第十七話「花の名前は」
――「彼女ら」がいつ頃から存在したのかは、定かではない。一説には、シュメール人が栄えた頃には既に存在していたとも伝わる。
はっきりと辿れる記録は、中世の東欧。現在のルーマニア辺りに、理事長のルーツがあるという。
「彼女ら」の多くは人間と全く同じ容姿を持ち、交わり、子を成すことも出来た。しかしそれでいて、人間とは全く異なる生き物でもあった。
ある者は、人の姿から獣の姿へ変じることが出来た。
ある者は、他人の身体を乗っ取り我が物とすることが出来た。
ある者は、他者の血肉を啜り永遠の若さを保つことが出来た。
人の世に紛れ、秘かに血脈を繋いできたその一族のことを、この学園では「夜の一族」と呼んでいる。その力が、夜に増す故に。
「理事長の一族が日本にやってきたのは、明治の頃。さる大地主の一人息子を篭絡した惣領娘が、山奥の広大な土地を体よく手に入れ、一族の隠れ里とすることに成功した。……それが、この桃源学園の始まり」
「……ちょっと待ってよ、お姉ちゃん。『夜の一族』って、漫画じゃあるまいし」
「衣吹も、校長先生の狼姿は見たのでしょう?」
「そ、それは……うん」
先ほどまでの頭に靄がかかっていた衣吹は、校長の「変身」にも何の違和感も覚えていなかった。太陽が東から昇って西に沈むくらいに、当たり前のことと受け取っていたのだ。
よく考えなくてもおかしかった。人間が狼に変身なぞするはずがないのに。
「校長先生は『人狼』の末裔。そして、私達は……他者の血肉を求め、夜を見通す眼と強靭な身体、そして永遠の若さを持つモノ。――俗っぽい言い方をすれば『吸血鬼』ね」
何でもないことのように、とんでもないことを口にする真理。しかし、その表情に冗談めいたそれは欠片もない。
「きゅ、吸血鬼って、それこそ漫画だよ! あたし、他人の血を吸ったことなんて――」
「最近になって食欲が無くなって来たことは? 他人や動物の血を見て、喉の渇きを覚えたことは?」
「あ――っ」
姉の強い言葉に、記憶が鮮やかに蘇る。確かに、最近の衣吹は食欲が減退していて、寮での食事を満足にとれていなかった。
それに、血。先ほど痛めつけた猪の血を、甘露のように啜ろうとした自分を思い出し、愕然とする。
「可哀想な衣吹。急激に一族の血が目覚めてしまったから、自分で自分が分からなくなっているのね……。やっぱり、あの子を野放しにしていたのが間違いだったわ。……七奈!」
突然、憎しみのこもった声が真理の口から発せられ、衣吹の身体がビクッと震える。姉のこんなに強い負の感情を浴びるのは、生まれて初めてだった。
「七奈……会長? あの人が……ああ、そうか。あいつがお姉ちゃんを古井戸に突き落としたのって――」
「ええ、本当よ。尤も、あの時の私はまだ、一族としての自覚が薄くて……。井戸の底のヘドロに叩きつけられて、一度死んだの。そして完全な夜の一族として蘇った――御覧なさい、衣吹。これが今の私よ」
言いながら、真理は近くの花瓶に活けてあった「黒のマリア」を手に取る。
すると――瑞々しかった花弁がたちまち艶を失い、萎み、遂にはハラハラと枯れ落ちてしまった。まるで早回しの映像を見ているような光景だ。
「もう、私はこうやって他のモノの命を直接奪い取らなければ生きていけない。食事をする真似くらいは出来るけど、人間の群れに紛れて暮らすことは難しいの」
「そんな……。でも! じゃあ、この学園にさえ来なければ、お姉ちゃんもあたしも普通の人間でいられたんじゃ!?」
「逆なのよ、衣吹。私達は既に目覚め始めていた。……衣吹にも覚えはないかしら? 他人から無闇やたらに好意を抱かれたり、異常な運動神経を持っていたり――夜目が利いたり」
「……あっ」
衣吹の常人離れした夜目の良さは、確かに学園にくる以前からの話だ。
「私の場合、知らず他人を魅了してしまうようになっていたわ。十一歳になる少し前のことよ。父の再婚相手には、私より一つ上の男の子がいたの。穏やかな人でね、この人となら兄妹になれると思っていたのだけれど……無理だった]
「何が……あったの?」
