こちらは”よろず屋観光案内所” お客様のお手伝いをさせて頂きます。
風香凛
第1話
「いらっしゃいませ。ようこそおこし下さいました。」
朝8時00分になるとオープンする小さな町の観光案内所。駅直ぐそばに位置し毎朝通勤通学で駅を利用する人たちがこの前を通っていく。
足早に通り過ぎる人もいれば、ゆっくりとガラス越しに映るイベント情報を確認しながら通り過ぎて行く人もいる。
この地域に住む人ならここが町の観光案内所だと知っている。駅と案内所の間には大きな丸い縦型の赤い郵便ポストが置かれていてそれが良い目印になっている。
案内所の外観は薄緑色の壁が塗られ昔ながらの木枠で覆われた四角い窓が目立つ。昭和の始め頃に作られた少しばかりレトロな洋風姿が特徴の建物だ。
入口は今時珍しい観音開きの手動ドアで取っ手は真鍮制の年代物。登録有形文化財に登録されてもおかしくないぐらい年期が入った建物だがどことなく懐かしさが漂う建物だ。
最近では“レトロが素敵”と言ってインスタで紹介されることもある。
ひと昔前は郵便局として使われたこともあったらしいが数年前にここの所有者がこの建物を売りに出すことになり、それならば・・と町が買い取ることになり今の形になった。
都会のような大きなビルの中にある誰が見てもおしゃれだな~と思うような大きな案内所ではないが、「田舎の素朴な雰囲気が良い。」と行ってわざわざここを訪れてくれる方もいる。
そんな素朴な雰囲気を醸し出す町の観光案内所の朝は早い。
早朝職場に到着するとまず制服に着替え始業前の掃除をする。掃除と言っても契約している清掃会社の人が外観や主な箇所はしてくれるので私達スタッフは水回りをさっと済ます程度に行う。
そしてPCの電源をつけカウンターでの事務作業の準備に取りかかる。それが終わるとイベント情報やチェックしなければならない観光施設の情報、メールでお問い合わせがあるかどうかなどを朝一番に確認する。
お問い合わせについては出来るだけ迅速かつ正確に分かりやすくお伝えするというのがここの観光案内所のモットーだ。お客様に間違った情報をお伝えしないためにもこれだけは譲れない決め事になっている。
時間があれば新聞にも目を通すのだが朝は比較的忙しいので掻い摘まんでしか読めないのが目下の課題となっている。
そうこうしているとあっという間に開所時間になるのでお客様を迎え入れるための看板を入口に出しに行く。どこもそうだと思うのだが朝は猫の手を借りたいほど忙しい。
ここで働くスタッフは私含めて5人がシフト制で勤務している。
まずは勤続20年になる私、山原空(自称40歳)と勤続10年目の平真美さん(彼女は30歳ぐらい。実年齢は不明。)新人のIT担当の掘すばる君(彼は一番若手の新人22歳)インバウンド対応人員のハナさん(彼女は台湾出身の女性)そして観光部長の大河内重野助(実年令59歳。あと1年で定年退職のはず・・)プラス部長が飼っているオカメインコの菜っ葉君の5人と1匹。
ちなみに部長の飼っているオカメインコの菜っ葉君は数年前にこの案内所に迷い込んできて以来ここに住み着き部長が飼育している。背中の羽が薄い緑色で覆われているため“菜っ葉”と名付けられた。菜っ葉君はとても賢くてよくおしゃべりするのだが、一番最初に覚えた言葉が“ジュウノスケ”だった。餌をくれる人の名前を一番に覚えたあたりが菜っ葉君の持って生まれた本能なのか凄いと言うしか無い。
この案内所で働くスタッフは様々な年代の人が集まっているのだが勤続年数だけを見ると私、山原空が一番の古株になる。古株と言っても普段仕事をしているとあまりそういう事は気にならないし誰かに尋ねられもしないのだが、先日突然大河内部長からこう言われた。
「山原さんはもう勤め始めて20年になるのか・・。古株になったね・・」
「・・・・・。」
さすがに固まった。“なぜ今その質問?・・ていうか急に何?私何かした?”と甚だ疑惑というか疑念がふつふつと沸き起こったのだが上司なので無視する事も出来ない。
