十二月二十二日 午前一時(2)
「兄ちゃん、やっぱりいるよ」
先導していたジロが、長い時間を掛けて戻ってきた。俺達三人はなるべく固まって、光を隠している。あちら側の光が見えないということは、こちらの光も見えていないということだ。そう心配することも無いだろうが、念には念を入れておきたい。
ジロを偵察に行かせたのは、最も体重が軽くて、足音が響かないから。加えて暗闇での行動にも慣れている。クロも夜目が利く方ではあったけれど、身長百八十後半で、更に鍛えた体が出す足音はそうそう消えない。
「女はいたか?」
「ううん。いなかった、と思う。なんかおっさん達がキャンプしてた」
「……なんとなくほのぼのしてそうだな。銃は?」
「わかんなかったけど、持ってると思う」
「サンキュ、ジロ」
クロはジロの頭をわしゃわしゃと撫でた。最初に会ったときの敵愾心は完全に消え失せているようで、やめろよー、と小声で言いながらも嬉しそうに目を細めていた。年上から褒められるのなんて久しぶりだからだろう。
「そうなりゃ後ろか。ハチ、オマエの策は使えそうだな」
「ああ、よかったよ、本当に」
冷汗を拭った。気温は相当低いはずなのに、汗が止まらない。その理由は、俺の傍でうずくまっているタロのせいだった。
「タロ、本当に大丈夫か?」
「え、ええ。なんとか」
タロの声は震えていた。無理もない。この埋め合わせは後でするとしよう。
千和さんの願いを叶えるのであれば、これしか方法は無いはずだ。
問題。千和さんはどうして俺達を穏便な方法で上野に向かわせた?
解答。強硬手段を取ることでしか上野に入れないから。
単純な話だ。恐らくこの先でキャンプをしている人間は、千和さんと利害が一致していない。
もしかしたら筑波の人間なのかもしれないし、上野に引きこもっている人間の協力者なのかもしれない。どちらにせよそれらの人間は千和さん、ひいては他の人間を上野の中に入れたくない事情を持っている。
そしてタロの存在。タロか、タロの持つなにかが上野に入るためのカギになっているはずだ。
そうなると千和さんの目標達成条件は、まずタロを捕らえ、かつ上野に入る道を塞ぐ人間を制圧すること。これを一人でやるのはかなり厳しい。
だからタロを俺達にここまで運ばせて、更にガードを突破させ、その後に俺達、いやクロを襲撃し、千和さんは悠々と上野に入る。これが彼女の計画だろう。
で、あれば。
千和さんにタロが一人で来たと誤認させ、千和さんがガードを何とかしようとしているところに乗り込み、全部の勢力を叩き伏せて上野に入る。それが取れる手段の中で最もスマートなやり方だ。
自分の命を最優先する。タロを危険に晒しても。良い人でなくなっても。
千和さんがいくら俺達を露払いに使うとしても、それは効率化のためだけであって、ひとりでこの先にいる人間を制圧できない、なんてことではないだろう。そんな片手落ちの策を練るような人間ではないと信じたい。それならば、一人でいるタロを抱えたままなんらかの手段で守衛を制圧するはずだ。
俺達は、その制圧――次善策の、千和さんが取りたくなかった手段――が終わった瞬間、タロを連れて千和さんが上野に入るまでの間に千和さんを捻じ伏せ、タロを取り返して、上野の中に入る。
要するに千和さんが俺達にやらせたいことをし返す、というわけだ。
成功率の試算なんか、知ったことじゃない。これが一番丸く、綺麗に収まる。
「タロ、いいか。絶対に抵抗しちゃ駄目だからね。俺達が来ていることも絶対に言わないで。君はただ、千和さんに連れていかれればいい」
「は、はい……頑張ります……」
タロはぎゅっと、小さな掌を握りこんだ。責任の重大さもあるけれど、この子が心配しているのは演技が上手くできるかどうかだろう。
「なあ、おれも隠れなきゃだめなのかよ」
「オマエもそれなりにやれんだろ。不意打ちするんだったら人数は多いほうがいい」
ジロはタロと離れるのが心配なのか、ずっと不満げに口を尖らせていた。これまで気づいてきた信頼は瓦解してしまったようで、少し悲しい。俺を見る目は、完全に悪人を見るそれになっていた。
「それじゃ、俺達は隠れようか。タロ、頼んだよ」
「はい……!」
力強い返事だった。この子なりに腹を括ってくれたか。
隠れ場所は、最も近い地上への抜け道の途中だ。幸いすぐに見つかった。この上にもセキュリティ万全で、エリートが住んでいた家があるのだろう。
目隠しの蓋を開けて、そこに俺、ジロ、クロの順番で登る。戦力順だ。特にクロにはタイミングを間違わずに降りてもらう必要がある。
クロが蓋を閉める瞬間、取り残されたタロと目が合った。
くりんとした瞳は、薄く濡れている。覚悟が決まっている揺れない瞳と、その淵に溜まった涙を見て、心臓が押しつぶされそうになった。
クロが登り切って、蓋を本当に僅かに開いたままにしておく。タロのライトが僅かな隙間から入り込んでいて、それだけが俺達の光源だった。
俺がこの提案をしてからというもの、クロのテンションは低い。興味が失せたわけではないようだ。ライトに照らされた漆黒は、確固たる意志の炎が燃えている。背中と足を器用に突っ張らせて姿勢を保持しながら、思索を巡らせているのか眉間に皺を寄せていた。
その理由を聞きたかった。その前に、クロは口を開く。
「ジロ、辛くなったらオレに捕まって体勢変えろよ」
「……ああ」
ジロのテンションはもっと低い、というより心配で心配で仕方が無いのだろう。
円錐の中で待つ時間は、それほど長くないと踏んでいた。最長でも日の出までには、つまり二、三時間以内には千和さんは来るだろう。そうでなかったら、その時はその時だ。警備員達を蹴散らして行くだけ。それの成功率を考えたら、この上で暫く休んでもいいかもしれないけれど、とりあえず今考える必要はない。
ただ時間が流れていく。俺達は三人が三人とも、喋らなかった。意識を薄い蓋の下に集中していたからだ。おしゃべりに興じるほどの余裕は全く無い。
鈍化していく感覚。頭の中が刺激を求めて喚き出す。
これでよかったのか? 子どもを危険に晒して、自分の身を守って、それで満足か? 自分の声が頭の中でリフレインする。
それに対する答えを、俺はまだ持っていない。
ぼんやりとした不安に身を任せるのはうたた寝しているときとよく似ている。気分が最悪なのを除けば、だが。
そんな曖昧な状態でどれくらい待っただろうか。一時間は経過していないはずだ。なぜなら俺の体の感覚は十全で、とりあえず動きそうだったから。足がとんとん、と小さく叩かれる。ジロの小さな手が俺のスニーカーに触れていた。一気に意識が現実味を帯びてきた。
音は聞こえない。が、クロが体勢を変え、蓋に足を触れさせたのでわかった。
千和さんが来ている。
遠いところで小さく聞こえる、ソプラノ。ジロの顔をちらりと見る。不安と安心が混ざって泣きそうになっていた。一番心をすり減らしているのは、彼かもしれない。
俺は下に意識を伸ばした。伸ばし過ぎた。
余りにも集中し過ぎたせいで、上にまで意識が回っていなかったのを、誰が責められるのか? 敢えて言うなら自分自身か。
光が、射していた。
ここで覗いているのが天使だったら、まだ少しは救われたかもしれない。嘘だ。それって死ぬ寸前じゃないか。だからと言って目をかっぴらいた髭面の男がこちらを向いているのが嬉しいわけでもない。
あ、と叫ぶ前に男が、叫んだ。
「誰だァッ!」
凄い声量だった。あ、これヤバいかも。俺じゃなくて男が。
大声を発した警備員は運動不足だったのか、大声を出しただけで体勢を崩した。そのまま顔面から落ちてくる。最悪の絵面である。夢に出そうだ。
俺はそれに反応できない。体が完全に固まっているのを、俺は幽体離脱でもしたように客観的に認知していた。
自分の体の主導権を取り戻してまず最初にやったのは、ジロの体に多い被さり、叫ぶことだった。
「クロ! 頼んだッ!」
