第7話 逆流する雷雲


 無気力な日々が続く。何度も昼と夜を繰り返して、一年。なんとなく、とうもろこし畑の管理だけは止められなくて、とうもろこしを育て続けている。それ以外の時間は、全て訓練。


 何度かお見合いの話をもらって、一年で三人とお見合い。全員から、同じ言葉で断られた。


 将来性を感じない。



「これだけ活力がなければそうだろうな」



 お見合いの手引きをしてくれた聖さんにはため息を吐かれる始末。これでは、碧に笑われてしまうかもしれない。碧。今、どうしているのだろう。



「春燈さん、本当に、大丈夫ですか?」



 紅焔も心配してくれる。けれど私にはもう何もできる気がしなくて、ぎこちなく笑った。結婚もできないなら、このまま一人で良い。碧のことを想いながら、ただ門番として生きていく。それだって、きっと幸せな生き方だ。


 私は、門番に命を掛ければ良い。町のためになる、尊い生き方だ。


 今日は珍しく中を任されて、一人でぼんやり。人が入って来なければ、一番暇な仕事だ。書類整理をしながらのんびりしていると、檜櫓の小窓から通行人が見える。


 旅を楽しんでいるらしい顔。未知の町にワクワクしている顔。幸せそうで何よりだ。誰かの幸せを感じて、胸を温かくする。それが好きで、門番が好きなんだっけ。



「え、ちょっ!」



 いきなり、紅焔の焦ったような声が聞こえた。咄嗟に窓越しに紅焔たちが立っている方を見るけれど、何も見えない。扉を開けて外に出ようとすると、私が扉に触れる前に扉が近づいてきた。


 ゴッ



「いったぁっ」



 案の定鈍い音がして、私のおでこにドアがクリーンヒット。悶絶しながらも刀の柄に手を掛けて顔を上げる。すると紅焔が両手を上げて降参を示していた。



「紅焔、どうした?」



 刀の柄から手を離す。紅焔も手を下ろして、焦った様子で薙刀を渡してきた。



「雷雲が近づいてきているんですっ! あり得ないんですっ! 真っ黒な雲が、他の雲を掻き分けるみたいにこの町に接近してきていてっ」



 他にも避雷針になりそうなものを二人で檜櫓の中に押し込む。その間に、聖さんが逃げ込んできた通行人たちを門の中に入れて訓練所に併設されている本所へ案内する。そこで検閲や身分確認を行う。訓練中の西門隊の隊員たちがいるから、何か起きても制圧可能だ。


 ちらりと空を見上げる。確かに、おかしい。この時期の雷雲すら珍しいのに、真っ青な空に、たった一つの黒雲が近づいてくる。他に雨雲もない。あの雲だけが、意思を持っているかのように迫ってくる。


 雷。そうだ。碧。碧は雷と共に現れた。もしもあの雲を碧が操っているとしたら。そんな希望に心が躍る。


 その瞬間、その雲の後ろから、さらに二つの雷雲がこちらに向かって進行してくるのが見えた。最初の雷雲よりどちらもかなり大きい。そして、轟かせる雷鳴の音も低くおぞましい。まるで、怒りだ。


 雷雲が来る前に、紅焔と二人で檜櫓の中に逃げ込む。聖さんは戻ってこない。きっと訓練所の方で作業をしているのだろう。



「しゅ、春燈さん、あれ、まさか、呪いとかじゃないですよね?」


「いや、この町で雷を落とすような恨みを持って亡くなった人なんて、聞いたことがないけどね」



 そもそも、この町は降水量が少ないことで有名だ。雷雨もあまりなく、季節柄のもの以外で雷雨に見舞われたことがない。土砂崩れも、記録には一度しかない。それくらい、安定した平和な町だったはず。


 この地で亡くなる人も当然いるけれど、何かに追われた人が来るほど辺境でもない。恨み恨まれのような大きな揉め事があったなら、すぐに町中に噂が広まるような人々の強固な繋がりもある。町に恨みを持っていた人なんて、聞いたことがない。