「あの・・大河内部長。急にどうしたんでしょうか?確かにこの仕事に就いてからそれぐらい経ちますが・・。もしかして・・その・・遠回しに人事異動のことを仰っているのでしょうか?えっ?もしかして解雇とか・・そういう話でしょうか?」
予期せぬ部長の言葉に戦々恐々としていると私の顔を見た部長がクスクスと笑っている。
「山原さん~。誤解してるよ~。そんな話じゃ無いんだよ~。ただここで働き始めて何年になるのかなぁって思っただけ。もう勤続20年になるのか~。ベテランになったね~。やっぱり古株さんだね~。」
そう言い終わると部長の飼っているオカメインコの菜っ葉君が急に「フルカブ~フルカブ~。」と言って大きな声で叫ぶ。
あんまりにものんびりとした部長ワールドが繰り広げられる現状に為す術も無く、何て返事しようかと考えているとそれを隣で聞いていたハナさんが少し首をかしげ
「フルカブとは何ですか?オオキナカブのことですか?」
と真顔で聞いてくる。
「それはね~・・」
と説明しようとしたら部長が余程暇なのか横からしゃしゃり出てきて
「ハナさんは新株だよ~。新株ってね、新しい人って言う意味。古株って言うのは古い人って意味だよ~」
言葉の意味をはっきりと理解していない彼女は
「・・・・。フルイヒトってなんですか?山原さんはフルイんですか?」
とますます食いついてくる。
「日本語って難しいなぁ・・ははは」
「・・・・・。」
こうなってくると答えに窮した部長が有耶無耶にして逃げに走るお得意パターンとなり会話が成り立たなくなって行くので、ハナさんが無限ループの世界に入って行ってしまわないように私がきちんと説明してあげるのだ。
「ニホンゴってホントウニむずかしい~ベンキョウになります~。」
と言って場を和ましてくれるハナさん。彼女の何事も前向きに考える姿勢は毎回凄いと思うばかりだ。
ここ数年こんな小さな町にも海外からのお客様が増え続けているので中国語と英語と少しの日本語を話すハナさんは貴重な戦力になっている。
それにしても“古株”なんて言葉・・今時の若い人に分かるわけないんだしどちらかというといまや死語に近い言葉なんだけど、なぜか部長はそういった言葉を好んで使う。
昨日も一番若手の堀君が大河内部長に
「この用紙に承認印をいただけますか?」
と尋ねたらそれを受け取るやいなや
「堀君。合点承知の助だよ。」
と言ったらしく、どう答えたら良いのか分からなかった堀君は黙して語らない方向でその場をあとにしたらしい。直後私の所に来て
「山原さん。部長が“がってんしょうちのすけ”と言ったのですがちょっと意味が分からなくて・・。なんとなく了解したという意味なんだと思いますが・・。どういう意味ですか?」と真面目な顔をして小声で聞いて来る始末。
流石に本人を前に再度問い正すことが出来なかったんだろうなと思うのだが、それをめざとく聞いていた平さんが
「それ、聞いた事があります。昭和ギャグですよね~。おじいちゃんがよく使ってましたよ。山原さん知ってるんですか~?」と満面の笑顔で聞いてくる。
堀君が小声でボソボソ言っているにもかかわらず彼女はどういうわけかどんなに小さな声でも聞き分けるという特技を持っている。上手く聞き取るので
「どうしてそんなに聞こえるの?」
と聞いたら
「若いから耳が良いんでしょうね~。噂話とかも良く聞こえてきますよ~」
とさらっと言っているのを聞いて以来、密かに彼女の事を“地獄耳の平さん”と呼んでいる。だから平さんの前で噂話など決して出来ない。怖い怖い・・。
それにしてもどこをどう見ても昭和生まれ昭和育ちの私に(どう考えても平成生まれには見えないだろう?)「このギャグ知ってますか~」と聞いてくる辺り無神経というか・・肝が据わっているというか・・空気が読めないと言うか・・まあ、ここは正直に答えるべきだなと判断する。
