第15話 磨いた成果を試すとき 2

 生徒たちを無言でじっと見つめるティーチャー・パンジー。


「何かおかしいですか?」


 誰もいない放課後のように反応がない。

ティーチャー・パンジーは少女たちを見渡した。その目からは憎悪が滲み出ている。


 エミリーに視線を定めた。


「エミリー、なぜにやにやしているのですか?」


「え? ……いいえ」


 生徒の名前覚えている!

 あのティーチャー・パンジーが!


「今、笑いましたね」

「いいえ」


 エミリーの声は震えている。エミリーは素直で感情が外に出やすいタイプだ。普段はかわいいかもしれないけど、今はまずい。


「笑っていましたよ」


「……そんなこと」

首を横に振るエミリー。


「さっきの笑い声はあなた?」


「いえ、違います! 笑ってなどいません」


 パンジー先生の尋問に、エミリーは唇を噛みしめた。他の少女たちは下を向いて目を合わせないようにしている。プライドの高い先生に目をつけられたらとても面倒。

 ああ、この攻防戦、早く終わってほしい。


「クリスティーナ、なにかご存知?」


 本当にわからなくてティーチャー・パンジーはクリスティーナに話しかけたようだった。


 クリスティーナがクラスのムードメーカーなのを知っていたのが意外だった。


 でもきっと私のことは名前すら知らないでしょうけど。


「はい。たぶん隣の男子寮と交流のあるマグノリア祭が近いので、みんな浮かれているんです。さっきも男子とダンスが踊れるって休み時間にはしゃいでいたので……それだけかと」


 クリスティーナが穏やかな口調で言った。まるで優等生。さっき物真似を披露した人は別人かしら。


「そうですか。確かに近いですね……それで愚かで幼稚な生徒が増えたのね」


「…………」


 澱んだ空気が教室を支配し始めていた。


「はい、男子寮でもそうみたいですよ」


「全く……お祭りなんて必要ですかね?」


「………………」


「学園中が浮き足立ってきましたね。困ったものです。でも授業中なので切り替えてください……ノートを開きなさい」


全員がノートを開いた。


「教えてくれてありがとう。クリスティーナ」


 ティーチャー・パンジーも機嫌を直したようでにこりと微笑んだ。

 

 

 私はクリスティーナのことは別に好きではないけど(むしろ取り巻きの子たちも含めて苦手だけど)今の機転には感謝したいわ。


 ありがとうクリスティーナ……って待てよ、元々あなたのせいじゃない。あなたが物真似なんかして、休み時間に笑わせるからよ。


 授業はその後、なにもなかったかのように進んだ。

 私もやっと落ち着いて物語の構成を考えられる。王女がいくつもの試練を乗り越え王子様と結ばれる話……。


 あと少しで授業も終わる。安堵のため息がでた。ティーチャー・パンジーは本当に苦手だわ。


「この寺院が掲げている教えが……教科書三十二ページ、後ろから三行目」


 先生の声が響く。


 ティーチャー・パンジーが黒板に向かって文字を書き始める。


先生が生徒に背を向けると、クリスティーナがエミリーの方を向き、胸をなでおろす仕草をした。エミリーはステラを指差して口をパクパクし訴えていた。

 ステラは両手を合わせて謝るマネをしているが、口元はにやにやと緩んでいる。


『ああ~危なかったなぁ。吹き出すなんてさ』

『ステラってば、なに笑ってるのよー、あたしが疑われたじゃない』

『ごめんごめんエミリー、許して』


 といったところか。ベタなパントマイム。

クリスティーナがまたしてもこっそり先生の真似をする。半数の生徒が口を押さえ笑いを堪えている。


 その直後のことだった。パンジー先生の大げさな咳払い。


「成功に警戒し失敗に感謝…………これは! テストに! 出しますよ!」


 鞭で机を三回叩いてティーチャー・パンジーがよく通る声で言った。そして少女たちの顔をくまなく見渡し、腰を低くした。


あ、くるくる-


「アンダーライン!」

 一瞬の沈黙。


 目が合う少女たち。同時に大爆笑。私も思わず吹き出した。もう誰が笑ったとかわからないくらいだった。


 ほぼ全員が大笑い。エミリーは休み時間のように机の下で足をばたばたさせていた。ステラもお腹を抱えているし、ジャスミンも机に突っ伏している。


 クリスティーナのものまねを上回るティーチャー・パンジーの絶妙なアンダーライン。本当に溜めてから言うんだわ。ああ面白い。


 クリスティーナのものまね通りだった。

 久しぶりに心の底から楽しいと思えた。


 ふと……私は我に返りティーチャー・パンジーを見た。彼女は無言で教壇に立っている。なぜ皆が笑っているのかはわからないものの、自分のことで笑っているのはわかるはずだ。

 これはちょっと、いやかなりまずい。


「ねえ! もう静かにして!」


 クリスティーナだった。そりゃ責任を感じているわよね。しかしその声は笑い声でかき消される。

 こんなことって初めてだ。クリスティーナが言うことなら誰だって聞くのだけど。

 だんだん胸の辺りがざわざわしてくる。


「みんな静かに!」


 クリスティーナはさらに大声で言ったが笑い声は止まるどころか加速している。


 私は生徒たちの顔を見た。憑かれたような少女たちの顔。


 優等生のジャスミンすら高笑いをしている。なんだろう、何かがおかしい。どうなってしまったの?


 狂ってる-


教室は急に暗くなった。天気は眩しいくらい良かったはずなのに。

 真っ黒な雲が教室をどんどん覆っていく。まるで暗室の遮光カーテンのよう。


 ティーチャー・パンジーが教室をゆっくり歩いていて、さっきまでの狂ったような笑い声は聞こえなくなっていた。

 私だけがまるで透明な棺に閉じ込められたかのように、音が遮断されていた。


 私の横を真っ黒なワンピースが通り過ぎた。

 

 なに?


 そのとき、冷気のような寒気のようなものを感じた。先生の顔を見て気を失いそうになった。

 窪んだ目……。

 

 ティーチャー・パンジーは骸骨になっていた。彼女は振り返って真っ黒に空いた目で私を覗き込んできた。


 骸骨になったティーチャー・パンジーは鎌首をもたげ、ゆらゆらと揺れ、今にも襲いかかってきそう。


 怖い。誰か……なにか言って。助けて。

 

 でも声が…………。声が……。

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