第4話 好きになってはいけない

 その夜、眠れなかった。

 天井を見つめながら、図書室でのあの会話を何度も思い返す。

 “恋をしたことある?”

 その問いに、私はうまく答えられなかった。でも、答えなんて、本当はもう分かっていたのかもしれない。


 ——私は、結月が好きだ。


 でも、それを口にしてはいけない気がした。

 “女の子同士”という言葉が、胸の奥で重く響いていた。


 翌朝、私は少し寝不足のまま登校した。

 教室に入ると、結月がすでに席にいて、窓の外を見ていた。


「おはよう」


 声をかけると、彼女は少し驚いたように振り向き、すぐに微笑んだ。


「おはよう、美咲」


 その声に、私の胸が少しだけ痛くなる。

 どうして、こんなにも彼女の一挙手一投足が気になるのだろう。


 午前中の授業は、ほとんど集中できなかった。

 ノートに文字を書いているふりをしながら、気づけば視線は結月の方へ向いていた。


 昼休み。

 屋上に行ってみようと思った。誰にも会いたくなくて、風の音だけを聞いていたかった。


 でも、そこにも彼女はいた。


「……あ、ごめん。誰かいると思わなくて」


 そう言って戻ろうとした私に、結月が言った。


「待って。一緒に、いよ?」


 その言葉に、また心が揺れる。

 私は黙って隣に座った。

 風が、ふたりのあいだをそっと吹き抜けた。


「ここ、好きなんだ。少し寒いけど、空が広くて」


「……うん、わかる」


 しばらく、ふたりで黙って空を見ていた。


「ねえ、美咲」


 結月が言った。


「わたしね、好きになっちゃいけない人を……好きになったことがあるの」


 その言葉に、呼吸が止まりそうになる。


「それって……」


「ううん。今の話じゃないよ。前の学校での話」


 彼女はそう言って、少し笑った。でもその笑顔は、どこか痛々しく見えた。


「その人、私のこと“気持ち悪い”って言ったの」


 私は言葉を失った。


「なんで? 結月は……全然……」


「いいよ。今さらもう、驚かないから」


 彼女の声は、まるで遠くから響いているようだった。


「だからね、また誰かを好きになるのが……怖かったの。拒絶されるのが怖いから、最初から好きにならないようにしてた」


 私はその時、どうしていいか分からなかった。

 “好き”という言葉が、こんなにも人を傷つけることがあるなんて。


 でも、だからこそ私は言いたかった。


「……私は、そんなふうに思わない」


 結月は少しだけ私の方を見た。その瞳は、ほんの少しだけ潤んでいた。


 その瞬間、思った。


 ——この人を、守りたい。

 誰がなんと言おうと、この人を守りたい。


 でも。

 それでもやっぱり、心の奥で何かが囁いていた。


 “好きになってはいけない”


 それは、たぶん私自身が一番恐れていることだった。


 夕暮れの屋上。

 沈みゆく太陽が、ふたりの影を長く伸ばしていた。


 言葉にできない想いが、あたり一面に溶けていく。


(つづく)

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