「当然知ってるよ。」と即答するやいなや
「さすが!山原さん。なんでもよく知ってますよね~。」
と大きく頷く平さんを見て二の句がでなかった。代わりに大きな溜息が出そうになる。
そうか・・これがそうなのか。
一瞬にして生じる昭和生まれVS平成生まれの世代間ギャップ。
何を隠そう昭和生まれの私には耳に馴染みのあるギャグなのだが・・
なんだかすっきりしない。
なんだろう・・この胸に生じたモヤモヤ感。
部長が投げたボール球がなぜか捕手の堀君の手に収まらずたまたま隣に居た私にあたって落ちた感じがする痛さよ。
まあ、部長も悪気があって言っているわけではないと分かっているだけに余計に始末が悪い。毎回ギャグを会話に入れてくるのでさりげなく遠回しでそれを止めるように進言したことがあるのだが、全くもって止めようとしない。
私も心に余裕があるときは「部長またお得意のギャグ言ってるわ~。」ぐらいにしか思わないのだが、忙しくてピリピリしているときに聞くと「また言ってるわ。親父ギャグ。いい加減止めてくれ。」と思ってしまう。
ギャグを言って人を笑わせるのが全盛期の時代の人だからこちらがクスッと笑ってしまうとまた味をしめてこれ見よがしにギャグを混ぜるものだからどうしようもない。
余程のことが起きない限り部長のギャグを交えた会話は今後も、いや未来永劫無くならないと思うから仕方なく私が毎回フォローする羽目になっている。
そうこうしていると案内所の中にある大きな古時計が8時の時を打った。
これが始業のはじまりを知らせる合図になっている。
この古時計は大きな振り子の付いた大型の時計で今時滅多にみれない超貴重なアナログ時計だ。
今でも正確な時を打っているのでこの時計を作った職人さんの技術には驚くばかりだ。
もともとは小学校の校長室に置かれていた時計らしいがその学校が閉校することになり引き取り手を探していた所、大河内部長が“ぜひうちに”と言って手を上げもらい受けたらしい。
ただし“壊れたら修理代は自分持ち”というおまけ付き。
部長自身も甘く考えていてなぜか勝手に“故障したときは観光課が修理してくれる”と思っていたらしいが、このタイプの時計は修理するとなるとかなり大きな金額になるようで、そう簡単には修理してもらえないとの事。
“それならもらってくるな!!”と思うのだが全く臆しない部長が一言。
「もし、もしもだよ。万が一この古時計が壊れたら修理代はスタッフみんなで割り勘しよう~。そうしよう~。」
と、一人で納得するがとんでもないことをさらっと言い張るもんだから、部長以外のスタッフは皆その場で凍り付く。
「もらってきたのは部長だからポケットマネーで直すべきですよね・・?」と一番若い堀君がボソッと呟く。が、その声は当然のごとく部長には聞こえていない。
どうせ言うなら聞こえよがしに言えばいいのに・・と思うのだが、結局その場で誰も反論出来ず部長以外のスタッフは皆「お願いです。どうか壊れないで・・」とこの古時計を見る度に心の中で祈っている。
「おはよう~。今日もあたたかいな~。」
朝一番に観光案内所へやってきたのは駅前で純喫茶“テレサ”を経営しているマスターの高倉さんだ。
本名が“高倉系”というのだが、某有名な俳優さんの名前にそっくりで、さすがに「名前負けしているから本名で呼ばないでくれ」という高倉さんの立ってのお願いでここでは“テレサのマスター”で通っている。
ちなみに喫茶店の名前の由来はマスターが愛して止まない往年の大スター“テレサ・テン”から名付けたそうだ。
人好きなマスターはとにかくお喋り好きかつユーモアたっぷりな人柄だから近所の人達からも大人気で、
「毎朝テレサでモーニングを食べて一日が始まる~」なんて言う人も居るほど。
とくにある年代の女性達から猛烈に人気があり密かに“テレマスファンクラブ”通称テレサのマスターを応援する会なるものを立ち上げたと聞いた事もある。
「マスター。おはようございます。」
いつものようにカウンター越しで声をかけた。
「春みたいな陽気になってきたな~。朝から山原さんの顔を見ると元気が出るわ~」
そう言ってカウンターの側に置いてある長椅子に座ろうと腰を降ろす。
「あっ。」と思ったのも束の間、マスターがドカッと座ってしまった。
いつもは長椅子を出していないのだが、ポスターを貼り替えようとして椅子を出したままにしていてついうっかり片付けるのを忘れていた。
実はテレサのマスターは一旦座り話し出すと長いのだ・・。おしゃべりに花が咲きなかなか帰ってくれない。
喫茶店のマスターをしているだけあっていろんな情報を知っていて、例えばどこそこのパン屋が新しくなったとか、ここのスーパーが安いとか、あそこのお家のわんちゃんが子犬を産んだとか・・。
とにかくこちらがびっくりするほど町のありとあらゆる情報を網羅していると行っても過言ではない。
当初、マスターのことを“なんでも知っているけどこのおじさん何者!?”と疑ってかかったこともあったが後にその男性が隣にある喫茶店のマスターだと知ってめちゃくちゃ驚いた。
しかもマスターは私達でさえまだ知らない観光に関するイベント情報を知っていたりするから驚く。
テレサのマスターは「俺は何でも知っているんだぞ。ふふん・・」と自慢げにもの申す・・と言うようなことは全くなく、お喋り好きで憎めないおじさまなのだ。ある程度おしゃべりを聞いているといつのまにか満足して帰っていくのだから全くもって近所の面白い人というしかないのだが。
ただあまり長居してもらっても困るのでテレサのマスターの話をある程度聞いたら丁重に帰って頂くよう促している。
「そういえば・・」
とマスターが不意に話を振ってきた。
「この前来たほら若い外国人の・・学生さんみたいな子何だったの?なんだか大変そうだったけど?」
それを聞いてふと先日のことを思い出した。
「あぁ、あの台湾出身の学生さんね。」
「そうそう。」
マスターがいつものごとく興味津々な顔で尋ねてくる。
「あの学生さん観光で日本を回っているみたいなんだけど、陶器の焼き物が好きみたいでね。ここに来る前に岡山県の備前まで行ってたみたいなの。それがそこでどうも携帯を無くしたみたいで。ここに来て気づいたみたいなのよ。」
「えっ?ここで気が付いたの?ここ兵庫県だよ。普通もっと早くに気が付くだろう?」
明らかにびっくりした様子でテレサのマスターが手に持っていたパンフレットを落としそうになる。半分信じられないと言った顔つきだ。
「それが電車に乗ってからしばらくして気が付いたみたいなのよ。どこで落としたかもはっきり分からないって言うし。とりあえず電車を降りてここに駆け込んできたみたい・・。」
「のんびりしてるな~。俺だったらかなり焦ってる案件だな。で、どうしたんだ?」
続きが知りたくて早く言えと言わんばかりにマスターがせっついてくる。
「それがどうしたものか・と考えていたら急にその学生さんがもう一台携帯持っているって言いだしてね~。もうびっくりよ。」
「えっ?学生のくせに携帯2台持ちなのか?今の学生は贅沢だな。俺が学生の時なんてありえない話だぞ。俺が大学生で一人暮らししていた時の下宿先には風呂も無かったからな。ほんと今考えたら神田川のあの歌の世界を地でいってたよ。その子もしかして金持ちなのか?」
もはや話は携帯を紛失して困っていることよりも、いつのまにか今の学生が携帯を2台も持っている事への恨み節で話の矛先が変わっている。
「金持ちかどうかは分からないけど、とりあえず携帯がもう一台あったからそれで探せると言うことになったのよ。」
難問が解けたと言わんばかりの顔でテレサのマスターが「良かった。」を連発している。
「それがね・・。全然良くないのよ。すんなりいかなくて。そのもう一台の携帯が留学先の寮にあるらしくて手元になくて・・。誰かにそれを操作してもらわないといけないらしいの・・」
