十二月二十二日 午前一時(1)
地下道を抜け、地上に出る。深夜の静まり返った街は月明かりに照らされていて、静謐をこれでもかと充満させていた。俺達四人分の息遣いの他には、鳥の鳴き声が僅かに聞こえるだけだった。
事前にルートは確認してあるので、先導するクロとジロの足取りに淀みはない。土地勘のあるジロはクロに負けまいと足の回転を速めては、後ろにいる俺とタロを振り返って、速度を落とす。その間も、会話は全く無かった。
どこに大人がキャンプを張っているのかわからない以上、あまり大きな音を出したくはなかった。俺とクロだけならともかく、小学生二人がいるのでなるべく荒事は避けたい。もっともジロは俺よりも喧嘩慣れしていそうなので、タロの身を案じて、ということになる。
俺の隣をひょこひょこと、運動神経に優れない小さな子ども特有の跳ねるような歩きで進むタロを、横目で盗み見た。動くたびに長い髪の毛が揺れ、尻尾のようだった。
三十分ほど歩き、汗ばんでくる頃になると目的地の、地下トンネルへの通路がある民家に辿り着いた。なるほど、蓮木さんの家とよく似ている。ここも公安が使用する臨時拠点の一つなんだろう。タロは先導する二人を追い抜いて、家の門を開け、ドアの前に傅いた。何かと思えば植え込みを漁り、小さな黒い箱を取り出す。月光に照らされてもなおその仔細を判別することはできなかった。
タロは慣れた手つきでその黒い箱を鍵穴に押し付けた。バチン、と音が鳴る。町の中に響いた音は、電柱で途方に暮れていた鴉を逃げさせる。タロは当たり前のようにドアを開けた。
スタンガン、なのか? あの無骨な箱が?
玄関に入り、靴を脱がずにそのまま上がり込んだ。タロがドアを施錠し終わってから、俺は口を開いた。
「今のは?」
「ええと、手製の高圧電流破砕開錠装置です」
「……ぶ、物騒な名前だね」
「要するに電子キーぶっ壊し装置だ。それ自作だろ。やるじゃねぇか」
クロは感心したように顎に手を添えた。電子キーと聞いてピンとくる。蓮木さんの家がなぜ荒らされていなかったかを思い出した。セキュリティが高い家、というのは物理の鍵ではなく、電子の鍵を使用しているからなのか。ここも同じような構造だったようだ。
「ホームセンターにはいろいろありましたからね。三か月間で色々試して、これが、一番確実性が高かったんです」
タロは得意げに胸を反らした。実際得意になって然るべき特技だと思う。
別れて地下道への入り口を探すのに、時間はかからなかった。一階の寝室のカーペットの下に、目立たない形で蓋があるのを、クロが見つけた。そこを開けると予想通り地下室の階段が広がっている。すぐにそこに入り込み、地下室から更にトンネルに降りた。トンネルへの通路は五メートルも無いくらいで、本当に助かった。子ども二人を危険に晒したくはないし、何より俺の体力が削られ、以降の活動に影響を及ぼすからだ。情けない事実。
はしごは相変わらず冷たそうだった。こんな時のために手袋の一枚でも持ってくればよかったと今更になって後悔する。子ども二人は用意周到に持ってきていたらしく、グリップのついた手袋を嵌めていた。
「オレが先に降りる。んで、一応誰も居ないか軽く確認する、だったよな?」
「はい、お願いします。まだ距離があるので誰かがいる可能性は低いですが」
「いてもどうにかなるだろ」
クロは軽くそう言って、なんの躊躇もなく縦穴の中に体を下ろした。俺はタロが不安そうに俺を見てくる。俺は頬を掻きながら、軽く笑ってみせた。
タロが俺達を巻き込んだ理由の大部分を占めるのが、道中の安全性の確保のため。巡回している人間がトンネルの中にいるらしく、その露払いをクロなら担えると、タロは判断したらしい。
しかしその根拠はジロが捕まった、という事実しかない。タロはクロの実力を間近で見てはいないのだ。不安になるのも無理はない。俺は気休め程度にしかならないと知りつつも、タロの頭を軽く撫でながら、言った。
「大丈夫だよ、クロは。相手がどんな武器を持ってる人間だったとしても、あいつは平気だ」
「……ハチさんは、どうしてそこまでクロさんを信用しているのですか?」
「単純な話。あいつは信用に足る人間だってことを、何度も俺に証明してくれたからさ」
理解できない、という顔をするタロを尻目に、俺も掌を何度か結んで開き、動作を確認する。ここで格好つけて梯子から落ちたらシャレにならない。
俺はとりあえず下を向いて、梯子を伝い始める。降りて行く途中、上から俺よりも遅いペースで聞こえてくる梯子を踏む音に、なんとはなしの罪悪感を覚えながらも、決して上を見ないまま、梯子を降りきった。
地に足を付けてからも、俺は上を向かずに、遠くを眺める。クロは既に先に行っているようで、トンネルの奥にぼやけた白い光と、影が見える。俺が落ちたらどうするつもりだったんだろうか。
暫く待って、タロの足先が見えた。俺の尊厳のために言っておくと、落ちてきた時には受け止められて、なおかつ真下にならないような位置に移動して、タロが降りてくるのを見守っている。なので丸い通路から生っちろくて細い脚が見えるのも仕方ないことだ。
おずおずと降りてくるタロと、対照的に獣のような身のこなしで降りてくるジロの二人を確認して、立ち上がる。先導するクロを追って、俺達は歩き出した。
地下道は、俺達が研究学園都市から抜け出した時に使ったそれよりも、遥かに綺麗だった。黴臭さも鉄臭さも思ったほどではなかった。俺が鼻を鳴らしていると、ジロが不思議そうに尋ねてくる。
「なあ、兄ちゃん、どうしたんだよ。くさいのか?」
「その逆。意外と綺麗だなって。前通ってきたトンネルはもっと黴の匂い酷かったからさ」
「ふぅん。そういうもんなのか」
「まあ、ぼく達の鼻が慣れてしまっているせいもあるでしょうね」
子ども二人は俺をさしおいて、二人だけでやいのやいの喋り出してしまった。まあ、うん。放っておこう。これからどうせ長く歩くのだし、気が詰まるよりかはこっちの方がいい。
しばらく子どものやりとりに耳を傾けつつ、先を行くクロに追いついた。彼は壁にもたれて、一服していた。
「おう、この先も人間はいなかったぞ。どうしたんだよテメェら。ギャーギャー騒ぎやがって」
だってだってと言い出す子ども達を、手をひらひら振るだけでクロは黙らせた。鬱陶しがる顔が余りにも露骨だった。
「ま、ここから先は暫くなんにもねぇだろ。そうだよな?」
クロに問われたタロは、一瞬で顔つきを大人びたものに変えた。
「はい。この先、ぼくの予想では一時間ほど何もなく進めるでしょう」
「根拠は? 県境か?」
「はい。東京都に入るまでは、安心だと思います。道すがら色々と説明をしたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、行こう。時間は止まっちゃくれねぇからな」
クロは吸い殻を足で揉み消して、歩き始めた。
クロを先頭に、俺とジロが、タロを挟むようにして横並びになって、進んでいく。これが一番安全な陣形のはずだ。頼むからいきなり敵が降ってきたりしないでくれよ、と願いつつ、タロの話に耳を傾ける。
「東京都が今どうなっているかは、ご存じですか?」
「いや……全然知らないや。クロは?」
「オレもハチと同じくらいの知識量だ」
「では、最初から説明しますね……ジロ、お願いしてもいいですか?」
「任せろ」
ジロは胸を張って、それからリュックの中にある地図を取り出す。俺達の物と似ているけれど、いくらか簡略化されている。そういえば拠点の中に元々書店もあったはずだ。小学生とか中学生向けの地図だろうか。わかりやすく色が付けられたそれを広げて、タロに渡した。
「クロの兄ちゃんは地図、見れないな」
「問題ねぇ。頭の中に入ってる。ハチが見れればそれでいい」
「ん、わかった。えーと……おれも自分の目で見たのは県境の外から、双眼鏡でなんだけどさ。まず、人がめっちゃいる。でも、多分普通の人じゃない。制服着てたりするから、多分警察とか、自衛隊とか。武器持ってる人もいた。んで、一般人っぽい大人をこう、とおせんぼしてた」
ジロは地図を持ったまま、腕を組む。なんとなく情景が浮かんできた。
東京に入ろうとする人間と、それを押し留める何らかの武装集団。いよいよきな臭いというか、末法の風景だ。
「で、街の方は閑散としてる感じ。全然人いなかったんだよな。多分警備員みたいな人がどかしてるんだろうし、そもそもそんな今にも喧嘩始まりそうなところに居ようとする人はいないけどな」
やっぱりだ。俺はクロの後頭部に視線を飛ばした。反応は無いが頭の中で素行を巡らしているはずだ。
そもそも俺達は最初のルートとして地上からの東京侵入を考えていた。だが、俺もクロもどこかでそれが難しいのではないかと、口にはしていないものの感じていた。その裏付けが取れたのは、悪い情報ではない。
「だから東京に出入りするには地下、っていうかこのトンネルしかないんだけど……」
「ここも三か月前は誰かが使っていたようです。どんな集団なのか把握できていませんでしたが、車を使用して機材を運んでいたみたいです」
タロがジロの話を継いだ。タロが言っているのは恐らく研究学園都市に研究資材を運んでいた伊達さんや、彼らのような研究者を囲い込んで離反した、寝坊病に対抗するグループだろう。それが露呈して、千和さんの所属する公安と国家、この眠りまでの短い時間を安全に過ごすために奔走するグループは、この通路を監視、封鎖することになった。最終的にタロ率いるスペクターズがアスファルトを流し込み、その分断は完全なものになった、という流れだ。
もう一つ、上野にいるタロの父親のグループ。これがどの勢力に与しているのかがわからないが……このトンネルの先に誰がいるかを確かめれば、自然とわかってくるはず。
「なので、東京に入るにはこの道が一番手っ取り早いかなと」
「正しい評価だ」
低い声の中に、皮肉が籠っていた。無理もない。どのグループの人間が出てこようと、それは危険なものになることに変わりはない。その先鋒を任せようと言うのだから、タロの強かさが垣間見える。
「それで、このトンネルの終着点ですが……恐らく、上野であると、そう見当をつけています」
「そう、それだ」
クロはいきなり振り返ったかと思うと、力強く指を鳴らした。タロは目を丸くしているし、ジロはちょっと引いていた。いきなりテンションが振り切った上に目を輝かせるクロは、高らかに叫んだ。
「どうして上野なんだ? それはオマエの父親に関係があるのか? わからなさすぎて気が狂いそうだぜ、マジで」
「それにしては、随分と楽しそうですが」
「楽しいから、興味があるからこそ人は狂うんだ。大人になりゃわかるさ、だろ? ハチ」
「俺に振るなよ……」
俺もそんな気持ちは全く分からないから、安心してほしい。子ども二人にそんな生温い視線を飛ばすと、タロはあからさまな愛想笑いを浮かべた、ちょっと口角が引き攣っている。
「え、ええと……そうですね。それについてもお話ししましょう。なので、その、歩きませんか?」
「ん? ああ、そうだな」
クロは犬歯を覗かせて歩き始めると同時に、煙草に火を点ける。白い人工の光の中で、煙草の先に灯る赤く、鈍い光が浮いて見えた。
「ぼくの父親が上野の国立科学博物館にいる、というのは昨日お伝えした通りです。しかしそれとはあまり関係がありません。とても単純に、あなた達と出会ったのと同じ方法で、知ったんです」
「同じ?」
「はい。刑事さんのような人から荷物を奪って、その中の地図から。上野にはまだ物資がある事がわかりました。物資の流れがビッチリ書かれていたので、解読には苦労しましたが。公安の人、だと思います。眠りに入っていたので楽だった……そうですよね?」
「うん。空き家で完全に眠ってたぜ。寝坊病で眠ってる大人は絶対起きないから、盗むのは楽だったよ。スーツ着てたし、随分身なりきっちりしてたし、警察手帳も持ってたからな」
地図。それが俺達と同じ。
クロが、足を止めた。
待て、そうだ、絶対におかしい。ぞわりと粟立つ背中。脳内で何度も何度も火花が飛び散る、ジッポーライターの出すアレと似たような、ばちんとしたやつ。
「公安が地図だと? ふざけんな。そんなもの持ち歩く必要がねえ。オレはハチにも分かりやすいようにって為だけに地図持ってたんだ。千和だって持ってなかった。公安刑事が持ってるはずがない。それは合理的じゃねぇ」
クロは思いっきり牙を剥き出しにして、今にも噛みつきそうな形相だった。
「で、では……」
「それは罠だ。本当の狙いはオマエら、か」
頭の中に、あの童顔で、少し不愛想で、理知的な顔が思い浮かぶ。
千和さんの存在で、全てが繋がった。
「寝坊病への対策のためにスパイをしていた千和さんの話はしたよね?」
「はい。その女の人が?」
「うん。父親が上野にいる研究者のタロを、上野までの道に誘導しようとしているんだろうね。近くにわざわざトンネルの存在を気付かせるための地図を置いてさ。俺達も千和さんに誘導されていた節はある。つまり――」
「ぼくの父が、寝坊病のなにか核心に触れていると?」
「恐らくね。更に言うと、多分地上から正攻法では接触できないようになってるんじゃないかな。心当たりは?」
「いえ、手紙……なんてあてにはできませんし、通信もほとんど通じません。科博……国立科学博物館に行く、とだけ言って、それきりでしたから。そのすぐ後になって寝坊病が蔓延して、それで」
タロの渋面は見ていて苦しかった。痛々しかったと言い換えてもいいかもしれない。それは実の肉親が何かを握っていることと、よくわからない誰かにハメられた屈辱の二つの色が混じり合っている。
知能はあれど、やはり詰めが甘い。とんとん拍子で進んでいる時こそ、疑うべきだ。
手に入れたものと自分を。自戒を込めて頭に刻み込んでから、クロに向き直った。
「そうなると、この先にいる人間がどの勢力になるのかで、話は随分変わってくるぞ。どうする? クロ。出直すか?」
「本来ならそうしてぇが、時間が足りない」
わかるからこそ面白くない。クロの気持ちは痛いほどわかった。クロは煙草をもう一本取り出した。気が付けば吸い殻が足元に転がっている。
「なんかよくわかんねーけど、大変なのか?」
ジロは能天気に頭の後ろで手を組んで、そう言った。タロは呆れたようにジロの額にでこぴんをすると、難しい顔のまま、ジロに言い聞かせる。
「大変なんですよ。その千和さん、という人がなにを考えているかはさておくとしても、ぼくたちをこのトンネルを通って上野に行かせた、というのは事実です。上野がどうなっているかはわかりませんが、地上からは入れない可能性が高いです。ちょうど東京の県境のように。ですが、地下なら? いいえ、そうではないですね、恐らく地下でも何らかの要因で入れないんでしょう。それを打破する何かが、恐らくぼくにあるのだと思います」
「じゃあさ、今もしかしたらこのトンネルの中に、その千和、って人がいるかもしれないってこと?」
「はい。もしくは、すぐに追いつくかと」
「じゃあさ、その千和って人をぶっ飛ばしちゃえばいいじゃん。そしたら安全に上野に行けるだろ?」
「相手は公安ですから。どんな装備を持っているのかわかりません。返り討ちに遭う可能性も高いでしょう」
「でもさ、それってトンネルの終着点にいるかもしれないやつらと、あんまり変わらなくないか?」
ジロはあっけらかんにそう言い放つ。確かにそう、なのだが。
「ジロ。オレだって銃を持った人間に、正攻法で勝てるとは思ってねぇよ。せいぜいが不意打ちだ。でも千和を相手にする時は違うだろうな」
「ふぅん……ま、そうか……」
クロの口から自信満々な言葉以外が出てくるのが意外だったのか、ジロの口調は少し困惑が滲む。
あれ? 何かがおかしい。
「なあ、クロ」
「どうした?」
クロは真剣な表情で、煙草を燻らせている。どうでもいいが、集中力を高めるときにもリラックスするときにも煙草を吸うのはどうしてなんだろうか。そんな全く関係ない問題提起を脇に押し退けて、聞く。
「千和さんはさ、どうしてタロを人質にしないんだろう」
「……あ?」
「いや、単純な話でさ。俺達を誘導したのはタロに上野行きを決断させるため、だよな?」
「ああ。トンネルの終着点を誰かが見張っていると考えられない愚鈍じゃないと、千和は知っていたからだ。事実、その通りになっている」
「うん。タロの性格なら自分が出向くはずだ、ってところまで推測していたんだろうなって思う。親子だから会いに行きたいってなるだろうって考えたのかもしれないけど。それでさ、多分銃とか千和さんが持って、待ち伏せするなり、後ろから追っかけてくるわけだ」
「武器の調達のために俺達と出発をずらしたんだろうな」
「でも、今のところはまだなんのアクションも起こしてきていない」
「そうだな。それがどうした?」
「いや……使えるかもしれないぞ、これ」
俺は頭の中で策を組み立てる。
悪いことというのは大概が、他人を踏みにじる行為だ。好意や権利、その他諸々を阻害、破壊する行為。それはやりたくもない。
でも反対なら話は別だ。
俺は少しばかり覚えがある。良いこと、つまり他人に得をさせる行為だったら、どうとでもなる。
そのための策ならば、思いつく。
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