白燐の毒深に手を出して
夢真
序:気になるあの子の姿
「おーい
ランドセルを片方だけ背負って、池崎が走ってくる。
髪はボサボサ、顔はもう笑ってる。
「わっりー、忘れた。お前、どうせやってないんだろ?」
俺はにやっと笑って、手をヒラヒラ振った。
嘘だ。ちゃんとランドセルの奥に入ってる。
でも見せてやんねー。バカは怒られとけ。
「うわ、マジかよ。先生またブチギレだな。
……おまえんち、兄ちゃんに怒られても平気っぽいよな」
「いや、あいつマジでうるせーからな。
昨日とか“床に物を置くな”で30分説教だぞ?」
池崎が吹き出す。
「うわ、それ兄貴あるある」
「でさ、言うこと聞いて床に置かなかったら今度は
“それは床なの”って。どういうことだよ。」
二人で笑いながら、いつもの教室へ向かう。
俺は笑いながら、頭の中で“今日の見せ場”を思い出していた。
(そろそろ……来る頃だな)
教室の隅のロッカー。一番下段。
昨日こっそり仕掛けておいたプリントの罠。
たっぷり詰め込んで、扉が開いたら雪崩れるように細工してある。
狙いは、あの子。
ガラッ。
静かに開いた教室のドアから、ひとりの少女が入ってきた。
黒髪セミロング。姿勢がいい。いつも静か。
少しだけサイズの合っていないワンピースが、どこか目を引いた。
地味なのに、目立つ。そんな感じの子だった。
彼女がロッカーの前に立ち、何の警戒もなく扉を開けた――その瞬間、
――バサバサバサッ!
音を立てて崩れ落ちるプリントの山。白い紙が教室の床にぶちまけられた。
「うわっ……!」
「やば、何これ」
周りの生徒たちがざわつく中、すぐに一人の女子――田村が駆け寄ってきた。
「あっ、ちょっと、大丈夫!?」
田村がしゃがみ込む。真澄も静かに膝をつき、黙ったままプリントを拾い始めた。
――何も言わない。驚かない。笑わない。
怒っても、困ってもいない。
ただ、紙を一枚ずつ集めている。
「誰かが突っ込んだのかな?」
「……わかんない。」
「えー、地味にめんどくさいね。てか、絶対あいつじゃん……」
田村が冗談っぽく言っても、真澄はぽつりと返すだけだった。
「はい、これで全部?」
「……うん。ありがとう。」
「いいって!」
(……なんだよ、それ)
遠巻きにその様子を見ながら、胸の奥がざらつくのを感じた。
ちょっと驚いて、ムッとした顔でもしてくれたら、それでよかったのに。
でも彼女は、ただ静かに片付けて、何事もなかったみたいに席へ向かっていく。
(つまんねー……てか、なんか)
――気に入らない。
◆
放課後。
佐々木の表札についていた虫を振り払う。
ランドセルを放り投げるようにして玄関に飛び込んだ。
靴を脱ぎ捨てる勢いのまま、自分の部屋へ一直線。
ドアを開けて――
「…………は……ぁ……?」
そこには、積まれたままの雑誌の山があった。
カラフルな背表紙が高く積み上がり、机の横を完全にふさいでいる。
(ま、またかよ……)
注意深く通ろうとしたそのとき、山のバランスがぐらりと傾く。
「うわっ――」
バサッ、ドサッ!
無数の雑誌が床に散らばった。表紙がめくれ、
ページが広がり、まるで紙の海みたいに広がっていく。
「……マジで……もうっ!!」
奥歯を噛んだまま、別の部屋のドアを勢いよく開けた。
「兄貴! なんだよあれ!」
部屋の中、ゲーム機を握ったままベッドに寝転んでいた兄・
ちらりと目だけを動かす。
「んあ?……ああ、あれな。読んでないかなーって思って、置いといた」
「読んだよ!とっくに!知ってるだろ!覚醒のとこでうおーってなってただろ!」
「あー……そうだっけ?」
「そうだよ!つーかあれ、山だよ!山崩れだよ!災害だよもう!」
兄貴はあくび交じりに言った。
「まあいいじゃん。山ってロマンあるし。登れるし。」
「意味わかんねぇよ……っ」
両手をぎゅっと握って、ひとつ息を吐くことしかできなかった。
「もう……いいよ。わかったよ……」
ドアをバタンと閉め、部屋に戻る。
ドアの向こうから聞こえるのは、またゲームの音だけだった。
ため息混じりに、山を崩して、積み直す。
(なんで俺がやんなきゃ……はぁ……)
怒っても、響かない。
兄貴のこと、うるさいって言えば言うほど、どうでもよさそうに返される。
……でも。
ふと、思い出す。
黒崎のこと。
あの時、プリントばら撒いたのに、
なんにも言わなかった。
怒りもしなかった。
少し眉をしかめただけで、あとは淡々と片付けて終わり。
……おかしいだろ。やっぱり。
普通、もうちょいムカつくとか……恥ずかしいとか、あるだろ。
されても何も感じてないって、
どうでもいいってことか?