「・・・・。そんなこと出来るのか?」
流石のマスターもややこしいと思ったらしく急に真顔になった。
「それが電話持ってないでしょ?仕方ないからここからその寮に電話したのよ。するとお友達は休暇を利用してヴァケーションに行ってるらしくて不在だったみたいで。頼れるところが寮母さんしかいなかったのよ。で、事情を説明して操作してもらうしかないからその寮母さんにお願いしたみたい。」
「えっ?大丈夫なのか?寮母さんってそんなことまでしてくれるのか?俺には寮母は無理だな。出来ん。寮母さんって何でも出来ないといけないんだな~。」
と言って思わず片手を振って出来ない仕草をする。
「その寮母さん本当に良い人よね~。電話でやり取りしてなんとか検索出来たみたいで、その結果それが備前駅辺りにあるとわかったのよ。文明の機器ってすごいわ~」
少し興奮気味で話したらそれを横で聞いていたハナさんが
「ブンメイノキキってなんですか?カステラですか?」と聞いてきた。ハナさんの中では文明=カステラのようだ。
「ハナさん。ブンメイノキキって言うのはお菓子じゃ無くて便利な物の例えなのよ。」
「そうなんですね~。むずかしい~」
と言うと手持ちのメモに熱心に書きこんでいる。そんなことまで覚えなくても良いかも・・と思うが知らないより知って置いた方が確かに良い。
テレサのマスターも結果を聞いて安堵したようだった。
「見つかって良かったじゃ無いか。」
「そうなの。その学生さん。JRパスを持っていたからそれで備前まで戻るって言ったみたい。
その後どうなったか気になっていたんだけど、翌日またここに来てくれてお礼を言って次の目的地に行ったみたい。一件落着した時はこちらもホッとしたわ。」
観光案内所の仕事をしていると毎日いろんなお問い合わせを受けるのだが、比較的多いのは落とし物に関する質問だ。
日本は相対的に見て安全の国だと分かっていても拾得した人が良い人だと問題は無いが、中には心ない人が勝手に持ち去ってしまうこともある。
今回は見つかって本当に良かったと言うしか無い。
大体の話の筋が分かったからなのかマスターが椅子から立ち上がった。
「いろいろと大変だな。ここは。別名“何でも屋”にしたらどうだ?は、は、は。」
と笑いながらこっちに向かってウインクする。
「頑張ったご褒美に今度うちにご飯食べに来たときは食後にコーヒーをサービスしてやる。期待して良いぞ。」
と機嫌良く言って店に戻って行った。
何のご褒美だ?と思ったがコーヒーが飲めるなら悪くはない。一応「じゃあ次回よろしくお願いします。」とさらっと伝えておいた。
マスターは懐が深くて気の良い人だが、さらっと言ったことはすぐに忘れるタイプの人なので次回伺ったときにはその約束を忘れているに違いない。
が、その時横に居た地獄耳の平さんが仕事場では聞いた事もないような大きな声で
「聞きましたよ~。忘れませんよ~。食後のコーヒー~。1杯500円~」と唸るように言った声に堀君はびっくりして
「平さん・・そんな大きい声が出せるんですか?普段からそれぐらいの声で話してくれたら聞きやすいのに。ぼそっと喋るときがあるので聞き取りにくい時があるんですよね。」
珍しく堀君が平さんに面と向かって言っている。
「ふふ。私、奢って頂く約束は決して忘れないんです。地獄耳ですから~。」
と笑う姿を目にした所でちょっとした戦慄を覚える。
そしてそっと隣の堀君に視線を移すと何も言わずに黙ってPCを打ち出した。
平さんはきっと食後のコーヒーをサービスしてくれるまで言い続けるに違いない。
これでテレサのマスターがこの約束を忘れていたら・・と考えると背筋に悪寒が走る。
そうこうしていると観音開きのドアが開き入口から1人の高齢の女性が入ってきた。見た目中肉中背で片手には杖をもっている。
少し前屈みに背を丸めてその杖に少し体重を掛けながら歩いてくる。
足元大丈夫かな・・と思ってしまうほどでこちらから声がけをしようと思ったちょうどその時、女性がカウンター直前でピタっと止まった。
「ちょっと教えてほしいんやけどぉ~。」
大きな声でそう言ってスタッフに声をかける。
意外や意外見た目よりもはるかに元気でその声にも張りがある。
旅行者にも見えずこの辺ではあまり見たことの無いお客様だった。ゆっくりとカウンターまでたどり着くと持っていた杖を側に置き持っていた鞄から一枚のはがきを取り出した。
「これ。どうしたらええの?どこで払ったら良いの?ちょっと見てくれへん?」
一見おとなしそうに見えるお客様だが結構ズバズバした物言いをするそのギャップにびっくりしながらも窓口で差し出されたはがきを見てみる。
すると内面に督促状と書かれた文字が見えた。
“督促状?これって何?”少しばかり疑心暗鬼になりながらもう一度確認する。何度見ても督促状の文字が印字されていて指定期日までに支払わないと電話の契約を止めると書かれていた。
が、よく見てるとその指定期日が5日も過ぎている。こちらの方がびっくりして思わず
「お客様。これ電話の督促状みたいですよ。支払い指定期日過ぎてますよ!!」
「そんなん。知ってるねん。お金払うの忘れて電話止められたんや。だから払いに来たんやけどここで払えるんか?はよ教えてくれ!」
全く焦った様子も無く関西弁バリバリでなぜか自信満々に話される様子に若干驚きつつここではどうすることも出来ないので、はがきに記載されたお問い合わせ番号に電話するように伝えた。
「だから言うてるやろ。電話止められてるねん。掛けられへんのよ。どこで聞いても分からんって言われるんや。困ってるんや。ここでしてくれへんか?手数料払うから。」と言って財布を出そうとした。
その勢いに一瞬負けそうになるが、いや手数料云々の話ではない。そもそもここでは支払うことが出来ないのだからそれを説明しないといけないのだが果たして分かってくれるだろうか?
見せてもらったはがきを一旦返す。
「説明させて頂くとここでは料金を支払うことが出来ないんですよ。ここに書かれているお問い合わせ番号に電話してみて下さい。」
至極丁寧に言って電話番号を指さす。お客様は明らかに不満顔だ。
どんなに言われても私達職員が代わりに電話することは出来ないのだから仕方が無い。
「ご自宅の電話が止められてるなら公衆電話を使ってみてはどうですか?一度お尋ねされた方が良いと思います。もし良かったら駅のそばに電話ボックスがありますよ。」
そう言って外にある公衆電話を指さした。
が、なかなか「分かった。」とは言わず小声で何やらぶつぶつ言ってなかなか動こうとしない。どうするのかその動向を見守っていると、後ろからその様子を見ていた大河内部長が側にやって来て声を掛けた。
「お客さん。良かったら一緒に公衆電話まで行きましょうか?すぐそこだから。」
そう伝えるとその女性の顔がぱっと明るくなり
「えっ?行ってくれんるんか?お願いしてもええか?」と大きな声で返す。
「良いですよ。じゃあ、そこまで行きましょか。」
部長がついて行ってくれると分かると急にその女性がきびきび動き出した。
あんなにゆっくりとした動作で案内所に入って来てどんなに私達が説明しても頑として動かなかったのに「ついっていってあげる。」の一言できびきび動き出した。
言葉のパワーたるや凄い。
「あのお客さん・・なぜここで聞くんでしょうね?ここは観光案内所って分かってるのかな?滞納金の支払いについてなんて業務外ですよ。」
たった今部長と出て行ったそのお客様の後ろ姿を見ながら平さんが呟いた。
確かに平さんの言うことは間違ってはいない。ここは観光案内所だから観光に関する情報をお伝えするのが仕事だ。
だからといって「ここでは分かりません。」と言うのもなんだか冷たい感じがして嫌だ。
部長が機転を利かせて上手く案内してくれたけど、先程のお客様はおそらくここへ来るまでにどこかで尋ねているのではないだろうか?
