第2話


 燐太郎が帰ってきてから、姉さんは始終そわそわするようになった。というか、里全体が活気づいているような気がする。一晩中騒いだ宴会の日も普段は見かけない女忍まで来ていた。おそらく姉さんや燐太郎と同じ年頃の、一緒に修行を受けた娘たちなのだろう。皆任務で忙しいはずなのに、中には宴会が終わる頃になって急いでやってきた者もいた。普段は仕事以外で化粧なんて絶対にしないような眉を落とした女たちが綺麗に着飾って。また燐太郎がそれらを邪険にしないのも人気がある理由だろう。うんざりするほど見物﹅﹅されているのに終始にこやかに視線を返して見せる。修行時代からこの感じなら、そりゃあ里の女衆が活気づくのも頷ける。

 欠点という欠点が見当たらないので男たちも嫉妬のしようすらない。中には男なんだから顔の良さや愛想なんかより腕っぷしだと部屋の隅で拗ねているやつもいるにはいたのだが、アタシの見立てが正しければアレは腕も相当のものだろう。

 本職の忍には敵わないかもしれないが、少なくとも部屋の隅で丸くなってる奴らくらいは軽くいなせるに違いない。

「そういうわけで、さや姉は目一杯めかしこんで出かけていったからしばらく帰ってこない」

「別にお前の姉貴に用はねェ。置いてけぼりにされて拗ねてるお前を見に来ただけだからなァ」

 またケケケッ、と蒲は笑った。なんだってこいつは悪役みたいな笑い方しか出来ないんだろう。口をひらけば嫌味しか言えないみたいだし。

「そんなだから嫌われるんだ。もっと普通に言やぁいいのにさ」

「なんだァ。急に悪口いうんじゃねェよ。蒲サン傷ついちゃうだろうが」

 まるで意に介していないようだが、実際のところ蒲を嫌っている人はいるのが問題だ。忍としての腕前は確かなのだが、なにせ性格があまりにも屈折していた。さや姉も蒲のことは少し苦手なようだし。あの優しい姉さんにそんな風に思われるなんてよっぽどだ。まったくもう少しは人にどう見られるか頓着しないと損ばかりするのではないか、なんて余計な世話だと分かっていながら思ったとき。

「鼓、話がある」

 気配もなく飛んできた声は父さんのもの。広い家の中には、姉さんがいない以上父さんとアタシだけなのだから間違えようもない。それでなくとも、父さんの声はよく響いて落ち着きのある、耳に馴染む声だったのでアタシはすぐに覚えたのだけど。

「はぁい。じゃあ蒲、またね」

「アァ」

 短い返事だけして瞬きの間に消える。風みたいな奴。


   ***


「父さん、どうしました」

 部屋に入ると、西洋式の文机の向こうで父さんが険しい顔をしてこちらを見た。まぁ大体いつもこんな顔ではあるのだけど。

「鼓……そんなに他人行儀にせずともよいと言っているだろう」

 少し困ったように眉尻が下がる。これは家族﹅﹅にする顔。

「はい。でもアタシ、父さんに、血のつながってる父さんにもずっとこんな感じだったから。馴れなくて」

「無理にとは言わないが……少なくともサヤとはうまくやれているようだな」

「うん。さや姉はすごく優しくて、たくさん心配してくれるし。本当に感謝してます」

「アレも母親がわりになろうと張り切っている。甘えてやってくれ。……それから、修行の方もよくやってると聞いているが、どうだ、自分自身の手応えとしては」

「正直、周りの程度が低いと思ってます。アタシだって蒲みたいな先輩と比べたらもちろんまだ弱いけど、でも同年の中では複数人で相手をしても負ける気はしません。早く本格的な修行をしたいです」

「そうか……このまま忍として生きていくつもりなんだな」

「はい」

「本当に、いいのか。忍になれば普通の暮らしは出来ない。任務で命を失う危険だけでなく、同じ年頃の、サヤのような、そういう生き方はできない。特にくノ一は」

「くノ一は、というのは……?」

「男忍は引退してからでも家庭を持つこともある。だが女忍は滅多にない。理由は様々だが……お前に隠しても仕方がないから話しておく。女忍は捕らえられれば男とは違う危険がある。そのせいで引退しても子を産めぬ者もいる。そういったことがなくても男と違い、女が年を重ねれば子供を生むこと自体が難しくもなる。男忍よりは女忍のほうが生き残る確立は高いが、それは普通に暮らせるようになるというわけじゃない。……眉を落とす前に、いや、そのあとでも忍を辞めることはできるが、辞めるなら早いほうが良い。時間を無駄にせずに済むからな。だからよく考えなさい」

「……良いのですか?」

「なにがだ」

「父さんは、いえ、頭領は、アタシに忍になって欲しいのだと思っていました。だから父さんはアタシを引き取ったんだと」

 他の家だって、孤児を引き取って育ててる家はある。確かに頭領は他の家より特に裕福で余裕があっただろう。でもそれだけで理由になるだろうか。今代の頭領はアタシ以外の孤児を引き取っていないのに。

「……忍の長として、確かにお前の才能は惜しい。だが、父親として安易にその道を選ばせることは出来ない。返事はまだ急がないから、心が決まったら私のところに来なさい」

「はい……」

 すっかり忍になる以外の選択肢を考えていなかったアタシは、当惑してしまった。普通の女として、それこそ誰かを好きになったり、恋人になったりしていずれは母になる。そんな道があるんだろうか。

「あぁ、それから鼓」

 話が終わって部屋を出ていこうとしたら呼び止められる。

「蒲はどうしてる」

 父さんはアタシと蒲がよく話しているのを知っていて、気配を消すのがうまい蒲も流石に父さん相手には気取られてしまうらしかった。

「どうって、元気そうですよ。相変わらず嫌味ったらしいけど。父さんからもなんとか言ってください。あれのせいで里の奴らから嫌われてるみたいなんです」

「まぁ、それはそのうち落ち着くだろう。アレも馬鹿じゃない。立場が上がればやり方をかえるはずだ」

「そうだといいんですけど……」

「まぁ口の悪さは構わんが、私はアレにゆくゆくは頭領の座を継がせることも考えている。今はまだ若いが、それでも能力は同年代どころか上の者たちより高い」

 アタシはそれを聞いてびっくりした。だって蒲が強いのは知っていたけど、まさかもっと先輩の忍達より優れているなんて知らなかったし、父さんがそんなに見込んでいるなんて考えもしなかった。

「それは、蒲には……」

「そのうち話すつもりだ。ただアレは任務の報告を勝手に喋ってすぐにいなくなるからな。人の話を聞かん」

「え……大丈夫なんですか? それ」

 そんなやつが頭領なんかになって良いんだろうか。

「まぁ、頭は一つでなくても構わんからな」

 そんなことをぼやいて、父さんはどこか遠くを見ている気がした。アタシではない、遠くを。

「こんど蒲に会ったら私の話を聞くように言っておいてくれ。鼓の言うことなら聞くだろう」

「分かりました」

 返事をして、部屋をあとにする。

 にしても蒲のやつ、父さんに対してもそんな態度を取ってるなんて。アタシみたいなまだ見習い以下の奴や、忍になるのを諦めた奴らに素っ気ないのはまだ分かるけど、歴代でも随一の腕前と言われている頭領にまで舐めた口を聞くなんて。それとも現役じゃないならあいつにとっちゃ一緒なんだろうか。

「まったく。困った奴!」

 しかし蒲のことも気にかかるが、ひとまずアタシ自身がこの先どうするかが今重要な問題だ。父さんは待ってくれると言ったけれど、修行を切り替えるまでそれほど時間はない。今まではなんだか流されるように、選択する余地もなく生きてきたけれど、いざ自分の意思で選ばなくてはいけないと思ったらそれがとても恐ろしいことのような気がする。何も考えず、忍として命令をこなす未来のほうが簡単に想像できて楽なんじゃないか、とさえ。


 けれど──里へ帰ってきた素敵な青年のことを思い出す。

 宴の時に彼は皆から都会での暮らしぶりを聞かれて答えていた。

 彼のような洋装を着こなす人も多いこと。外国の人も沢山いて、みんな博識で最初は話を合わせるのが大変だったこと。

 里の暮らしでは想像できない色んな話を彼はした。それを聞きながらアタシは思わず想像する。見たこともない都会の景色を頭の中で作り上げ、外国の人や、彼のようなすらりとした佇まいの人が集まって、素敵な建物の中で難しい本を広げながら聞いたことのない国の言葉で話している姿……。

 自分が忍にならなかったとしたって、そんな世界にいけるとは思わない。でも、でももしかしたら──? 馬鹿みたいな夢想にふけって、心がゆらぐ。


 きっと、本当の父さんが生きていたら絶対にそんなことは許さなかった。

 アタシの父さんは、アタシを忍にするために育てた。だから他の子達よりずっと早くから厳しい修行をしていたし、そのおかげでアタシは他の子達より身のこなしも術の会得も飛び抜けている。

 むしろ父さんが死んで今の父さんに引き取られてからはあのぬるい基礎修行以外、家でも何も教わらないし教えてくれないので拍子抜けした。

 ただ、前は行ってなかった小学校に行かされるようになったから一日はそれなりに忙しくはあったけれど、それも父さんの修行に比べれば大したことはなかった。

 そんな、あり得なかったはずの未来が今、アタシにとって少しは可能性があるものになっている。


 ──アノ人ハ 今 十七 アタシハ九ツ

 六年経テバアノ人ハ 二十三 アタシハ十五


 アタシニダッテ アタシニダッテ 夢見ルクライ──


「ただいまー!」

 元気な声に、体がビクリと震えて。

「おかえりなさい。姉さん」

「ただいま鼓。ずっと縁側にいたの?」

「うん。風にあたりたくて」

「そう、あんまり体を冷やさないようにね。女の子なんだから」

「平気だよ。ありがとう」

 優しい姉さん。一年前、急にやってきた気の立った扱いづらい子供を怖がらずに、微笑んで抱きしめてくれた人。自分も女学校に通っていて忙しいにもかかわらず、本当の母のように世話を焼いてくれた人。優しくて、綺麗で、その手の温もりがアタシは好き。


 カワイソウナ奴ヲ アワレンデ イィ気分ニ浸ッテイルダケサ 騙サレルナヨ


 心臓が、跳ね上がる。あらぬことを考えた自らに。痛むほど目を見開いて、怖いと思った。一瞬でもそんな醜いことを思い浮かんでしまったことが。

「鼓? どうかした?」

「……ううん。なんでも、ない。……やっぱり寒くなってきたかもしれない。アタシ、部屋に戻るよ」

「そう。その方がいいわね。後であったかいお茶をいれてあげるわね」

「うん……。ありがとう。姉さん」

 今日はなんだか余計なことばかり考えている。もうやめよう。姉さんの淹れてくれたお茶を飲んだらすぐに眠ってしまおう。まだ早いけれど。


 急に色んなことがあったから混乱して疲れているんだ。ゆっくり休めば頭も整理されるはず。それからもう一度ちゃんと考えよう。

 そうすれば、きっと、後悔のない選択ができるはずだから──。


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