半ば答えに気付きながらも、衣吹は問い返さざるを得なかった。
「私をね、犯そうとしたのよ。十二歳の男の子が、十一歳を控えた義理の妹をよ? 本当に大人しい人だったのに。当時は怖いだけだったけど……今思えば、悪いことをしたわ」
その後、真理の義兄は正気に戻ると、自分がしでかそうとしたことの罪悪感に耐えかね、精神の均衡を崩してしまったのだという。そしてその事件が、真理を学園に誘う契機となった。
「父は母――私達の実のお母さん――に助けを求めたの。そして、母が紹介したのがこの学園だった。もう衣吹も知っているだろうけど、この学園の表向きの目的は『良き妻、良き母を育てる』というもの。でもその実、やんごとない家の不義の子や問題のある子女を引き取る収容施設なの。……けれど、その更に裏側の目的が存在する。それが、夜の一族の血を引く子ども達を集めて保護することだったの」
「じゃあ……お母さんは、全部知ってて? もしかして、お姉ちゃんが行方不明になったんじゃなくて、学園に隠れ住んでたってことも?」
衣吹の言葉に、真理が静かに頷く。
――衣吹は、世界がガラガラと壊れる音を聞いた気がした。
「なんで!? なんでお母さんはあたしに何も教えてくれなかったの! これじゃ、あたし馬鹿みたいじゃん! 一人で突っ走って、お姉ちゃんを見付けるんだって頑張って……酷いよ、酷すぎるよ!」
衣吹はいつしか泣きじゃくっていた。自分だけが蚊帳の外で、道化を演じていたのだと。
「……きっと、衣吹に知ってほしくない、伝えたくないことがあったのよ。学園に来るのだって、反対したのでしょう? どうか、お母さんを悪く言わないであげて」
「何よ、あたしに伝えたくないことって……」
あやすような真理の言葉も、衣吹には届かない。数々の真実は、彼女が今すぐ受け止めるには重すぎたのだ。
と、そこで沈黙を保っていた校長が、姉妹の間に割って入る。
「お母様の名誉の為に言っておきます。衣吹さん、お母様は貴女を守る為に涙を呑んで、この学園に送り出したのです。貴女と別れたくないと一度は反対しましたが……最後には娘を守ることを優先したのです」
「校長先生!」
「真理さん、止めても無駄です。衣吹さんもいずれ知らねばならないことです。……衣吹さん、貴女にも真理さん程ではないにしろ『魅了』の能力が備わっています。人の世であのまま過ごしていれば、遠からず辛い思いをしていたはずなのです。お母様は、それを危惧したのですよ」
「魅了……? そんな、あたしには、そんな能力……」
「本当に? 身近な誰かが、必要以上に貴女を溺愛しては、いませんでしたか?」
「身近な……誰か……?」
その言葉に、衣吹の脳裏に天啓の如くある男の顔が浮かんだ。――衣吹の義父、母の再婚相手の顔だ。衣吹にとっては、実の父親以上に親しくしてくれた尊敬する義父だった。
「今、貴女が思い浮かべた人物が、貴女のお母様に危機感を訴えていたとしたら? いくら理性で押し留めようとしても、貴女に対する、義理の娘に抱いてはならない劣情が湧いてくるのだと、助けを求めていたら――」
「もうやめてよ!」
衣吹の絶叫に、流石の校長も思いの外に饒舌な口を閉じた。真理などは衣吹を直視出来ず目をそらし、痛ましそうな視線をただただ床に向けていた。妹の暮らしていた――信じていた現実は、虚飾に塗れていた。そんな残酷な真実を、伝えたくはなかった。
「なんなのよ! あんたらは! あたしは! この学園は! 『夜の一族』? 笑わせないで! そんなベタな設定、お子様向けの漫画だって使わないわよ! 他にも……そう! シスターズってなんなの? 消えた会長や多歌子はどこにいったの? 『転校』しちゃった他の人は? ――そうよ、それに」
衣吹が真理を指さす。睨みつけるような視線は、つい先ほど感動の再会を果たした姉に向けるものとは思えなかった。
「お姉ちゃんが理事長ってどういうことよ! さっきまで別人みたいだったのは何? 今度はどんな種明かしがあるのよ! 答えなよ! ねぇ!」
狂乱する妹に、しかし真理は答えられない。これ以上、妹を傷つけたくないというエゴが、彼女の口を閉ざしていた。だが――。
「真理さん。後は理事長にお任せを」
「……はい」
校長の言葉に、真理が静かに目を閉じ、開く。たったそれだけの動作で、辺りの空気が一変した。
「えっ……?」
思わず、激昂していた衣吹も呆気にとられるほどの変化が、真理に起こった。最初に登場した時と同じ神秘的な雰囲気が蘇ってきたのだ。
そして。
「……失礼、衣吹さん。真理に任せ過ぎましたね。改めて、私がこの学園の理事長のカミラです」
***
「カミラ……? ええと……確かにお姉ちゃんとは違うように見えるけど、どんなカラクリ?」
目の前で姉の「中身」が入れ替わったのだ。流石の衣吹も、オドオドといった体で問い質す。
「簡単なことです。先ほど真理の説明にもあったでしょう? 『夜の一族』には、他者の身体を乗っ取り我がものと出来る者がいるのです。私や、私の血族がそれにあたります」
「……寄生生物ってこと?」
「心外な例えですが、それが最も近いですね。我々は古来より自分の肉体を持たぬ『ヤドリギ』の種族。心を失った人間や……我々を神と崇める人々から捧げられた肉体を依り代として永らえてきました」
「衣吹さん、理事長への侮辱は許しませんよ!」
校長がその枯れた身体からは想像もつかぬ怒号を浴びせる。どうやら、人間体でもその恐ろしさは変わらぬらしい。
「良いのですよ、アンジェリーナ」
理事長が優しく諭すと、校長は「出過ぎた真似をいたしました」と大人しく引き下がった。どうやら、力関係は完全に理事長の方が上らしい。
「ですが、これだけは言わせてください。衣吹さん、理事長は古来よりの知識を今に受け継ぎ、人類を陰ながら支えてきた立役者です。敬意をもって接することを切に願います」
「古来より……? 理事長は、そんなに長生きなんですか?」
「人間よりは……程度よ。我々は親の依り代が子を産んだ時、偶発的に生まれるの。その際、親の知識を受け継いでこの世に生を受けるわ。もし我々の種族を一つの生命と捉えるならば、確かに大変長生きと言えるでしょうね」
ニコリ、と姉の真理の顔で色っぽく微笑む理事長に、衣吹は思わずたじろんだ。実に姉の顔で、そんな蠱惑的な顔をしないでほしかった。
しかし、理事長の話を聞いてようやく合点がいったことがある。
「なるほどね。輝の親戚のお姉さんや、七奈会長の精神も、あんたのお仲間が乗っ取ったって訳ね。そして今度はお姉ちゃんを!」
「……少し、誤解があるようですね。私は真理の肉体を乗っ取ろうとしている訳ではありません。言わば間借りさせてもらっている状態です」
「どういうこと? あたしにも分かるように説明して」
「いいでしょう。……我々は、人間の肉体ならなんでも乗り移れるという訳ではありません。精神と肉体にはそれぞれ波長のようなものがあり、それが近い肉体と精神だけが融合出来るのです」
「ようは、あんたらの精神と依り代の肉体のウマが合うか合わないか、ってこと?」
「ふふっ、衣吹の例えは軽妙で分かりやすいですね」
嫌味なく、たおやかな笑みを見せる理事長の姿からは、邪悪なものなど全く感じない。衣吹はいつの間にか、毒気を抜かれつつある自分に気付いた。
「肉体が滅んでも、我々の精神はすぐには滅びません。魂のような状態である程度は生きながらえます。けれども、それも長くない。依り代を見付けなければ、そのまま消滅します。そこで我々は、時に仮の宿として協力者の肉体に共生するのです。私と真理が、まさしくその状態。他にも、人形や古い道具を仮の宿にする同族もいるわ」
「……お姉ちゃんに危険はないの?」
「ええ。むしろ私の能力で、真理の能力の暴走を止めるお手伝いが出来ます」
――理事長の言葉に嘘はない、ように思える。衣吹の直感はそう告げているが、相手は人知を超えた存在なのだ。油断は出来なかった。
「うふふ、
「それはどうも。ついでに訊くけど、七奈会長の肉体は無理矢理奪ったの? シスターズに多歌子っぽい奴がいたけど、あれはなに?」
「あらあら、藤伊多歌子さんの件は気付いていたのね。貴女、ますます良いわ、衣吹さん。……そうね、順番にお答えすると、生徒会長さんの肉体を奪ったのは、やむを得ない事情があったからよ」