「もしかすると、すぐにこの町を通り抜けていくかもしれない。大丈夫だよ」


「そうだと良いんですけど」



 紅焔が不安げな声を漏らす。宥めようと紅焔の背中に触れた瞬間、目の前が真っ青になった。


 ピシャーンッ……バリバリッ


 音と同時に、空を割りさくような雷鳴。



「火災、見てきましょうか?」



 紅焔の引き攣った表情と震えている声。いつもの雷ではない。それが分かってしまったら、怖いのなんて当然だ。



「いや、私が行く。紅焔は中にいてくれるかい?」



 もしかして、もしかして。なんて。そんなことを考えたって仕方がないと分かっている。だけど、碧がいなくなってからというもの、落雷の度に期待して外に出てしまう。


 この非日常も、もしかして。


 期待を押し込めて、刀を腰に差して檜櫓の扉を開けた。はずだった。また、扉に触れる前に私の方に接近してくる。


 ゴッ



「うぅっ」



 この短時間に二度も同じところをぶつければ、情けない声も出る。刀の柄に手を掛けて顔を上げようとした瞬間、温かな、けれどびしょ濡れな何かが目の前を覆った。


 黒い、着物。桃色の、昼顔の花。少し獣っぽい、雷の酸っぱさを秘めた香り。それが何かを確認する前に、抱き締めた。離さない。離したくない。



「とう、さま」



 か細く震えた声。もう、見なくたって分かってしまう。



「碧っ」



 ぎゅっとさらに力強く抱き寄せて、頭を摺り寄せる。ああ、碧だ。ふわふわしていて、柔らかくて。碧、私の、宝物。



「とうさまぁっ」



 泣きじゃくる声に、一度身体を離す。久しぶりに見た碧は、少し背が伸びている。垂れ目が少し緩和されていて、少しだけ、お姉さんに近づいている。


 だけどたっぷり溜め込んだ涙をぼろぼろと零している翡翠色の瞳は変わらない。私に縋ってくる、この小さな手は変わらない。



「碧、碧なんだね……」



 頬に触れて、涙を拭ってやる。拭いきれないほどの涙が落ちてくる。頬の温かさも、柔らかさも、確かに碧だ。視界がぼやけて、堪らなくなって、また碧を抱き締める。



「え、えと、その、お、俺、外見てきます!」



 後ろから聞こえた戸惑い混じりの声。ドタバタと出ていく足音。もう、全部どうでも良い。碧がここにいる。それだけで、もう、どうでも良い。



「碧、元気だったか? 寂しくなかったか?」



 どうしてここにいるんだろう。また、行ってしまうのだろうか。笑顔で、幸せに暮らしていたのだろうか。聞きたいことは山のようにある。だけど、言葉に詰まる。


 私の碧。可愛い碧。生きていてくれて、また会うことができて、抱き締めることができて。どれだけ幸せか。


 掻き抱くようにさらに抱き締める。背中に感じる、小さな手が私の羽織を握り締める力強さ。私を求めてくれているという事実が、ただ愛おしい。



「とうさまっ、とうさまぁっ」



 必死にしがみついてくる碧。私はその必死さに少し落ち着いて、背中をそっと擦ってやる。



「大丈夫だよ。私は、ここにいるからね。碧がそばにいて欲しいと言うなら、ずっとそばにいるよ」



 たとえ血の繋がった父親ではなくても。碧にとって本当の父親になれるなら。それ以上に、そばにいて欲しい人であれるなら。私は全力で碧のそばにいる。隣で、手を繋いで、抱き締めて。いつまでだって、そうしてあげたい。


 だって、大好きなんだ。愛おしいんだ。私に、笑顔をくれる。私を明るい未来に連れて行ってくれる。そんなこの子が、大切だから。



「しゅ、春燈さん! お客さんです! その、碧ちゃんの」



 外から叫んできた紅焔が、口籠もる。その様子だけで、誰が来たのか分かってしまった。



「碧、一つだけ、答えて欲しい」



 碧は、こくりと頷いて、その翡翠色の瞳で私を真っ直ぐに見つめた。その瞳に映る私は、不器用な笑みを浮かべながら、縋るような顔をしている。



「碧は、どこで暮らしたい?」



 誰のそばにいたいのか。どこにいたいのか。


 私と町にいたいと言ってくれたら嬉しい。閃たちと天上で暮らしたいと望むなら、きちんとお別れをして送り出したい。私のそばにいたいと言ってくれるなら、そこが天上だって行ってやる。町で暮らしたいけれど私とはいたくないなら、それも受け入れる。



「碧の正直な気持ちが知りたいんだ。碧が決めたなら、私は力になるからね」



 碧が笑ってくれるなら、何でも良い。一年で下手くそになってしまった私の微笑み。碧には、こんな想いをさせてはいけない。


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