最終話 大切な気持ち
お弟子さんが亡くなって二年がたった。
俺はその日も、死んでいるかを確認してから起きた。
その日も朝四時から仕込みを始めた、麺を打って、出汁を引いて、かえしを作っていた。
出汁を作ろうと、具材をすべて寸胴に入れコンロに置いたとき。
「次のニュースです、あのプロサッカー選手の鉾田優さんが結婚しました」
俺は手を止めた、テレビの画面も見ずに俺は、火も付けていない寸胴を眺めた。
「相手は、高校の頃から優選手のサポーターを務めてきた水原沙希さんです、では今のお気持ちをお願いします!」
テレビは止めなかった、あの時の記憶が、俺を蝕んでいった。
優は。
「えー、今までいろんな人の期待に応えてきました、その道は決して簡単な道ではありませんでした。そしてその困難に、いつも横で一緒に戦ってくれたのが沙希でした」
俺は薄れ始めていた優と沙希の顔を思い出した。
「これからも、夢を追い続けるのは変わりません、今では同じ夢を持った妻がいるので、これからもずっと頑張っていきます!」
俺は首だけ動かしてテレビを見た。
約三年ぶりにあの整った面を見た、そして、さらに綺麗になった沙希を見た。
そして、二人の薬指にある指輪を見た。
次に、出汁に映る、疲れ切った自分の顔を見た。
ひどい面だった。
「う゛わ あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ」
俺は叫んで寸胴を倒した、中身は床にぶちまけられて広がった。
俺はその床にこぶしを叩きつけて。
「全員死ね!全員くたばれ!何が夢だ!なんで生まれてきた!なんで報われないんだ!なんで無駄に頑張ってきた!なんであそこで死ななかった!なんであそこで死んだ!なんで俺を侮辱するんだ!なんで俺を見捨てたんだ!なんで賭けなんかしたんだ!なんであいつなんかに惚れたんだ!なんでぇ、サッカーなんかやってたんだ!」
ずっと我慢され続けてきた感情は、ついに自分にぶつけられ始めた。
「なんで!……なんで!……なんで!……はぁ、はぁ、はぁ」
俺は我に返った。この世界は俺を拒絶した。
もう、生きる理由はない、死ぬ理由が多すぎた。
「今日……死のう、どこで死ぬ?最後ぐらい俺が迷惑かけてもいいよな、この世界は散々俺に迷惑かけてきたんだ。そうだな、駅で死のう、なるべく人が多い場所で、あの時に見たでかい駅で、線路に飛び込もう」
そう言って、顔を上げた。
正面の壁には、昔おじいちゃんがくれたラーメンのメモがあった。
「最後に……今日だけ」
俺は今日を最後の営業にすることを決めた、思い切って全品無料にした。だがさっき材料をぶちまけたことで、いつもの出汁を作る材料が足りなかった。
俺は思い切って、大量の鶏ガラと天然の塩と長ネギだけでひたすら煮込んだ。アクはあえて捨てずに残した。
他は材料が残っていたので今までと同じように作った、だがかえしには、アクの脂に、ごま油を少量入れてで加熱したものを加えた。
味見をしたが、相変わらず味はしなかった。
その日は、ドアに全品無料と書いた紙を貼った。
開店し一時間後、おじいちゃんが現役の頃から食べに来ている男が来た、昔より老けており、白髪も増えていた。
「平一君、無料というのは本気か?」
「はい、もういいんです」
「そうか、おじいちゃんが知ったら泣くぞ」
「どうですかね、まぁどうでもいいですけど」
「そうかねぇ、じゃあいつもの」
「はい」
俺はいつも通りの手順でラーメンを作った、完成品は、かえしに入れたアクが浮いてきていた。
そのラーメンをその男に出した。
一応、味見をした。
男が黙って食べているのを見て、あんな適当な出汁じゃだめだたんだなと思った。
だが。
「今日出汁違うね」
男は気づいた。俺は。
「はい、今日初めてだしを変えてみたんです、おじいちゃんのレシピを完全に無視したのでひどいでしょう」
俺は、男の顔をみれなかった、だが。
「ズズッ……ズッ」
麺をすする音に、男の鼻をすす音が重なっているのに気が付いた、俺はとっさに男の顔を見ると。
「ズッ……うまいよ平一君……うん、ついにおじちゃんを、先代を超えたな」
俺はその言葉に衝撃を受けた、男が泣いていることにも驚いた、でもその顔は、とても『幸せ』そうだった。
「え?」
「うん、うまい……平一君も食べてみなよ」
そう言って男はラーメンを俺の前に置いた。
俺はレンゲを取り、汁をすくって口に入れた。
……うまい、味がわかる、匂いがわかる、本当にうまい。
「おっ、今日無料ってマジか、金ないしここにしようぜ」
入り口からそう聞こえた。
「あっすいません!ラーメン二丁お願いします!」
二人の学生が入ってきた。あの学生服は覚えている、俺の母校のものだ。
「はい!喜んで!」
俺はラーメンを二杯作った、そして、味玉をひとつづつ追加して、席までもっていった。
「ん?!めちゃくちゃうまい!これほんとにただなんですか?!」
俺はただでいいと答えた、二人の『幸せ』そうな顔を見た。
俺が厨房に戻ると、続々とお客さんが増えてきた。
俺はこぼれかけた涙を袖でぬぐいラーメンを作っていった。
お客さんは全員『幸せ』そうな顔をして、うまいうまいと言ってラーメンを食べていった。中にはお金を机に置いて退店する人もいた。
そして昼の営業が終わる頃、出汁もかえしも麺も、ほとんど残っていなかった。
俺はみんなが『幸せ』そうにラーメンを食べるのを思い出して、思わず笑い、涙が出てきた。
「あぁ、そうだ……そうだったなぁ、俺は人を幸せにしたくて、サッカーにあこがれて、ラーメンを作ってたんだ」
俺はその場で膝を落とした。
「うわああぁぁー、よかった、よかったよぉー……はっ、あはっ!」
その日を境に店は大繁盛だった。
お客さんの顔を真剣に覚えるようになってから、常連の男があの日サッカーの生中継を見ているときに、酒をあおいでいた男だと知った。
あの日ペアルックの服で来ていたカップルは、小さいお客さんが増えていることに気が付いた。
一人じゃ回せないと思い、バイトを雇おうとした頃、もともとバイトをしてくれていた子が戻ってきて弟子にしてれと頼み込んできた。
三年後の朝の仕込み中、突如としてテレビ局がやってきた、今更何の用だと思ったが、全員は来ず、フードをかぶった体格のいい男と小柄の男が一人が入ってきた。
「すいません〇〇テレビのものなんですけど」
「何の用だ、うちは繁盛してるんだ、昔みたいなことは」
俺がそこまで言うと、小柄の男が。
「すいませんでしたぁ!」
全力で頭を下げて謝罪をしてきた。
「ん?!ちょっ頭を上げてください!なんなんですいきなり!」
顔を見ると、見覚えがあった。初めてこの店にテレビ局が押し寄せてきたときにいた男だった。
「上司には、前の件について謝るなと言われましたが、僕にはできません!そのせいで追い詰められて、一人死んでしまっているのに……」
俺は、素晴らしい人だと思った。
「頭を上げてください」
俺は少しかがんで肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ、もう気にしてません!店も大繁盛ですし文句なしです!」
そう言うと、小柄の男は安心したような顔をして頭を上げた。
「それであなたは……」
俺はフードをかけている男を見た。
平一は俺を許してくれるだろうか?そんな心配をしながら俺はフードを上げた。
「え?」
「久しぶりだな、平一」
「……優」
平一は俺を睨んだ。
「すいません少し席を外していただけますか?」
俺がテレビ局の男にそう言うと、すぐに外に出ていった。
「今更何の用だ?」
俺は言葉に詰まった、聞きたいことは山ほどあるが、平一は。
「……まぁ、座れ、ラーメン二杯持ってくる」
そいって平一は厨房へ戻った、数分経って、ラーメンを二杯持って戻ってきた。
「ほら、食え」
俺と平一は手を合わせた。
「いただきます」
「……いただきます」
俺は少し遅れて言った。
暫く食べ続けると、平一が。
「あの人と同じで謝りに来たんですか?」
俺は食べる手を止めて。
「あぁ、そうだ、謝って、それで……」
俺がまた言葉に詰まると平一は。
「いいんですよ、罪悪感を少しでも和らげたかったんでしょ」
言わなければならないことを言われてしまった。
「あぁ、そうだ。俺はずっとお前に謝りたかった、平一に酷い事を言った事、平一を裏切って沙希と付き合った事、あの時足を止めてしまった事。俺はずっと間違ってたんだ……」
そう言うと平一は。
「うーん、間違ってるっていうのが間違ってますよ」
「え?」
「優は……優先輩はあの時、自分を守りたかったんですよね?沙希が諦められなかったんですよね?俺を思ってくれたんですよね」
俺はそう言われて、涙が込み上げてきた。
「あぁそうだ、俺は自分勝手に……それで俺は」
平一が俺に手のひらを向けて会話を止めた。
「大丈夫ですよ先輩、あなたには大切な妻と、大好きなサッカーがあります。そして俺には、大切な店と、大好きなラーメンがあります。僕は幸せだから大丈夫ですよ、あなたは何も悪くない、ただ守りたかったんですよね」
俺は許されてしまった、平一から、サッカーも沙希も奪ったのに。俺がまた謝ろうとすると、平一は手を握って拳を作った、そして。
「世の中、何が正しいか、何が間違っているかより、何が大切か、何が大好きかを考えるべきです。優先輩は間違ってません」」
俺は拳を見た、正直なぜ拳を上げているのかがわからなかった。
「優先輩…………沙希は任せます」
俺はそう言われて、平一の意図を理解した。
「あぁ、じゃあ」
俺は日本サッカーは任せろと言おうとしたが、違うと思った。
「平一……この店は任せた」
「はい」
平一と優は昔の話で盛り上がった、顧問や同じ部活にいた奴らの愚痴、俺がディフェンスに変わった経緯や、先輩が今はどこでサッカーをしているか。
そんなこんなで、気づいたら二人のラーメンは汁までなくなっていた。
「もう食べ終わっちゃいましたね」
「そうだな」
「じゃあ」
二人は手を合わせた、そして。
「「ごちそうさまでした」」
そう感謝を伝えた、ラーメンに対して、食材に対して、今まで関わってきた人たちに対して。
――完――
らーめん @karupisuore
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