付く。「枕を揉む」...「ペットを吸う」...「牛乳を飲む、ホットで」...「ストレッチ」...なんて事無い普通の文言に挟まれた一文である「佐村サマへのお祈り」は如何に眠気に包まれて朦朧としている僕の意識でも気付けてしまう程に異様だった。
これは彼女が忘れない様に作った自分用のメモだろう。お祈りを...自分で自分に...?そんな疑問が走った。
太陽はすっかり墜ち切り、明るく騒がしい昼の街の風景は時間の経過によって視覚聴覚と共に変化が無く寂しい情景と化してしまった。
しかし初夏の夜はまだまだ涼しい訳であり、来たる熱帯夜を忘れて今を楽しんでしまわなければ損というモノである。
窓を開け、夜風に当たる。欠かせない習慣だ。
「さて...」
どうやって祈ろうか。穏やかで快適な自室の環境とは裏腹に、僕はそう悩んでいた。くだらないが、どう祈ろうか本当に真剣に迷っていたのだ。
さながら、藁にも縋る思いである。
「(...........そうだな、佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩佐村先輩さむらせんぱむらせんぱいさむらせんぱいさむんぱいさらせんぱいむらせんぱいさむらせさむらせんぱいさむんぱいさ___むら....せん........)」
「_____ハッ!!!」
『果てしなし物語』という欧米の民話では召使いが「羊が1匹、羊が2匹……」と単調なフレーズを繰り返すことで王様が退屈になって眠くなるように仕向けた。という話があるらしい。それと同じ様に「佐村先輩」と繰り返すうちに不安な気持ちも忘れてすっかり眠りに落ちてしまったみたいだ。
睡眠の質は約束されていたが、それでも夢の世界に立ち入ってしまった。 現実の服装とは違い、フードの付いた緑のローブを身に着けている。下は黒の短パンで、少しだけ肌寒い。
眼前に広がる光景は西洋風の街並みと、輝く星々が散らばる現世と同じく綺麗で広大な濃藍の夜空。しかし何処か違和感を感じさせ、何処か朦朧とした空間だ。舗装されたレンガ作りの道路は一見良く管理された見事な道。しかし、視界を外して目の端で其れ等を捉えた途端に、光景は歪み始める。
本当に本当に、気持ちが悪い空間だ。意識だけはハッキリしていると言うのだから余計質が悪い。
....僕は前に、いやその前もこの街で死んだ。訳も分からずのた打ち回り、藻掻くうちに踏み潰される悪夢。
「また夢...次死んだら流石に____
『『『グジュアァッッ』』』
無意識に溢れてしまった僕の弱気な独り言を遮り、やけに水分を含んだ生々しく鈍い惨たらしい破裂音が辺り一帯に響き、それは凄惨たる惨状を容易の想像させる。
聞き覚えのある音、これは僕が踏み潰された時と同じ、聞くに堪えない爆音だ。耳も塞ぎたくなるようにグロテスクな音だが、僕の身体は耳を塞ぐどころか目も瞑れない程に硬直してしまった。
紛れもない、恐怖である。
「(な、ァ〜〜〜〜ッ!?嘘だ...嘘だッ!!だってまだ...9時だ!なのに...なのにッ!!)」
僕から20m離れたレンガ道には血が撒き散らされ、大きな血痕が広がっていた。角度によって民家の白い壁に遮られて血痕から先の光景は見えないが、どんなに酷い惨状なのかは想像に難くない。 いや、想像する必要は無い。記憶を辿るだけで良いのだ。
あの時と同じ様に、血痕の上を眼球が転がった。
「あ、あああ、あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁッッッッッッッッッ!!!」
眼球を見た瞬間、発狂にも近い叫びと共にその場から逃走する。あの短くも長い地獄の時間を痛みと共に、より鮮明に思い出してしまったのだ。
「嫌だッ...嫌だッ!!また死んだら僕は、絶対に...絶対に精神が壊れてしまッ_____
