チンチンは玉から始まる

 芝生の上を潮風が通り抜ける。

 雲一つない青空が公園を照らしていた。

 公園には、羽を休める鳥のさえずりと潮騒の音がわずかに響くだけだった。

 人の気配はなかった。しかし、人影はあった。

 彫刻のようにその男は芝生の上に立っていた。背筋を伸ばし、両足を肩幅に広げ、膝を少し曲げ、胸の高さで両腕を軽く湾曲させて微動だにしない。

「良い站椿だな」

 真柴双六の前に現れた男が言った。

「鷹山先生が亡くなった」

 双六は姿勢を解き、その男と向き合った。

「そうか」

「お前のせいだ」

 暗く重い声だった。

「恨まれる理由はない」

「それはお前の言い分だ」

 潮風が芝生をざわめかせた。

 双六が間合いを詰める。

「待て」

「もう三年。十分待った」

 双六が拳を放つ刹那、気を充足させる。

 そして、震脚。

 全身に溜まった力が拳を絞り出そうとする。

 双六は力の流れに身を任せた。

 パン!

 その男、黒滝重松に向けて放たれた双六の拳が空気を叩いた。

「よせ。崩拳しか使えないお前では、師の二の舞になるだけだぞ」

「関係ない」

 双六は再び間合いを詰めようとした。しかし、

 パシッと黒滝の拳が顔に軽く当たる。

 双六は考えるより先に息を吸った。

 全身を勃起したチンチンのように気で張り詰めさせる。


 硬直――


 双六が防御態勢を取った瞬間、黒滝の拳が襲ってきた。

 腕を回して繰り出される最速の連撃。

 止むことのない衝撃。

 息つく暇もない。

 双六は焦っていた。

 勃起したチンチンの硬さを長時間維持できる者はいないように、硬直もまた維持できる時間は限られている。

 連撃が止んだ。

 双六は衝撃に備えた。

 硬直は反応を遅らせる。それを見越した黒滝は両手を引き、十分に溜めて放った。


 双打掌――


 硬直していた双六でさえ吹き飛ばされた。

 双六と黒滝の距離が3メートルほど離れる。

「鷹山師父はお前に三体式すら教えなかったのだろう?」

 黒滝が言った。

「だから何だというのだ」

 双六が答えた。

 分かっていた。鷹山は己の拳法を一撃必殺と呼んでいた。しかし、その実態は暗殺術だった。

 鷹山は確かに最強の一撃を持っていた。ただし、その一撃を当てるための方法がなければ意味がない。

 鷹山が最強の拳を当てる術を持っていたのかは、今となっては分からない。言えるのは、鷹山が実践でその方法を試す必要すらなかったということだ。避ける術を持たない相手に拳を当てることを生業としていたのだ。

 三体式を教えない。その意味も双六は今は理解している。

 功夫の極まった拳は使い手すら壊す。崩拳で言えば“木”の気。それが偏れば自然と体は崩壊に向かう。だからこそ、中国拳法は五行を循環させるのだ。

 金・水・木・火・土。

 だが、鷹山は双六に崩拳しか教えなかった。

「見逃してもいいんだぞ。お前のような偽拳法家は問題にならない」

 黒滝が言った。それは単なる挑発だった。それでも、それは双六の芯を抉る言葉でもあった。

 双六が吠えた。獣のような咆哮だった。

 双六が駆ける。

 間合いが縮まる。

 読み合いも何もない。

 黒滝の正面に双六が立つ。

 駆けてきた勢いのまま、黒滝の中心に向けて崩拳を放つ。

 黒滝はそれを難なく横に避けた。

 バン!

 空気が弾ける。その轟音は黒滝の鼓膜を破いた。

 双六の拳が伸びてきた。

 中腰から顔に向け放たれたそれは、黒滝の頬をかすめた。

 鑚拳の形を模した不器用な拳だった。

 だが、拳には十分な勁が乗っていた。

 その証拠に、黒滝の頬がビリビリと痺れている。

 黒滝は思わず前蹴りを出し、距離を取った。

 双六は自身の変調に気づいていた。抑えきれぬ気功が体中を巡っている。溜まりに溜まっていた気はドロドロに膿んで粘り気さえ帯びているようだった。それはまるでオナ禁した精子のようだと感じた。

 いいだろう。好きにさせよう。

 双六は暴走する自身の気功に身を任せた。

 自分の功夫は師父とは違う。

 己の功夫はチンチンだ。

 そして、チンチンは拳銃とは異なる。一番の違いは引き金だ。

 拳銃で銃弾を飛ばすには、引き金を引くという明確な意思が必要だ。しかし、チンチンは違う。

 精子を飛ばす、つまり射精するとは、抑えきれぬ情動を解き放つことだ。

「一撃だ」

 双六が呟いた。

「通用しないと言っているだろ」

 黒滝が返した。

 双六が踏み込む。

「甘い」

 黒滝が下がり、受け流す。

 双六は崩拳を放った勢いのまま半歩踏み出した。

 男には玉が二つある。

 全霊を込めた拳の先に最強の拳があった。

 今までの拳を絞り出す感覚とは違う。

 全身が焼かれるように熱い。

 双六は体ごと絞り出されるように拳を突き出した。

 絶頂


 大皇炮捶拳――


 逃げ場を求めていた双六の気功が右拳に乗り、黒滝の肩を射抜いた。

 黒滝の肩は砕かれ、横に倒れて地面を転がる。

 双六は成し遂げたと思った。初めてチンチンが精通を迎えた時と同じ感動を味わっていた。

 チンチンを形象した拳法、チンフーが誕生した瞬間だった。


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オナキンカンフー 玉の章 あきかん @Gomibako

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