7 目標とする

 アルベルト、あるいは田嶋くんから初めての手紙が送られてきたのは、田嶋くんが調査に出向いて1週間後のことだった。田嶋くんはボードゲームの腕前でもって王宮のほかの庭師や料理人などに認められたらしい。庭師の腕じゃないのか。

 気の置けない仲間と認識すれば生活環境のよろしくない下男下女というのは主人の悪口を言うものらしく(ウィステリア家は使用人を大事にしているらしく悪口は噂すらない)、アルベルトはさっそくオルナン王子の悪口をたくさん聞いてきてくれた。


 いわく。

「軍隊を率いて戦場に出ると、敵国の女に好き放題するらしい」。


「王都の高級な娼館にご贔屓が5、6人ばかしいるらしい、気分によっては場末の娼館で遊ぶこともあるらしい」。


 ……これ、性病うつされるの待ったなしでは?


 ううーむ、結婚したい男でなくなってきたぞ。わたしは自由に走り回れればそれでいいのだが。朝ドラヒロインのごとく疾走したいのだが。

 しかしそれは王家に嫁いだらもう無理だ。だがマリナ・ウィステリアの父親は王家と相談して婚礼の日取りを決めるところまでもう少しだという。まずい、これはぜったいにまずい。


 アルベルトからの手紙を持って父親のところに向かう。こうやってふつうに歩けるようになったのだから素晴らしい進歩だ。

 忙しくしているかと思ったらボードゲームのプロブレム、要するに詰将棋の本を見て唸っていた。この世界で「ボードゲーム」というとチェスによく似た、でも持ち駒のルールのあるゲームを指すらしい。要するに将棋である。田嶋くんの得意分野である。


「お父様?」


「おやマリナ。どうした?」


「お城に間者を送り込んだでしょう。そうしたらこんな手紙が」


 ぱさりと手紙を渡す。


 父親はしばらくうーんと考えて、目をぎゅっと閉じてから答えた。


「平均的な王族の若者じゃないか。男らしくて」


「お父様、これはつまり、娼婦や外国の女の持っていた変な病気をうつされる、ということではありませんこと!? こういうのを『有害な男らしさ』と言うのですわ!! 梅毒になったら鼻がもげるのですわよ!?」


「ば、梅毒て……そんな恐ろしい病気の話、なんで知っているんだ?」


「それくらいちょっと勉強すれば分かりましてよ!! わたくしは健康に一生を過ごしたいのです、こんな誰と寝たかわからないような男と結婚して、病気をうつされてまた伏せっていなければいけないなんて絶対にいやですわ! 鼻がもげるなんて言語道断横断歩道!!!!」


「お、おうだんほどう?」


「あら失礼、興奮して意味のないことを口走ってしまいましたわ。とにかくわたくしは健康に過ごすことがいちばんの目標なのです。目指すところは走れる体ですわ。この靴では走れそうもないけれども」


 そう言って足元を見る。幸い纒足などではなかったが、それにしたって走るのには不向きの靴だ。そもそも走ることを想定していないであろうガラス細工の靴である。

 シンデレラってこういう靴を履いて舞踏会に行ったんだろうなあと思うが、いまは王子様と結婚することに憧れている場合ではない。王子様と結婚したら鼻がもげるんである。


「……走りたいのか?」


「はい。この体では走れないことは承知しておりますけれど」


「そうか……小さいころちょっと走ったのをとがめてガミガミ叱ったのがよくなかったなあ……」


 なにやら父親の頭のなかで回想シーンが始まってしまったらしい。ドラマだったら「マリナ・ウィステリア(幼少期)」と子役さんがクレジットされるやつである。


「そうだな、転地療養も兼ねて南の荘園にでも行ってみるか? 結婚は延期だ! どうせマグノリア家もローゼス家も王子殿下の妃にするような娘はおらんしな! がははは!」


 ええ……「がははは!」て……。

 というわけで、わたしは次の日には荷物をまとめて、南の荘園とやらに向かう馬車の中にいた。荷物をまとめるのは陸上競技の遠征で日常茶飯事だったので、メイドさんの手を借りずともあっという間にできた。メイドさんは目を白黒させていた。「マリナさまの旅行の荷造りなんて、いままで何日かかっても終わらなかったのに……」とのことだった。


 馬車といってもおそらく最高級のものであろう、お尻が痛くなったりはしなかった。

 しかし南の荘園はすごく遠かった。なんだか移動だけで体力が尽きた感じだ。ベッドにぐったりと倒れていると、褐色の肌をして原色のアッパッパーを着たメイドさんが手紙を持ってきた。あ、田嶋くんからだ!


 相変わらず王子のところで庭師をやっているそうなのだが、悪い噂ばかり聞くらしい。娼館でケチくさい遊び方をしているとか使用人をこき使いがちだとか。やっぱりろくな男じゃないな?

 田嶋くん、違ったアルベルトも、庭師の業務を超えて屋根の修理なんかをやらされているらしい。そして王宮は古いせいでけっこう雨漏りするのだとか。


 とりあえず返事を書くことにした。南の荘園は日差しこそきついがそれほど暑くなく、乾燥していて、走るのによさそうな気候だ。ケニアみたいな感じなのだろうか。

 荘園の屋敷の窓から村を見ると、村民の子供たちがかけっこするのが見えた。あれに混ざるのを目標とする!!(つづく)

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