第7話 『夜の図書館』
深夜の街は、静けさの中に不思議な緊張感が漂っていた。
時折、冷たい風が頬をなでる音が、夜の闇に溶け込む。
路地裏の狭い石畳を歩く足音だけが響き渡り、他に人の気配は一切なかった。
やがて、目の前に古びた図書館が現れた。
その姿は、まるでどこからともなく現れたかのようだった。
昼間の喧騒の中では一度も目にしたことがない建物。
それが、なぜかこの夜だけ存在感を放っている。
苔むした石壁と年代を感じさせる木製の扉が、時の流れから切り離された空間のようだ。
扉の上には小さな看板が掲げられており、そこには掠れた文字で『夜の図書館』と書かれていた。
その字体に、不可解な魅力を感じた。
その扉を前にして、一瞬、迷いが生じたが、好奇心が勝った。
扉を押すと、軋む音とともにゆっくりと開いた。その瞬間、冷えた夜風が後ろから押し込むように入り込んできた。
中に足を踏み入れると、空気が一変する。
図書館の中は、信じられないほど静かだった。
高い天井へとまっすぐ伸びる巨大な本棚が幾重にも並んでいる。
どの背表紙も統一されており、著者名は一切記されていない。
ただ金色の数字が刻まれているだけだった。それらの数字が、静かに存在感を放っているように思えた。
その静寂を破るように、奥の方から重みのある足音が響いた。
ゆっくりと近づいてくるその足音に、なぜか不安よりも心地よい期待が生まれた。
やがて、その音の主が姿を現す。
「いらっしゃいませ。」
現れたのは、小柄な老紳士だった。
シルクハットに身を包み、どこか時代錯誤的な服装だが、その佇まいには不思議な威厳があった。
柔らかな笑みを浮かべた彼の瞳は、深く澄んでおり、あたたかさと共に全てを見透かしているようだった。
「ここは、まだ誰にも読まれていない物語を保管する図書館です。」
その言葉は、静かに耳に染み渡った。
「誰にも読まれていない?」
「はい。ここにある本は、まだ綴られていない未来の物語です。」
未来の物語?その言葉の意味を理解する間もなく、老紳士は一冊の本を手に取り、差し出した。
表紙を見た瞬間、驚きで息を呑んだ。
それは、確かに自分の名前が刻まれた本だった。
恐る恐るページをめくると、知らない場面が次々と目に飛び込んできた。
これからの出会い、まだ見ぬ景色、そして選ぶべき道——その全てが鮮やかに描かれている。
「……これは、本当に僕の未来なんですか?」
「未来は、読めば変わるものです。」
老紳士の微笑みには、確固たる信念と穏やかさが込められていた。
その言葉の意味をどう受け止めるべきか迷いながらも、僕は本を閉じた。
そして、震える声で聞いた。
「では、どうすれば……?」
「あなたが決めるのです。読むのか読まないのか——どのページを開くのかも、ね。」
その言葉に込められた意味の重さを噛み締めた。
ふと、窓の外を見ると、東の空が白み始めていた。夜の静けさが消え始め、朝の兆しが訪れている。
もし朝を迎えれば、この不思議な図書館も消えてしまうのではないだろうか。
迷い、葛藤しながらも、僕は意を決した。
本をそっと棚に戻し、深々と息を吸い込んだ。そして、静かに踵を返し、図書館を後にした。
夜風が再び頬を撫でた時、心の中には確かな思いがあった。
未来は、あらかじめ書かれたものではなく、自分自身で紡ぎ出していくものだと信じている——。
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