第2話 気まぐれな女神が与えたのは、なんとも即物的な奇跡だった
「私、アフターサービスにも定評がありますのよ」
呆然とログハウスを見ていた俺の横で、光り輝く女神が朗らかに笑った。
真っ白な空間で見たものは、死に際の夢ではなかったようだ。
振り返れば、ガタガタとした道がある。整った道というわけではないが、馬車が通った跡も見られる。近くに、村があるのかもしれない。
女神がログハウスの入り口に立つ。その裏には生い茂る大きな森が見える。どうみてもここは田舎だな。王都からどれほど離れているのか。
「さあ、こちらへ」
女神が手を上げると、扉がひとりでに開いた。
不思議な光景を前に、わずかな警戒心が生まれる。
この扉の先にあるのは、地獄ではないのか。女神の姿は幻で、その実、地獄の使者なのかもしれない。扉の先にあるのは穏やかな日々ではなく、煉獄なのではないか。
俺は、それだけのことをやってきた。
周りに祭り上げられて兄を討ち滅ぼし、結果的に国を帝国に売り渡し……
「穏やかに暮らすなら、お城のようなお屋敷より、このくらいが丁度いいでしょ?」
俺の思考を断ち切るように、柔らかい声が尋ねる。いつの間にか伏せていた目蓋をあげれば、振り返った女神が微笑んでいた。
警戒心は拭えない。それでも一歩踏み出せば、ただ広いだけの簡素な部屋が俺を出迎えた。埃を被っているが、テーブルにソファー、棚がいくつかある。
「ここはいったい……」
「あなたの遠い親族の持ち物ってことにしてあるから、好きに使ってください」
空中にふわりと浮かんだ一枚の紙に、権利書の文字があった。そこには、ルーファス・ウッドローと記されている。ウッドローは俺の名ではないが、新しく用意されたものなのだろう。
失地王でなく、一人の中年男として生きろということか。
「なにか、裏があるんじゃないか?」
「疑り深いですね。さすがは何もかもを失った失地王様、といったところでしょうか」
「……騙されるのも、裏切られるのも、もうごめんだからな」
「あなたが民のために頑張っていたこと、これでも知っているんですよ」
女神が白い指先でソファーの背を撫でると、埃がパッと消えた。
白銀のドレスを翻し、女神は簡素なソファーに腰を下ろして、俺を手まねいた。
「復讐心を抱かずに『穏やかに暮らしたい』と望んだから、叶えることにしたのです。暮らすのに、家は必要でしょ? それだけですよ」
「……酔狂なことだ」
「ふふっ、女神の気まぐれだと思って、新しい人生を楽しんではいかがかしら?」
再び、女神の手が翻る。すると、光りに包まれた小袋が三つ現れた。光りは次第に弱くなり、袋はぽてっと音を立ててテーブルに落ちた。
「ハーブを育てるなら、種が必要でしょ?」
「……ずいぶんとお節介な女神だな」
「ふふっ。美味しいお茶でも飲んで、ゆっくりなさって。きっとハーブが、あなたを癒してくれます」
「茶を飲むまで、だいぶかかりそうだ」
袋を手に取ると、女神の身体が輝きはじめた。
「ログハウスの裏にある畑は、だいぶ荒れてますが、畑を耕す喜びを味わってくださいね」
「そうさせてもらう。時間は腐るほどあるからな」
「貯蔵庫にも、ちょっとだけサービスしておいたので、活用してください」
「貯蔵庫? あ、おい!」
どういうことかと尋ねる間もなく、光となった女神は、シャボン玉が弾けるようにして消えた。
キラキラと、砂金のような輝きもしだいに失われ、残された俺は埃っぽい部屋を見渡した。
手に握っていた小袋へと視線を向ける。
「……ん?」
三つだった袋が、四つになっていた。これも女神の奇跡なのか。
訝しげながら袋を開け、中身を確認した。
「これは……金貨?」
多くはないが、質素に暮らせば一年くらいは食いつなげそうな枚数の金貨だ。それと一緒に、メモが入っていた。
──可哀想な王様。新しい生活はなにかと物入りでしょう。田舎暮らしを楽しんでください。
ずいぶんとサービスが行き届いているものだ。やはり、裏があるんじゃないか?
疑いながらメモを見ていると、文字がキラキラと輝きだし、女神と同じように消えた。
ログハウスに金貨。なんて即物的な祝福だろう。
まあ、あって困るもんではない。
「……田舎暮らしか」
埃まみれの窓枠に歩みより、外を眺める。
ログハウスの前にある道は人っ子ひとり通らない。だいぶ田舎だな。
窓を押し開ければ、優しい風が入ってきた。土と草のにおいがする。今は春だろうか。
「まずは、部屋を掃除するか」
牢で寝るよりはましだが、せっかくなら、埃のない部屋の方がいい。
それに、他の部屋やログハウス内にある使えるものを確認しておく必要もあるからな。
キッチン、ベッドや机のある小さな部屋、浴室にトイレまであるぞ。思っていたよりも広いな。
貯蔵庫には塩や蜂蜜、穀物や干し肉まであった。
「サービスって、これのことか」
森で野草をとってくれば、ひとまず今夜は食事にありつけそうだ。キッチンに竈もあるし、部屋を片付けたらパンでも焼くか。
バケツに雑巾、ホウキとデッキブラシを見つけ、腕まくりをしながら、埃まみれの部屋を改めて見渡す。
埃を払い汚れた床を磨く。すすけた部屋が輝きを取り戻すごとに、手足についていた鎖が砕け、軽くなっていくようだった。
俺は、解放されたんだな。
次はなにをしようか。
胸のうちに暖かなものが広がり、自由を実感していた。
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