尋ねたけど思ったような返答がもらえずどうしようも無くてここに入ってきたのでは?
そう考えると、ふと今後こういうお客様が増えていくのではないだろうか・・と思ってしまう。
なんとなく寂しいようなモヤッとした感情がいつまでも心の中に燻っていることに気が付いた。
部長と一緒に案内所を後にしたあのお客様の事が気になりカウンターの外に出て様子を見に行こうとした時部長が戻ってきた。
「部長。あのお客様は大丈夫でしたか?」
「あぁ。よくよく話を聞いてみたら公衆電話のかけ方がわからないらしい。おまけに携帯電話も持っていないみたいだな~。うっかりしていて料金未払いになって自宅の黒電話を止められたって言ってたよ。いやはや、今時黒電話とはなぁ・・ははは。」
その言葉に皆驚く。
「えっ??黒電話なんて今あるんですか?」
「えっ?携帯電話持ってない人って今いるんですか?」
「えっ?クロデンワ?パブリックフォンはミドリ。クロってなに?」
各々が同時に口に出す。平さんと堀君が同じ質問をしているのを聞いて世代間ギャップをまたまた感じてしまったが、ハナさんがした質問にも思わず納得させられた。
「歳を重ねると“ついうっかり”ということが良くあるからなぁ・・他人事とは思えないなぁ・・まっ。そんなに難しい案件ではないから今回は電話の使い方を教えたら喜んでいたよ。今度から気をつけると言っていたからもう大丈夫だろう。」
そう言って「後はよろしく頼むね~。」と言ってオカメインコの菜っ葉君が待つ奥の部長室へ戻って行った。部屋からは菜っ葉君の“ゴハン ゴハン ヨコヨコ”という声が聞こえてきた。
「良かったですよね。なんとかなったみたいで。」
堀君が珍しく声をかけてきた。平さんも「この案件は業務外だ。」と言っていた割には上手くいってホッとした様子だ。
ハナさんはまだ「クロ、ミドリ、クロ?」と疑問を口にしている。
今回のことはなんとか上手くいったが今後のこともある。
しばらく考えていたがある思いが心に浮かんだ。
「なんだかね・・。ちょっと思ったんだけど。もしかしたら今後はああいう人達が増えるかも知れないよね・・。携帯を持っていても使い方が上手く分からない人・・SNSもしたことなくて情報が上手くつかめない人。そして携帯をそもそも持たない人。全体的な割合で見たら少ないだろうけど、でも一定数の人は存在するのではないかな?」
「そうですよね~。そういうお客さんいますよね!今の時代高齢の方の一人暮らし多くなってきてるって聞きますし。うん。いるいる。」
平さんが鼻息も荒く話す。
「そうだよね。それでちょっと提案なんだけど。もし、今日のあのお客さんのように相談する場所が無くて困っていたらほんの少しここでお手伝いしてあげられないかな?観光とは関係無いかも知れないけど・・なんとなくそうしてあげたいんだよね・・」
出来るかどうかは分からないが心のどこかで引っかかっていたモヤモヤを吐き出した。
「もちろん、観光案内が仕事だからそれは1番優先されるべきなんだろうけど、困っている人がいて私達でお手伝い出来ることがあるなら力になってあげない?ほら。ここにはいろんな年代のスタッフがいるし。“3人よれば文殊の知恵”っていう諺もあるじゃない?一人では出来ない事も3人寄ればなんとかなると思うし・・。」
そう言って私以外の平さん、堀君、ハナさんを指さす。
「山原さん~。3人じゃないですよ~。山原さん入れると4人になりますよ!」
と平さんが笑って言う。
「チガイマス。ブチョウいれるとゴニンデスヨ。」ハナさんも負けじと話す。
それまでの硬かった雰囲気が平さんとハナさんの会話で和んだ。二人ともなぜか人数にこだわっているのが面白い。ここの皆はなんだかんだ言ってもいざとなれば力になってくれるのが嬉しい。
案内所の仕事は人とひとを繋ぐ仕事だ。今の時代インターネットを駆使すれば必要な情報はいくらでも調べることが出来る。が、どんなにネットが発達しても得られない物もある。
今日のお客様を見ていてもそう感じる。
わざわざここまで訪ねてきて、直接顔を見て話すことで得られる安心感は人とひとの間でしか成り立たない。
その少しの安心感を僅かでもいいからここの案内所を訪れた人には味わってもらいたい。
話を聞いていた堀君がパソコンの前に座ってキーボードを打ちながら静かにボソッと呟く。
「分かりました。世の中にはいろんな案内所がありますから困った時はお互い様ということでこれから頑張りましょうか。今の話をまとめると・・そうですね・・。観光案内だけでなくお客様の要望を可能な限りお答えする場所・・と言うことでよろしいでしょうか?それでは今日からここは“よろず屋観光案内所”っていう愛称で呼ばせて頂きます・。」
「えっ~。“よろず屋”って“何でも屋”って思われて絶対変な人来るんじゃ無い?何、そのネーミング。もっとスタイリッシュなのがいい。」
堀君が何気なく口にした言葉をあからさまに平さんがそのセンスの悪さを口にする。
それに対して珍しく堀君も負けてはいない。
「何言ってるンですか?こんなにぴったりな名前は他にないですよ。」
真っ向から向かって立つ堀君はなぜか自信に満ちている。
「中原さんはどう思います~?」
平さんがいきなり矛先をこちらに向けてきた。
このネーミングが良いか悪いかは別にしてなぜだろう・・この会話を聞いていてなんだかほっこりしてしまった。
たわいもない事を冗談交じりに言いながらも誰もその意見を否定する人が居ない。それどころかやってあげようという気概を皆から感じる。
それがとてつもなく嬉しくて暗黙の了解と思えてホッとした。
この二人の会話にどう返答したら良いか考えていたら案内所の入り口の方から
「すんません~。」と誰かの声がした。
急いでカウンターの方に駆けつけると先程のあの女性のお客様が戻ってきていた。
そしてまた先程と同じように大きな声を張り上げる。
「今度はここに行きたいんやけど、どうやって行くんかな?教えてな~。」
そう言ってカウンターに近寄ってくるお客さんに案内所スタッフが近寄る。
「あっ。さっきのお客さん。どうしたの?今度は何?」平さんが尋ねると
「ここへ行きたいんやけどどうしたらええんや?バスに乗るんか?その前にお腹すいたから何か食べたいわ。トイレも行きたいし。順番に教えて!」
屈託無いその質問になぜか笑ってしまった。
「お客さん忙しいな。じゃあ、順番に案内していきましょうか。」
そう言って観光パンフレットを広げた。
紙に書かれた行き先を確認し、堀君がPCでバスの時間を検索する。
一方で平さんが飲食店の場所を案内し始めた。その間ハナさんはお客さんに「ドコカラ来たの?」とニコニコしながら聞いている。
みんなが寄り添って案内している様子を微笑ましく見ていた。
賑やかしくワイワイ言いながら案内しているとその声に気が付いたのか奥の部屋から菜っ葉君にゴハンを与えていた部長がひょっこりと顔を出す。
「お客さん、電話使えたかな?大丈夫だった?」
また戻ってきたお客さんに気が付いた部長がゆっくりと近づいてきて電話の使い方が上手くいったか聞いている。このお客さんがなんとなく今後この案内所の常連さんになりそうな気配を感じつつ、堀君が一通り調べて一息つくとこう言った。
「やっぱりここは“よろず屋観光案内所”ですね。」
こちらは”よろず屋観光案内所” お客様のお手伝いをさせて頂きます。 風香凛 @fuuka_rin
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