クロは返事を返さなかった。全身全霊、全力で彼は長く逞しい脚を伸ばして、蓋を蹴り飛ばす。瞬間光が開けた。
ジロの、事態を把握しきれていないぽかんとした顔を、抱きしめる。野太くも情けない声が響いてくるのを確認。
すぐに衝撃。俺の脚は梯子を外れた。
トンネルの高さはおよそ三メートルほど。落ちてどうにかなるか? いやわからない。考える余裕なんて無い。円錐の壁が緩く、段々と早く流れていく。
千和さんと、タロの顔が見えた。
そう視認できたのは奇跡だったろう。
回転。世界が一気に逆流する。
重力から解き放たれ、背中に男の体重、胸元にジロのつんつんとした髪の毛を感じながら。
こういう時は足から落ちたらまずかった気がする。折れるから。ならば背中から? ジロを抱えて、体を捻る、男が邪魔。無我夢中で男の体を掴んだ、
猫を意識して、足を上に。
どん、でもどすん、でもない。もっと肉を打つような音が、からんと地面に落ちた蓋が立てた音と混ざって耳に入る。
肺の中の空気が、一気に外に出て行く。
激痛。
「――――っ!」
声に鳴らない悲鳴が無意識に上がった。けれど体は動く。すぐにジロを抱えたまま、立ち上がろうとして、体の下にある何かに躓いた。
あ、そうか。警備員を下敷きにできたのか。心の中で感謝の言葉を思い浮かべながら男の体の上から転がり落ちた。
視界が真っ黒のまま戻らない。
こういう時こそ深呼吸。
空気を入れ替える間、ありがたいことに場は動いていなかった。
「兄ちゃん!」
胸の中のジロがバタバタと動いて、俺の腕の中から抜け出す。それでやっと視界が開けた。どうやらジロの頭に顔を突っ込んでいたようだ。
沈黙。
千和さんが、それはもうびっくりした顔でこちらを見ていた。
「…………」
絶句している。
「ええと……その」
「敵襲――ッ!」
俺が言い訳をする暇も無く、俺達が落ちてきた穴から大きな声が入ってきた。続いて、梯子を下りる音。
「ハチ! 生きてっか!」
クロはタロを抱えて、千和さんから距離を取っていた。最高だぜ、相棒。
「あ、あなた達……」
「千和! 細かい話はあとだ! オマエ、銃持ってっか!?」
「は、はい」
「突っ切るぞ! 行くんだろ! 上野!」
クロは猛然と走り出した。ぽかんとしたままの千和さんは、それも一瞬で、すぐに凛とした顔に戻って、腰から黒い物体を取り出した。
「あなた達! 走って!」
千和さんの声は叱責に似ていた。ジロなんか、はい! と元気よく返事していた。先生に怒鳴られた時のことを思い出す。
俺は足を前に出して、反対側を出して、その反対を、反対を、前傾姿勢で足を無我夢中で前に出した。
流れていく景色。疼く背中。肺は空気を求めて全力で拡張される。アバラが折れていないと信じたい。
ランタンが床に置かれている。その周りを三人、警備員が取り囲んでいた。髭面の中年男性ばかりでうんざりだ、と理不尽に怒鳴りつけたくなった。彼らは一様に目を大きくして、飲んでいたペットボトルを溢した。
彼らの腰には銃がぶら下がっている。黒光りするそれは一瞬で死を連想させた。だが、それを掴む暇さえ、クロは与えなかった。
黒い残像だけが、視界を飛び回る。
飛び蹴り、エルボー、平手打ち。型に嵌らない動きは野性的で、効率的だった。二人が一瞬のうちに気を失う。最後の一人だけはなにか大声で叫ぶ猶予を与えた。その時間を無駄にせず、銃を掴むことに集中していれば、千和さんの鮮やかなアッパーカットを顎に食らって脳を揺らすことも無かっただろう。
俺はクロが投げ捨てるようにこちらに押したタロをキャッチする。タロは完全に目を回していた。華奢な肩を抱いて、走ろうとした。タロの脚が覚束ないのでじれったくなって、お姫様抱っこにスムーズに移行。全力でタロを運んで、ドアに近づいて、すぐに下ろす。驚くほどスムーズに動けたのは、火事場の馬鹿力という奴だろうか。
「タロ!」
俺が耳元で叫ぶと、はっと意識を取り戻し、すぐにドアに目を向け、瞬時に事態を把握してくれた。
「十秒だけ時間をください!」
タロの声が大きく響く、その残響を打ち消すように、複数の足音が鳴った。距離は五十メートルも無い。大人が走れば七秒くらい。三秒を埋めるにはどうすればいいか。クロに目配せした。
クロはもう、動いていた。自分でのした男の肩にかけられた銃を取り外そうとする。絡みついて離れない。一秒すら惜しいこの状況で大きなタイムロスだった。
似たような格好の警備員達が、俺達を指差す。
その瞬間、乾いた音が鳴った。
「動くなッ!」
世界が、完全に止まった。
明確な敵意の籠った裂帛の声と、床に燻ぶる穴。
千和さんは、銃を警備員達に向けていた。
耳が壊れてしまったのか、千和さんの声はモノラルにしか聞こえなかった。
「開きます!」
タロはドアに備え付けられたパネルに数字を打ち込みながら、言った。か細いソプラノは裏返っていて、それがまた大人達の意識を逸らした。
口を開く扉。動き始める警備員達。
最初に飛び込んだのはジロだった。すばしこい動きでドアを強引にこじ開けると、タロの手をしっかり掴んで、引き込んだ。
千和さんもすぐに後に続く。一瞬、俺達を見て動作が止まったのを、強引に背を押して扉に飲み込ませた。
わざとじゃない。コケただけ。
ぎゃあ、だかひょえ、みたいな情けなさすぎる自分の声が左耳からだけ聞こえる。地面が視界一杯に広がり、鼻先に触れた瞬間に、物理法則を無視して、鼻を地面が掠めながら俺は扉の方にすっ飛んでいく。
ベルトが掴まれた。ぶん投げられた。
そう気づいた頃には顔から思いっきり固い地面にぶつかり、しかも勢い余って前転した。そのままぐるりと回って、天を仰ぎ、すぐに背中に衝撃。いよいよ背中がぶち壊れるんじゃないかという危惧と、背中の耐久力は正面の七倍、という胡乱な知識が脳味噌を駆け巡った。
音が、止んだ。俺はすぐに立ち上が――ろうとして、呻いた。
「クロォ!」
叫ぶことしかできなかった。俺の頭に、ばしん、と衝撃。
「ここにいる」
クロの、少し疲れたような、しゃがれた声が聞こえた。
足音も、怒号も聞こえない。五人分の荒い息だけが、扉を抜けることができた。
かなり計画からは逸れたけれども。いや逸れすぎだろ。
「おい、全員ケガねぇか」
クロは既に落ち着きを取り戻し、立ち上がった。全員をざっと見回して、扉に近寄る。簡単に開かないことを確認し、何度か叩いてから、肩の力を抜いた。
「なんっ……なんなんですか……あなた達……」
千和さんはへたり込んだまま、銃に何らかの操作をして、腰に戻す。俺はずるずると何とか立ち上がって、壁に背中を預けて座った。
「いやあ、奇遇ですね、千和さん」
「奇遇……それ、皮肉ですか?」
「そういうつもりでもないんですけど……痛っ」
ずきんずきん、拍動と共に背中が痛み出した。タロが俺の元に寄ってきて、肩に手を掛けた。
「大丈夫ですか? ハチさん……」
心配そうな声は、弱弱しく震えている。そこそこ高いところから落ちて、その上トドメに大回転、その様子を全部見ていたタロは、さぞかし俺の怪我が気になるだろう。俺も気になる。大丈夫なのか、俺。ちなみにジロは完全に放心状態になっている。処理能力の限界を超えたらしく、何も言わずに口をぱくぱくと開いては閉じるだけだった。
「なんとか生きてるよ……」
俺の間抜けな、とことん無様な俺達の姿を見て気が抜けたのか、千和さんはとても長い、これでもかと長い溜息を吐いた。
「はあ……本当に……いいえ、まずは状況の確認をさせてもらってもいいですか?」
「おう。いいぞ」
なんでちょっと偉そうなんだよ。ツッコもうとして、背中が痛んだ。とりあえず千和さんとクロが話している間に、上を脱いでおこう。
「あなた達はどうして落ちてきたんですか?」
「オマエの不意を打ってやろうと思ったんだけどな。いきなりオッサンがハチを巻き込んで落ちてきた」
「……ふざけてます?」
「マジなんだよ」
千和さんは訝し気に睨みつつ、続ける。
