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 いよいよ、取引の日である。

 黒木は辰野を乗せた車の助手席に乗り、お台場へ向かった。これが映画やドラマなら夜なのだろうが、人通りがあったほうが人の目を誤魔化せるので昼日中である。

 いつものことだが、さすがにこの時ばかりは緊張する。何年もかけて積み上げてきたことが、今日一日にかかっている。

 助手席で、悟られないように深く息をついた。

 お台場に着くと、辰野は鞄を持って歩き始めた。黒木はその後ろに、ぴったりとついて歩いた。

「出たぞ、黒木だ」

「待機しろ」

「全員待機」

 それを見ていた高橋が、無線で連絡する。手に汗握る、検挙の瞬間である。

 人混みの向こうから、帽子を被った男がやってくる。その手には、紫色の鞄が握られている。

 辰野はゆっくりとそちらへ歩いて行った。

 そしてその帽子を被った男と辰野がすれ違った一瞬、二人は鞄を互いに持ち替えた。

「やった。すり替えたぞ」

「検挙」

「行け」

 高橋が号令を出すと、警官たちが一斉にそこからなだれ込んでいった。たちまち、現場は制服の警官でいっぱいになった。黒木は両手を上げて、無抵抗を示している。

「な、なんだなんだ」

「両手を上げろ。警察だ」

「鞄をこっちに寄こせ」

 帽子を被った男も、警官に捕らえられた。

「お前もこっちに来い」

 黒木は私服の警官に連れていかれた。

「辰野啓吾、麻薬取引の現行犯で逮捕する。瀬名垣組と勝瀬組の屋敷にも今ごろ警官隊が行ってるよ。お前らはおしまいだ」

 黒木はそれを背中で聞きながら、連れていかれるに任せていた。

「黒木捜査官、ご苦労様です」

「おう」

 途中で私服の警官が解放してくれて、黒木はそこでお役御免となった。高橋が歩み寄ってきて、照りつける弱い日差しをまぶしげに見た。

「本当にこれでいいのか」

「もう決めたんだ」

 高橋は肩をすくめて、それから車の方へと戻っていった。それを見送ると、黒木は煙草を取り出して火を点けた。

 その黒木に、近づいてきた男がいた。

「おっさんよう」

 吹野だった。

「なにやってんだよこんなとこで」

 彼はへらへらと笑いながら、煙草を咥える黒木を見つめている。

「裏切りかよ。あんた、警察の犬だったのかよ。俺、今からおやっさんとこ行ってこのこと言ってやんよ。そしたらあんた、半殺しだよ。ざまあねえな。散々俺のこと馬鹿にしやがって。ああ? おっさんがよう」

 吹野はふらふらとこちらへとやってくると、ぐい、と黒木の胸倉を掴んだ。

「おい、やめろや」

「俺の言うこと、なんでも聞けよな。そしたら黙っててやる。今日からあんたは俺の奴隷だ。わかったかおっさん」

「俺は今いらいらしてんだ。触るんじゃねえ」

「あー? ふざけたことぬかしてんじゃねえおっさん」

「おっさんを」

 黒木は自分の襟首を掴む吹野の手首を掴み返した。

「なめんなーっ」

 そして、叫ぶと同時に投げ飛ばした。

 地面に飛ばされた吹野は立ち上がれなくなってしまい、それを見た制服の警官がやってきて、

「連れてけ」

 と黒木に言われて連行されてしまった。

 それを見送って、黒木はふう、とため息をついた。

「あーあー、煙草も一緒に飛んじまった」

 もったいねえな。

 そう呟いて、空を見た。

 終わった――。

 冬の太陽の光は弱く、雲に覆われていた。

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