第6話:魔法使いとの再会、現代の占い師は過去を知る(後編)
「一番得意な魔法は何だったんですか?」
田村の質問に、リーゼルは少し考えてから答えた。
「防御魔法かしら。特に『水晶の壁』という魔法が私の代名詞だったわ」
「水晶の壁?」
「ええ。透明な壁を作り出す魔法よ。どんな攻撃も跳ね返すことができた」
「四天王との戦いでも使ったんですか?」
「もちろん。特に『炎の四天王』フレイムロードとの戦いでは大活躍したわ」
俺は懐かしい気持ちで二人の会話を聞いていた。リーゼルの『水晶の壁』は本当に頼りになる魔法だった。何度も俺たちの命を救ってくれた。
「お待たせしました」
千夏が田村の前に土瓶蒸しを置いた。田村は嬉しそうに蓋を取った。
「いただきます!」
一口飲むと、彼の顔が輝いた。
「うまい! 本当に精霊の森のキノコの香りがしますね!」
「あら、精霊の森を知っているの?」
リーゼルが驚いた顔をした。
「はい! 勇者さんからよく聞いてました。あそこで二人が薬草を探していて、魔物に襲われた話とか」
「まあ、よく覚えているわね」
リーゼルは感心したように俺を見た。
「あなた、本当に詳しく話してるのね」
「まあな。田村は熱心なリスナーだからな」
「これって……『沈黙の義務』に違反してないかしら?」
リーゼルが小声で言った。椎名と田村は「沈黙の義務」という言葉の意味がわからず、不思議そうな表情をしている。
「だって、誰も信じちゃいないだろ?」
「本当かしら?」
リーゼルは田村を見つめた。田村は少し照れたように笑った。
「僕は信じてます! 勇者さんの話を」
「ほら見ろ? 問題あるじゃない」
「いや、一人や二人が信じたところで……」
「それが何人になれば問題だと思うの?」
リーゼルの鋭い質問に、俺は答えに窮した。確かに「定年」の条件には「沈黙の義務」があった。テラルドの存在を現代の人間に知らせてはならないという。
「あの……『沈黙の義務』って何ですか?」
椎名が恐る恐る質問した。リーゼルは俺に視線を送った。言うべきか言わざるべきか、という意思確認のようだ。
「まあ、言ってしまえば……」
俺は少し考えてから続けた。
「『定年』になる時の条件の一つだ。テラルドのことを現代の人間に話してはならないという」
「でも、なぜそんな条件が?」
「それは……」
「それはまだ話せないことよ」
リーゼルが割り込んだ。
「すみません、聞かなければ良かった……」
椎名は少し萎縮した様子だ。リーゼルは少し表情を和らげた。
「いいのよ。好奇心は自然なこと。ただ、全てを知ることには時が必要なの」
「時間が必要……ですか」
「ええ。物語には順序があるものよ」
俺はリーゼルの対応に少し驚いた。彼女は昔から厳格で、ルールに忠実な性格だった。「沈黙の義務」についても厳しい立場のはずなのに、なぜか今は曖昧な態度を取っている。
「リーゼル、お前……何か企んでるな?」
俺の言葉に、リーゼルは微笑んだだけだった。
「ところで、勇者」
リーゼルは話題を変えた。
「魔王との最後の戦いのことを話したことはある?」
「いや、まだだ。それは『定年』に関わることだからな」
「そう……賢明ね」
「でも、いつか話すつもりだ。この二人には」
椎名と田村の顔が輝いた。
「本当ですか!」
「魔王との決戦、ぜひ聞きたいです!」
二人は口々に言った。リーゼルはじっと俺を見つめていた。
「あなたがそのつもりなら、私から止めはしないわ」
「どういう意味だ?」
「いずれわかるでしょう」
またも謎めいた言葉だ。リーゼルは熱燗を飲みながら、静かに微笑んでいる。
「リーゼルさん、今は占い師をされているんですよね?」
椎名が質問した。
「ええ。『紫眼の魔女』という名前で、新宿で占い店をやっているの」
「すごいですね。占いって当たるんですか?」
「ええ、まあね。魔法は使えなくなったけど、直感だけは鋭いままだから」
「行ってみたいです! お店の場所は?」
田村が熱心に尋ねた。リーゼルは小さな紫色の名刺を取り出した。
「ここよ。興味があれば来てみて」
田村と椎名は名刺を受け取り、興味深そうに見つめた。
「行ってみます!」
「私も時間があれば……」
二人は名刺を大切そうにしまった。俺はリーゼルをじっと見つめた。彼女が何を企んでいるのか、まだ読み切れない。
「それで、勇者。あなたは『定年』になって、第二の人生をどう過ごすつもり?」
「特に考えてないよ。毎日ここに来て、酒を飲んで、話をして……それで十分だ」
「それじゃあ退屈じゃない?」
「まあな。でも、テラルドでの35年間はハードだったからな。少しくらい平和に過ごしたっていいだろ?」
「そう……」
リーゼルはなぜか少し寂しそうな表情をした。
「あなたはずっと戦士だったから、平和な生活が物足りないんじゃないかと思ったわ」
「最初はそうだった。だが、今は……」
俺はふと言葉に詰まった。確かに、「たぬき屋」での時間が心地よい。椎名や田村と話すのも楽しい。それで十分なのか?
「……今は、これでいい」
「そう」
リーゼルは何かを見透かしたような目で俺を見た。
「でも、いつか『定年』の意味を理解した時、あなたはどうするの?」
「どういう意味だ?」
「考えてみて。なぜ私たちは『定年』になったのか。なぜ現代に戻されたのか」
「それは……」
「まだ答えは出せないでしょう。でも、いつか出すべき問いよ」
リーゼルの言葉には意味深さがあった。
「あの、リーゼルさん」
田村が恐る恐る声をかけた。
「はい?」
「フリーデさんは……今どうしてるんですか?」
リーゼルの表情が一瞬曇った。
「それは……」
「まだ話せないことだ」
俺が代わりに言った。
「すみません……」
田村は落ち込んだ様子だ。
「いいのよ。気にしないで」
リーゼルは優しく笑った。田村は少し安心したように見えた。
「リーゼルさん、もう一つ質問していいですか?」
椎名が言った。
「何かしら?」
「テラルドは……本当に存在するんですか?」
リーゼルは椎名をじっと見つめた。そして静かに言った。
「あなたの心の中で、答えはどうなの?」
「私は……」
椎名は考え込んだ。
「科学的には信じられないけど……でも、お二人の話を聞いていると……」
「直感を大切にするといいわ。論理では説明できないことも、直感なら理解できることがある」
椎名はゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます」
俺は二人のやり取りを見ながら、リーゼルの真意を探ろうとしていた。彼女はなぜここに来たのか。そして、なぜ椎名や田村にテラルドのことを話すのを黙認しているのか。
「リーゼル、正直に言ってくれ。お前は何のために俺に会いに来たんだ?」
リーゼルは熱燗を飲み干し、静かに徳利を置いた。
「警告するためよ」
「警告?」
「ええ。『定年』の条件を破れば、代償があるってことを思い出させるため」
「代償……」
俺は少し身を固くした。「定年」になる時、確かにそんな話があった。条件を破れば、何らかの代償があるという。だが、具体的には説明されなかった。
「何の代償だ?」
「それは……体験してみないとわからないわ」
リーゼルの口調には、かつての厳格さが戻っていた。
「でも、私からのアドバイスよ。『沈黙の義務』は絶対ではないの。大切なのは、話す相手と、話す内容」
「どういう意味だ?」
「文字通りの意味よ。理解できるわね?」
リーゼルは立ち上がった。
「もう行くのか?」
「ええ、用事はすんだから」
彼女は千夏に会計を頼んだ。
「でも、また来るわ。この店、気に入ったから」
「ぜひまた来てください」
千夏は微笑んだ。その表情には、何か意味深なものがあった。
「椎名さん、田村さん、お会いできて嬉しかったわ」
「こちらこそ!」
「ぜひまた話を聞かせてください!」
リーゼルは二人に優雅に会釈して、カウンターを離れた。俺も立ち上がり、彼女を入口まで見送った。
「リーゼル、本当にお前の目的はそれだけか?」
暖簾の前で、俺は小声で尋ねた。リーゼルは俺をじっと見つめ、そして小さく囁いた。
「真相を探るのはあなた自身よ、勇者。なぜ『定年』になったのか、なぜ現代に戻されたのか。そして、この『たぬき屋』が何なのか……」
「この店が……何だって?」
「考えてみなさい。なぜあなたはここに引き寄せられた? なぜ椎名さんや田村さんもここに来た? そして、なぜ千夏さんはあなたの話を信じているの?」
「千夏が……?」
「じゃあね、勇者。また会いましょう」
リーゼルはそう言って、暖簾をくぐって店を出て行った。俺は残された謎に頭を悩ませながら、カウンターに戻った。
「勇者さん、大丈夫ですか?」
椎名が心配そうに尋ねた。
「ああ、大丈夫だ」
「リーゼルさん、すごい人ですね……」
田村が感嘆の表情で言った。
「本当に魔法使いだったんだ……」
「ああ、テラルド一の魔法使いさ」
俺は熱燗を飲みながら、リーゼルの言葉を反芻していた。「たぬき屋」の謎……千夏の正体……。
「千夏」
俺は呼びかけた。千夏は静かにカウンターに寄ってきた。
「なぜ俺の話を信じる?」
千夏は少し考えてから、静かに答えた。
「うちの店のモットーは『客の話は全部本当』ですから」
「それだけか?」
「……それだけです」
千夏の目には何か隠しているものがあるように見えた。だが、それ以上は話そうとしない。
「そうか……」
もう一つの謎が加わった。「定年」の謎、リーゼルの目的、そして「たぬき屋」と千夏の謎。全てが繋がっているのか、それとも別々の謎なのか。
「勇者さん」
椎名が静かに言った。
「リーゼルさんが本当にテラルドの人なら……あなたの話も本当なんですね」
「ああ、ずっと言ってただろう?」
「でも……科学的には……」
「科学では説明できないことがあるさ。リーゼルの言う通りだ」
「私……少し混乱しています」
椎名は正直に告白した。
「当然だろうな。あんたにとっては、俺の話はただのフィクションだったんだから」
「でも、不思議と……怖くはないんです」
「怖い?」
「ええ。普通なら、異世界の人間が目の前にいると知ったら、怖いはずなのに……なぜか安心して聞いてられるんです」
「僕もです!」
田村も同意した。
「勇者さんの話を聞くと、勇気が出るんです。リーゼルさんの話も同じでした」
「そうか……」
俺は二人の言葉に少し安心した。少なくとも、彼らは俺の話を恐れてはいない。むしろ、前向きに受け止めてくれている。
「まあ、詳しい説明はまだできないが、いつか全部話せる日が来るさ」
「約束ですよ?」
田村が熱心に言った。
「ああ、約束だ」
「魔王との決戦も話してくださいね」
「ああ、それもな」
三人は静かに酒を飲みながら、それぞれの思いに耽った。リーゼルの訪問は、多くの謎を残していった。だが、同時に何かが動き始めた予感もある。
「もう一杯どうですか?」
千夏が声をかけた。
「ああ、お願いする」
「私も」
「僕も!」
三人は頷いた。千夏は新たな酒を注ぎながら、静かに微笑んだ。その表情には、何か秘密めいたものがあった。
「それにしても、リーゼルさんが本当に現れるなんて……」
椎名が感嘆の声を上げた。
「いつか、カルストンやフリーデにも会えるんでしょうか?」
「さあな……」
俺は右手の指輪跡を見つめた。フリーデとの約束、そして別れ……。いつか話せる日が来るのだろうか。
「勇者さん、リーゼルさんの言ってた『定年』の意味って……」
田村が恐る恐る尋ねた。
「今はまだ話せないんだ。すまないな」
「いえ、いいんです。いつか話してくれるなら」
「ああ、約束するよ」
三人は再び静かに酒を飲んだ。店内には不思議な静寂が流れていた。
「時間ですね」
椎名が時計を見て言った。
「今日は本当に特別な日でした」
「ええ、忘れられない夜になりました」
田村も頷いた。
「俺もだ」
三人は会計を済ませ、席を立った。
「また来てくださいね」
千夏がいつものように言う。
「ああ、また来るよ」
「はい、また来週!」
「私も近いうちに」
三人は暖簾をくぐって外に出た。夜風が冷たかったが、心はなぜか温かい。
「じゃあ、また」
「はい! リーゼルさんのお店にも行ってみます!」
「私も時間があれば」
三人は別れの挨拶をして、それぞれの方向に歩き始めた。
俺はアパートへの道を歩きながら、今夜の出来事を思い返していた。リーゼルとの再会、彼女の警告、そして「たぬき屋」と千夏の謎……。
「定年」の真相はまだ見えない。だが、少しずつ糸口が見えてきた気がする。いつかすべての謎が解ける日が来るだろう。そして、その時には椎名と田村にも全てを話そう。
今はまだ「沈黙の義務」があるが、リーゼルの言うように「絶対ではない」のかもしれない。大切なのは「話す相手と、話す内容」……。
アパートに着くと、俺は窓から夜空を見上げた。同じ空の下で、リーゼルも星を見ているのだろうか。そして、フリーデはどこにいるのか……。
明日もまた、「たぬき屋」に行こう。そこには何か特別なものがある。それが何なのか、まだわからないが、いつか必ず見つけ出すだろう。
そんな決意を胸に、俺は目を閉じた。長い一日だった。
***
つづく
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