脇腹を襲った強い衝撃。一瞬の内に追い付かれ、"化け物"の強烈な横払いを受けてしまった様だ。 全身は強く壁に打ち付けられ、胴体の骨はバラバラに粉砕されてしまっただろう。その痛みがより鮮明な死のビジョンを想起させた。
鋭い牙をニタリと露出させ、その巨体を震わせて多量の涎をその場に垂らした。ライオンのシンボルとも言える
奴は天然物の悪性を僕にぶつけ、思い出すだけで震え上がる様に残酷な拷問をするのだろう。そう考えただけで気持ち悪い脂汗が噴き出てきた。
「『クョエハイタビヤチハスキッチノ、ミチイタアデケロレ?』」
化け物は何処から出しているのか、そんな言葉でも鳴き声でもない"声"で僕に語り掛ける。精神に直接刷り込んで来ているかのような、気味が悪い声。
「『ユッチァ、ジャイテギヒドエブテオアヌウットリウカアシアデヤムラエノ。ミチカヒニハヲアピーセデカスャロストケレキリ!』」
「あぁぁぁぁ!!!うるさいうるさいうるさい!!してこなかっただろ!今までさぁ!!どうして僕を見下ろして意味の分からない言葉で語り掛けてくるんだッ!?気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!やめろやめろやめろォォォ!」
「『お望み通り、
同じ様に精神に直接刷り込まれるように印象的な声。しかしそれは今までの奇声とは異なって透き通るように優しく柔らかな天使の一息。そう言えた。
そして僕は、この声に聞き覚えがある。たった半年で16年の人生を塗り替えた甘美な美声。
「――――佐村先輩...!?」
「やぁ、親愛なる
「し、身長は同じくらいじゃないですか」
「ハハっそんな事が言えるくらい元気なら安心」
彼女はいつもと同じテンションと声色で軽口を吹き、化け物に真っ直ぐと立ち向かう。今まではただただ"可愛い"や"美しい"や"大好き"などという曖昧だが確かな愛の感情しか抱いていなかったが、今この瞬間は先輩らしい...いや、英雄とも言える程の頼もしさを彼女の背中に感じた。
「先輩...ッソイツは危ない!!」
「うん、分かってる。私が駆け付けた所以で、契機だ」
「『グギョジャアアアアアアアアアァァァァァァッァァァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!』」
ついさっきまでの"声"は従来の獣らしい"咆哮"と化した。化け物は突進を仕掛け、明確な殺意で彼女を襲う。そんな圧の塊の様な攻撃を彼女は容易く跳んで避け、空間に浮く透き通った緑の"何か"を蹴って蹴って、遂には10mほどの高さへと到達した。
「良く見ておいてね!これから君に見せるのは"夢世界"で生きる者の特権であり、"力"!!」
そう言うと彼女は両手の平から緑のキューブを生成し、"パンッ"とキューブとキューブを潰した。そうすると指と指の間から緑の流体が溢れ出し、やがて渦状の形となり、そうして楕円状のバリアが形成される。
この工程を言葉に表すと途端にローテンポとなるが、実際には数秒という刹那の出来事である。
化け物は脚に力を籠め、その筋肉を肥大化させる。そうして溜めに溜めた力を一気に解放し、バネを思わせる様な瞬間の圧倒的パワーが高速跳躍を実現させた。
化け物は牙を突き立て、口を広げる。そのまま彼女が生成したバリアと真っ直ぐ衝突し、緑に輝く楕円状の物体を牙と牙で噛み締める。
やがてバリアには"ビシビシ"とヒビが入っていき、破れるのは秒読みであった。
「広げて、包まれ」
そう言うと楕円状のバリアは放射状に広がり始め、化け物の口元から化け物の尾部分まで回り込み、やがて一点に集中する。そういった過程によって化け物はまるで投網に掛かった魚の様に捕らえられてしまった。
四本の巨大で強靭な脚はいとも容易く絡まる。化け物は藻掻く事しか出来ず、このまま足掻き続けていればやがて動く事もままならない醜態となってしまうだろう。
「や...やった!佐村先輩凄い!!やっぱり佐村先輩は凄いぜッ!!!」
「何を勘違いしてるの?まだ終わってないよぉ」
「...ッえ?」
「私の力ならこのまま質量で押し潰す事も出来るけど、今日は殺らない。コイツは君自身の力で倒すんだ」
「む、無理ですよ。僕は奴に抵抗出来ないままに殺され続けているんです!!到底敵う訳が...」
「そうだね、今の君じゃダメ。でも、この"夢世界"を知覚出来ている人間にのみ与えられた特別な特権を扱えるようになれば、君も勝てるさ」
そう言うと彼女は僕の胸に手を当てて目を閉じる様に促す。一瞬ドキッとしたが、妙な緊張感が冷静さを取り戻させた。
「想像力を掻き立たせて、自分の在るべき姿を、自分の在りたい姿を、創造して。どんなビジョンならヤツらに勝てるか、どんな形なら、どんな力なら、そう自分の理想を想像し続けて」
「想像....」
藻掻き足掻く化け物の耳を劈く咆哮も聞こえなくなるほどの極度の緊張と集中が最高潮に達した時、何も感じなくなった。まるで宇宙空間に居るかの様に何も無い暗黒の空間で佇んでいる、そんな状況。
やがて、走馬灯の様に記憶が流れ始める。
小学校や中学校ではずっと隅に佇み、一人が好きと言い張って唯一人の幼馴染の親友を除いて誰とも交流をしなかった。
昔からずっと弱気で、喧嘩はもちろん口喧嘩すらマトモに出来ない軟弱な自分。それが何よりも嫌だった。 悔しい思いをした時には持ち前の想像力を活かし、自分が主人公に成れる小さな妄想の世界へ入り浸る。
『光の
白色に激しく照った『光の剣』はどんな時でも無条件で勇気を付けてくれ、微弱な精神で震える僕を支えてくれる"心の杖"でもあった。
――まだまだ、頼る事になりそうだなぁ。
極度の緊張と集中は
僕の右手にハッキリと掴んだ感覚が広がり、右手に持った"ソレ"を見てみれば想像通りの輝く『光の剣』だった。
「さ、始めようか」
佐村先輩は力を解除し、化け物を解き放つ。
疲れ果てた様子の化け物だったが、憤怒の感情を奔らせているのか、以前よりも凶暴性が増しているようだ。
光の剣が導くままに構えを取り、化け物と睨み合う。両者の間に迸る緊張状態によって刹那の静寂が作られ、いつ衝突が起こってもおかしくない戦士同士の間合いが完成された。
「......ッ」
「『ギ、ジュ、グガアガガッガガ』」
「『ガガガガガギャギャギャジュガガガガガッガガガガガガガガガガガガガガ』」
「『ジュギグギョギョガゴゴゴゴゴゴガババババガガジュガアガッガガ....グガッガァァァッッァァァァァッッッッッッッッ!!!!』」
しかし、本能に逆らえなかった化け物は耐える事が出来ずに突進してしまった。この大きな隙を見逃す筈も無く、睨み合いの間で虎視眈々と準備していた必殺技を披露する事と成る。
それは、光の剣が発する光芒を一つの塊として放つ最強の―――
「エンジェルラダァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!」
「『ジュビッッッ!!!!!!』」
化け物は光に包まれ、その一帯は塵も残らぬ惨状と化した。そうして全てを一回で解き放った疲れなのか、恐ろしい悪夢から解き放たれた安堵感なのか、僕はそのまま倒れ込んでしまった。
窓から差す煌めく陽光に照らされて目を覚まし、二日ぶりの安眠にほっと胸を撫で下ろす。
窓から街の景色を眺める。目に入る者の全てが安心する、目に入る物の全てが安堵させる。
本当に本当に穏やかな早朝の5時半。
そんな最高の時間、勿論僕も穏やかになれた。
これからの果てしなく続く戦いと悪夢の苦しみを知らなかった僕は、本当に本当に清々しい気分で黄金に輝くその朝を眺めた。
[To Be Continued....]
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