「しかし、不意打ちですか。ということは、私の意図や策は全て気づいた、ということですね?」
「ああ。多少わかりづらかったけどな。なんとか」
「多少? はあ、本当にあなた達は優秀ですね」
皮肉を込めて千和さんは言ってから、当たりを見渡した。俺も同じように視線を動かす。
扉の向こう側は、空気が澄んでいた。黴臭さも鉄臭さも無い。かといって外のような清涼な空気ではなく、どこか嘘くさい匂いがする。鼻の奥でつんとするのは、きっと頭の中が揺さぶられ過ぎたからだけではないはずだ。
床はこれまで通ってきたトンネルのような、車が通ることを想定しているわけではない、つるりとしたものだった。歪んで自分の顔が映る白い床を指でなぞるとひんやりとしている。病院の床によく似ていた。
「それで、ええと……そちらの子どもは、子どもギャングの?」
「スペクターズだ!」
ジロは物怖じせずに千和さんを睨みつける。その視線を受けた千和さんは、不可解さを隠そうともしていなかった。
「ええと、あなたは……」
「おれはジロ、んでこっちのがタロだ」
「お姉さんが探してたのは、ぼくだと思います」
「……失礼。その、男の子、ですよね?」
「はい。正真正銘、男です」
タロはにっこりと微笑んだ。服装も顔も女の子にしか見えないけれど、男だ。本人申告ではあるが、デリカシーを持ち合わせている千和さんは、それ以上追求することは無かった。
その代わり、意識の矛先がこちらに向かってくる。クロは早速煙草を取り出して、千和さんに一本差し出した。千和さんは頭を軽く下げて受け取ると、クロが自分の煙草の先に火を点けるのを待ってから、自分もポケットからライターを取り出して、点火した。
「なあ、千和。アンタはどう動くつもりだったんだ?」
「あなた達がドアの前の人間を倒した後、タロ、君? を攫って、私とタロ君だけが扉の向こう側に入り、あなた達と分断する予定でした。そうすればここから出るのも楽になっているでしょうしね」
「だけど、現実はそうならなかった、と」
俺がそう纏めると、千和さんは煙草を上向きにして、じろりとこちらを睨んでくる。相当お冠らしい。くわばらくわばら。
「ままならないことには何度も遭遇してきましたが、これは指折りですね。とても、とても面倒です。タロ君が一人で居るところを見た時には最悪だと思いましたが、それを一瞬で更新してきました」
「全員無事なんだから何よりじゃねぇか。ここから先、オマエがどうするかで事情は変わってくるけどな」
「なんです? また私に、人質を取れと? 滅多なこと言わないでください。そんなことしてもどうせまた言いくるめられるに決まってます。それに……」
千和さんは自分の腰に目を落とす。黒光りするそれは、俺達に危害を加えるには最適なものだ。
けれども、それを抜こうとは、しなかった。
「こんなものを持ち歩いているんです。人質を取ったら、それは脅迫になります。そこには協力も、妥協もありませんから」
「ありがたいお言葉だよ。オレも命の取り合いなんざしたくねぇ」
クロは飄々と、何でもないようにそう言った。やりたくないだけで、やれるのだ、こいつは。とことん危険人物だと思う。
「だが、落とし前はつけてもらうぜ。説明責任と言い換えてもいい」
「私がなぜ、あなた方を誘導したかですか? それともこの扉一枚挟んだ向こうに居る人間の正体? もしくは……この先にいる人のことですか?」
「それと地上の状況もだ」
クロは犬歯を覗かせながら、指を鳴らす。渇いた音は通路の先まで飛んでいく。まだまだ道は長そうだ。
「歩きがてら、話すってのはどうだ?」
「……ええ、その方がいいでしょう。ただ、ハチさん。あなたは大丈夫ですか?」
「なんとか。多分」
俺はジロとタロに背中を摩られ顔を歪めながらも、懸命に笑顔を作った。
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