「ふ~ん。確かにアレはクソ女だったけど、肉体を奪われるほどの事情って何?」
「彼女もね、『夜の一族』の血を引いているのよ。本人は知らなかったけど」
「へぇ……って、ええ!?」
「良い反応をありがとう」
衣吹が予想通りの反応をしてくれたからか、理事長が童女のように無邪気に笑った。どうも、手の平の上で転がされている感がある。
「けれどね、大中原七奈さんは駄目だったわ。『夜の一族』の能力が、極めて利己的なカタチで発現してしまった。辛抱強く待ったけど、彼女は自分の欲望を満たすことしか考えなかった……無自覚の内に能力に溺れたのね。だから、学園の総意として自我を奪い、依り代になってもらったの。これ以上、生徒に犠牲者が出る前にね」
「……じゃあ、もしかして多歌子も?」
「察しが良いわね。あの子も、私自ら学園に引き入れた血の濃い子だったけど、七奈さんと同じ。能力の自覚は芽生えず、他者への支配欲求だけが肥大化していった。だから、自我を奪った。――でもね、あの子の肉体と適合する同族はいなかったの。だからシスターズとして保存することにした」
「ほ、保存? そもそも、シスターズってのはなんなの!?」
玄関ホールに控える六人のシスターズを順番に指差しながら、衣吹が叫ぶ。しかし、シスターズは身じろぎ一つしない。なるほど、これは自我を消されているからなのかと、頭の中の冷静な衣吹が理解する。
「自我を奪い肉体だけを生かすのは、吸血鬼の能力の一つよ。自我を消されただけの肉体は、吸血鬼の眷属となって働く生き人形となる……彼女らは生きながらに死んでいる状態だから、歳を殆ど取らないの。そうやって、適合する一族が現れるまで、『予備』として保存するの」
――ゾクッ、と衣吹の背筋に寒気が走った。どこか親しみすら感じ始めていたが、やはり理事長達の価値観は人外のそれだ。人間として――まだ自分が人間なのかは疑問だが――衣吹には受け入れがたいものだった。
「この館にいるシスターズ達は、既に二十年もの時をここで過ごしている。けれども、歳は殆ど取っていないの。この子達はこうして、適合する一族が現れる日を待っているのよ」
「ひ、酷い。この人達だって、もっと生きたかったはずなのに!」
「そうね。中には『夜の一族』とは何の関係もなく、ただ家族から捨てられ、この学園にも馴染めず、自ら命を絶った子もいたわ……生きている内に救えなかったことは、教育者の端くれとして責められても仕方ないわね」
「死者も生き返るっていうの?」
「ええ。吸血鬼の一族ならば、それが可能よ。ただし、蘇るのは肉体だけ。物語の中の吸血鬼のように、仲間を増やすことは出来ないわ。――さて、種明かしはこのくらいで良いかしら?」
理事長の手が、衣吹を誘うように伸ばされる。その爪はよく見れば朱に染まっているが、衣吹の眼と鼻はそれがマニュキアの塗料ではなく、自然な色であること看破した。
理事長の――真理の身体は、既に人間のものではないのだ。
「衣吹さん。貴女の五感も身体能力も、既に普通の人間の中で暮らすには強すぎるのです。それに、吸血鬼は本能的に他者の生命エネルギーや血肉を求めてやみません。その衝動はあまりにも強すぎる……先ほど、猪を
いつの間にか背後に回った校長が、衣吹を追い詰めるように一歩踏み出しながら告げる。その声に嘘は感じられない。今までと打って変わって、優しい声音にさえ聞こえる。
「衣吹さん……私の一族ならば、その衝動を止められます。さあ、この手を……真理の手を取ってください。姉妹仲良く、この永遠の箱庭で末永く過ごすのです」
理事長の言葉が甘い蜜のように衣吹の脳髄に沁み込んでいく。
ここには姉がいる。このおかしな身体を持て余さずに生きていける。それはきっと、素晴らしいことなのだと――。
「ちょっと待ったぁ!!」
その時、突如として扉を蹴り開き、館に突入してきた者がいた。
その者の名は――。
「ひ、輝!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます