第6話 聖女の決意

 普段見ていた場所の変わり果てた姿にマナは言葉を失った。


 子供たちが言っていたように、王宮は森と同じく闇のように暗い。

 瓦礫がれきが重なる王宮、理性がなくなり暴れている人型の魔物、負傷してうめき声を上げる騎士たち。

 地獄があるとするならば、こういう場所なのだろう。


 上空では魔女が愉快犯のように笑っている。

 その姿を見上げるも、今の自分には憎しみを込めた視線を向けることしかできない。


 ──違う……! 今は私に出来ることを……!


 悔しさと怒りを押し殺し、マナは倒れている騎士たちの治癒を始めた。


「お願い……死なないで……! もう大丈夫ですから! 頑張って!」


 マナは必死に声をかけ続けながら、手当たり次第に負傷している人たちの治療をしていく。

 次に目に入った騎士は仰向けで倒れ込んでいて、意識がないように見えた。

 すぐに近寄って心音を確認する。


「……! まだ息がある!」


 急いで治癒魔法をかけると、騎士はぴくりと身体を震わせて意識を取り戻した。

 

「…………っがは!」

「よかった! 気が付きました⁉︎」

「…………マナ……様?」


 意識を取り戻した騎士はうつろな目をしていて、喋るのもやっとそうだ。


「大丈夫ですか?」


 その問いに、騎士は小さく首を縦に振って答える。

 心の傷は治癒魔法では治せない。

 なるべくその傷が悪化しないようにと、明るく穏やかに振る舞う。


「ならよかったです。動けるようになったら、すぐに避難してくださいね」

「…………マナ様……」

 

 騎士は朦朧もうろうとし、震えながら手をこちらに差し伸べてきた。

 指先は力が入らないようでだらんとしている。

 

 ──感謝の握手? それとも他に?

 

 意図はわからなかったが、彼を不安にさせないよう微笑み続ける。

 すると、彼の口がかすかに動いた。

 

「………う、しろ……に」


 警告に気づき、急いで振り返る。

 そこには一匹の魔物。

 長く大きく鋭利えいりな爪をこちらに振り降ろそうとしている瞬間だった。


 ──うそ……でしょ?

 

 助けを求める間も神に祈る間もなく、反射的にぎゅっと強く目をつぶるしかできなかった。


 

 直後、金属同士が激しくぶつかる高音がキンと耳を刺した。

 鼓膜に響く音だったが、引っかかれるか最悪切り裂かれると身構えた身体はどこも痛くない。

 眉を寄せたまま、右目からそろりと開く。


 目に入ってきたのは、剣を持って立っているあの悪魔と、倒れて微動だにしない魔物の姿だった。

 その光景に驚きながらも、恐る恐る悪魔に訊ねる。


「もしかして、助けてくれたの……?」

「契約前に死なれては、元も子もないからな」


 どうやら善意で助けたというわけではなさそうだ。悪魔らしいと言えば悪魔らしい。

 それでも助けられたのは事実であり、その行動に少し驚きつつも感謝をするしかなかった。


「……ありがとう。これでまた、傷ついた人たちを助けられる」

随分ずいぶんとご立派な聖女様だ。お前ごときの力で、なんとかなるとでも?」


 悪魔は薄ら笑い皮肉めく。

 なんと言われてもいい。力のあるないではない。

 聖女として、母の娘として、一人の人間として、出来ることをやらなければ。

 

「私には、この人たちを助ける役目がある……! だから悪魔……あなたには、あの魔女を倒してきてほしい!」


 意思の固まったマナの顔におびえや恐怖の色は見えなかった。

 その言葉を聞いた悪魔はにやりと笑い、口元から牙のような歯をのぞかせる。

 

「それは契約か?」

 

 悪魔はまたマナのあごをすくい上げた。

 

「……悪魔と契約はしない。これは『お願い』。悪魔なら倒せるんでしょう? 悔しいけど、もうあなたにしか出来ない」


 なにがあっても皆を守る、助けると心を決めたマナの言葉は力強く、己の信念と悪魔への信頼感で満ちている。

 悪魔はじっとマナの瞳を覗き込み、その深さを探るように見つめる。

 マナもまた、揺るがぬ決意を込めて悪魔の瞳を返した。


 数秒の静寂が流る。

 やがて悪魔はゆっくりと手を放し、ふっと微笑んだ。


「悪魔に指図さしずとは、どこまでも強情な女だ。いいだろう、せっかくの地上だ。俺も楽しみたいと思っていた」

「悪魔……!」


 マナの表情がわずかにほころぶ。


「ただの気まぐれだ。それと、俺の名は『悪魔』ではない」


 悪魔は剣を握り直し、静かに告げる。

 

「レイ=ディアダマス」


 そう名乗った悪魔は、無言のまま上空へと飛び立った。



꧁——————————꧂



 レイが空へ飛んだ後も、マナはひたすらに治療を続けている。

 さすがに疲労の色が見えていた。

 連続して治癒魔法を使っているのもあるが、模擬戦の時と違い皆損傷が激しく、一人あたりに費やす聖力が増えていたのも原因だった。

 

「いたぞ! こっちだ!」


 少し先の方から騎士の急き込む声が聞こえてくる。

 ただならない様子でこちらに駆け寄ってくる騎士の動揺や声色から、只事ではないことはすぐに察せられた。


「マナ様……!」

「どうしたんですか⁉︎」

「フェアラート様が……!」


 騎士は顔面蒼白で息を切らしながら助けを求めてきた。

 

「教会でフェアラート様が倒れている! 重傷だ! 早く来てくれ!」

 

 急くような騎士の手に引っ張られながら、マナはその場から駆け出した。


 ………………

 ………

 …


 うずくまるようにして倒れているフェアラートからは生気を感じられず、血の気もありそうにない。

 彼の純白の貴族衣装が真っ赤に染まり、おびただしい出血は地面までも赤くしている。

 かろうじて意識はあるようだが目は焦点が合っておらず、だらしなく開いた口からは血を垂れ流していた。


 その光景に一瞬顔が引きつってしまう。

 見るからに、この戦場でフェアラートが一番死に近かった。


「……できる限りのことはやってみます!」


 気を張り直し、フェアラートのそばで膝をついて治癒魔法をかけ始める。

 

 脳裏では昨晩聞いたフェアラートと執事の会話がちらついていた。

 この王宮でしいたげられる発端ほったんを作ったのはこの人。

 優しくしてくれていたのも嘘。

 それを知った時、どんなに辛く悲しかったか。

 

 それでも、マナは治癒魔法を止めなかった。


「絶対に死なせない……!」


 みんなを助け守るためにここにいるんだと、さらに聖力を込めた。

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