(……なんか、ムカつく。)
◆
数ヶ月後
いつも通りの朝。
少し違うのは池崎が風邪を引いたらしい。
「バカは風邪をひかない」は嘘だな。あいつバカだし。
それより、今日はどうだ?
あのロッカーの細工も、うまくいけば今度こそ“面白い反応”が見られるかもしれない。
そう思いながら教室に入ったら、もう片付けが始まってた。
「……あ?」
白い紙の束を拾ってる、細い手。
黒髪がふわっと揺れて――やっぱり、あいつだった。
黒崎真澄。
崩れたプリントを、何も言わずに拾ってる。
(またかよ……)
ちょっとタイミング外したっぽいけど、それよりも――
目が、合った。一瞬だけ。
けどすぐに逸らされた。
(は?)
……なんだ?
今までそんなこと……
てか、無視? こっち見といて、なんもなし?
なんでそんな顔すんの。なんでいつも、そうなんだよ。
こっちが何しても、あいつは変わらない。
怒らない。笑わない。びっくりもしない。
(……なんなの、マジで)
こっちはからかってやってんのに。何かしら返してこいよ。
それが普通だろ。ムカついていいだろ、こんなの。
近づいて、声をかけた。
「……なんなの? なんか用?」
真澄は俺を見て、あの変な目のまま言った。
「いや……別に……」
(別に、じゃねぇだろ)
こっちがどんな気分で聞いてんのか、何も考えてねぇのか。
ほんと、暗いんだよ。意味わかんない。ちょっとは普通にすればいいのに。
「お前さー、暗いんだよなー。もっと笑えよ」
あいつは、まっすぐ俺を見た。
その目は、何か困っているようで。でも。
かわいそうなもんでも見るような目で。
「……ごめんね」
……謝るなよ。そういうのじゃねぇんだよ。
ふん、って悪態だけして、席に戻った。
(……気に入らねぇ)
◆
放課後。
掃除当番を終えたあと、職員室に呼び出された。
うっぜぇな……とか思いながら、とりあえずノックしてドアを開ける。
担任の先生が、腕を組んでこっちを見てた。
いつもより、ちょっと真顔だった。
「佐々木、座って」
言われるままに椅子に座ると、先生は机に肘をついて、まっすぐに俺を見てきた。
「黒崎さんのことだけど……最近、ちょっとやりすぎだと思うよ」
「……別に。俺、なんもしてないけど」
「“なんも”はないよ。ゴミを仕掛けたり、
机の中に変な物入れたり、からかったり……。
毎日じゃないけど、ちょっとずつ、続いてる」
「……だから、ちょっとからかってるだけだし」
俺はそう言った。ほんと、それだけだと思ってる。
けど、先生の目はむしろ険しくなっていった。
「それで、彼女が困ってるの、見てたでしょ?」
「別に……困ってなかったし」
「それ、佐々木くんが決めること?」
きつめの声だった。
でも、俺は引けない。引いたら負けみたいで、目をそらしながらつぶやいた。
「……てか、あいつ無反応じゃん。なんも言わねーし。
なんか言えばいいじゃん、普通に……!」
気づけばちょっと声が大きくなってた。
「だからって、そういうことしていい理由にはならないよ。
“何も言わないからやっていい”なんて、違うでしょ?」
「……うるせぇな」
また言ってしまった。その言葉が、逃げだってわかってても。
「うるさいのはそっちでしょ。
“何が気に入らないのか”って、私は聞いてるの」
先生の声は、静かだけど、鋭かった。
目を逸らそうとしたけど、できなかった。
「何が……って、別に……なんでもいいだろ、そんなの……」
口の中でごちゃごちゃになった言葉が、濁って漏れた。
「“なんでもいい”じゃない。人をからかうなら、ちゃんと理由があるでしょ。
言えないなら、それはただのいじめだよ」
心臓が、トクンと跳ねた。
いじめ。
その言葉が出た瞬間、喉の奥に何かが詰まる感じがした。
(ちげーよ……そんなつもりじゃ……)
でも言葉にならなかった。何も言えなくなった。
なんで、そんなに胸の奥がざわついてんのか、俺にもよくわからない。
気づけば、手のひらの中で、シャツのすそをぎゅっと握ってた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます