思色の打掛

安藤 清

第1話


 その日、ガシャガシャとけたたましい金属音を響かせて、里にハイカラな乗り物が近づいていた。

 忌々しくそれが里の中の畦道を走るのを遠くから眺めていると、やがてそれは里人に群がられるようにして止まり、中から青年が降りてくる。

 先程まで苛立たしく乗り物の放つ悪臭と騒音を睨みつけていたのだけど、洋装に身を包んだ男を見た瞬間、アタシはそんなことが全部どうでもよくなってしまった。

 里にいる熊かイノシシみたいな男衆とはまるで違う、背丈は四尺四寸ほどの長身で、姿勢はすらりと美しく、切れ長の目に、主張しすぎない口元は柔らかく微笑んで……。そこらへんの娘が必死にめかしこんだって敵わないくらい麗しい顔立ちをしていた。

 今朝から里の女衆が騒いでいたのも理解できる。そういえば姉さんも珍しく朝から落ち着きが無かった。

「やっぱりいるな」

 自動車に群がる男衆と、青年に群がる女衆と。その中に姉がいるのを見つける。

「お前は行かなくっていィのか」

 突然、声が聞こえて驚いて振り返る。

ガマ! いつからいたんだ」

「ずっといたんだよ。にしてもナンだァ、あんなナヨナヨしたのが好みかァ?」

 ケケケッと蒲が笑う。アタシより四つ年上で、もう眉を落として立派に任務をこなしてるすごい奴だけど、なぜか暇さえあればアタシに構ってくる。

「アイツ、今年で十七だって聞いたぜ。お前の姉貴の一個下っつってたからなァ。それにあれだけ選び放題じゃなァ、お前のモンには──」

「うるさいな! 何も結婚したいなんて言ってないだろ。アタシはただ通りがかったから見てただけ!」

「……にしてはズイブン長いこと見てた気ィするけどなァ。向こうもこっちに気づいたんじゃねェの?」

 言われて、まさかと思って彼の方を見る。相変わらず群がられて、それにもう一人自動車を運転してきたらしい男も一緒になって声をかけられている。その男も洋装を着こなして、それに髪や肌の色がアタシたちとは違う。

「ありゃァ外人か。どォりで、自動車なんて金持ちの乗りモン持ってるワケだ。ウチの奴らは、あァいうのビビらねェからな。見ろよ、向こうが気圧されてるぜ」

 蒲の言う通り、普通このくらい都会から離れた田舎なら、よそ者を嫌う。ましてや自分たちと容姿の違うものなどは怖がって遠巻きに見る。警戒心があれば当然のことだ。自動車だってあんな未知のもの恐れるのが普通だが、この里の者はあまりそういった感覚はない。

 単にそれらを見知っている者が多いというのもあるだろう。なにせ里の者の何割かはそういった金持ちに雇われることも多いのだから。

「そんでお前、こんなとこで時間ツブしていィのかァ。血ィ乾いてきてんぞ」

 言われて、自分の道着にベッタリとついた血を思い出す。赤かったそれが端の方から茶色に変色しはじめていることに気づき、慌てて家へ帰った。

 頬や髪にも飛んでいる体液を、井戸で頭から水を被りなんとか落としながら道着も一緒に洗う。

「さむ……」

 震えながらなんとか綺麗になった道着を絞り、新しい浴衣を羽織ってから庭の物干し竿に道着を干していると、ギィと音がして門扉が開いた。姉と父がちょうど帰ってきたのだ。

「姉さん! 父さん、おかえんなさい」

 走って二人の元へ向かうと、姉さんが私の名前を悲鳴に近い声で呼んだ。

つづみ! 髪がびしょ濡れじゃない! 風邪ひいたらどうするの!」

 言われてからそういえば背中が冷たい。さっきまで水を浴びて体が冷えていたのであまり気にならなかった。あわてて手ぬぐいを取りに家の中に入っていった姉さんとは対照的に父は落ち着いた声で鼓を見下ろしながら言う。

「ちょうどよかった。そのまま着替えさせてもらいなさい。これから燐太郎りんたろう君がうちに来るから」

「え……?」

 聞き覚えのない名前に首をかしげる。

灰西はいにし家の燐太郎君だよ。見ただろう。彼はこの春に学校を卒業して里に戻ってくることになった。だから卒業祝いと山祝やまいわいを兼ねて家でもてなす。もうすぐ手伝いの女衆も来るだろうからそれまでに着替えなさい」

「はい。分かりました」

 手ぬぐいを用意している姉のところに向かい、父の言葉を伝えると姉は快く着付けを手伝ってくれると言った。すでにいくつか見繕ってあるらしく、そこから好きなのを選ぶように言われ、髪も姉さんが結ってくれた。

「動きづら……」

「やだぁ、かわいいわよ。だからそんなこと言わないで、ね? あっ、あんまり足開いちゃダメよ。これも修行だと思って。私の動きを真似すればいいわ」

 野山を飛び回るのは得意だが、女らしい所作をするのはまだ苦手だ。必要な教養なのは分かっているのだがどうにもいらいらしてしまう。そういう気持ちが顔に出たのか、姉は困った顔で笑いながら言葉を重ねた。

「鼓は今年から本格的な忍修行が始まるんでしょう? くノ一なら避けて通れないわよ。こういうことは」

「……はぁい」

 そういうのは、そういうのが得意な奴がやるんじゃないのか。

「どうせあたしにはそんな任務回ってこないって思ってるでしょ?」

 図星をさされて目をそらすアタシを尻目に姉さんはさとすように言う。

「確かに鼓は同い年の中でも飛び抜けて優秀だものね。戦う技術が必要な任務の方が多いかもしれない。でもだからこそ武器は多いほうが良いのよ。忍になるのを辞めた私が偉そうに言えることじゃないけど、誰よりも鼓のことを心配してるの。分かってちょうだい」

 ほとんど母代わりのこの人にそう言われてしまうと、もう文句は言えなかった。実際、姉さんはいつもアタシのことを気にかけてくれてる。修行で怪我をして帰ってきたときも、熱を出して寝込んだときも。

 父さんだってきっと心配してくれているのだろうけど、声をかけて助けてくれるのはいつも姉さんだった。だからアタシは姉さんの『心配』の言葉に弱い。

「さ、それじゃ私は御飯作ったり支度しなくちゃいけないから、鼓はお着物汚さないように片付けだけ手伝ってくれる? ほら、ちょっと生活感あるでしょ、うち。物干し竿とかも裏の方にしまわなくっちゃいけないし」

「わかった」

「よろしくね」

 それからすぐに女衆がわらわらとうちに来て、姉さんの案内とともに慌ただしく用意を始める。それを横目にアタシは家の中をちょこちょこ動き回り、見栄えの悪いものを奥の部屋に移動させはじめた。

「これどうしよっかな」

 少々重かろうが大きかろうが労せず動かせるのだが、高いところにあるものはいささか困る。普段なら飛んで取ればいいだけだがこの着物でそれをすると崩れそうだ。姉さんと違ってサッと直せるわけでもないし。忙しい時に手間を取らせたくはない。

 庭の物干しの前でため息をついていると、また声がかかった。

「先に道着かたして竿は倒しゃァ良いだろォが。地面に付く前に取りゃァ汚れもしねェ」

「蒲、お前どっから来たんだ!」

「それよりさっさと片付けねぇと燐タロークンが来ちゃうんじゃねェの」

 外が男たちの声で騒がしくなってきたことに気づき、庭を後回しにしたことを後悔する。慌てるアタシを見ながら蒲は短くため息をつき。

「仕方ねェやつ」

 言って、あっさりと着物と竿を鮮やかに回収してしまう。背丈はアタシとそう変わらないはずなのに、ちっとも手こずる様子はなかった。

「ほら、さっさとしまってこいよ」

「ありがと……」

 すぐに馬鹿にしてくるけれど、結局優しいのだ。そうだ、姉さんともう一人、アタシのことを気にかけてくれているのは他ならないこいつだろう。

 無事、見えるものはしまいおえて、姉さんたちに男衆がすぐ近くまで来ていることを知らせる。

「もう来たの!? 早いじゃないの! も~! ごめん鼓、入ってもらって広間で待つように言っといてくれる?」

「分かった」


 パタパタと足先だけ動かして着物が崩れないように気をつけながら急いで門を開けると、ちょうど彼らも家人を呼ぼうとしていたところだったようで、少し驚きながらアタシを見下ろして挨拶をしてきた。

 見覚えのある灰西夫婦の隣であの美しい青年が微笑んでいる。思わず心臓が跳ね上がったがこの鉄面皮にはさして変化がない。いかなる時も感情を悟られない忍としての心得は会得済みだ。

 見覚えのある里人たちはめいめいに何か喋っているが私の仕事はとにかく彼らを広間に連れて行くこと。アタシはやかましい彼ら全員に伝わるように思い切り声を張り上げる。

「皆様方! いましばらく用意には時間がかかりますので、広間でお待ち頂くようにと申しつかっております! ご案内いたしますのでお静かに!」

 浮かれ腐った男どものうるさいこと! 腹立たしい。

「どうぞこちらへ!」

 なんとか広間へ通すと、女衆の一人がやってきて、また新しい仕事を命じる。

「ごめん、みなさんにお茶、淹れてあげてくれる? 湯呑みはもう並べてあるんだけど、いまお湯沸かしてるから。もう少ししたら台所に取りに来てちょうだい」

「分かりました」

 ぱたぱたと急いで戻っていく女を見送り、広間の様子をチラと確認して一応座って話しだしたのを見てからすぐに台所へ向かう。両手にヤカンを持って、またパタパタと広間へ戻り、騒がしい大人たちを押しのけながらお茶を注ぐ。

「おぉ、ありがとう鼓ちゃん」

 灰西夫婦はそう言ってにこにこと体を避けてお茶が入れやすいよう湯呑みを少し動かしてくれる。袖口を抑える仕草も綺麗だ。この夫婦は里の中では珍しく感覚が新しい。他の里の大人たちのように女子供が茶汲みをするのは当たり前で、礼を言おうなどと思いもつかないカビ臭い感覚はない。さすが外に出て商いをやっているだけある。今や男女平等、人権尊重の時代なのだから。

 さて、じゃあ主賓にもお茶をいれて差し上げなければ。そう思って顔を上げると、夫婦と同じ様に湯呑みを差し出した青年が微笑んでいた。夫婦と違って洋装の彼の腕は白く引き締まった袖布から程よく骨ばった手が覗いている。

「ありがとうございます」

 丁寧にそう言われて、アタシは内心慌ててぶっきらぼうに「仕事ですから」と答えた気がする。だけども、彼はさらに言葉を重ねた。そしてその内容が余計にアタシを驚かせたのだ。

「忍修行、頑張っているんですね」

「えっ?」

 思わず注いでいたお茶を引き上げて彼の方を見る。

「さっき丘の上からこちらを見ていましたよね。遠目ですからはっきりとは見えなかったのですが。申し訳ない。あんなに五月蝿い乗り物がきたら嫌でも目に付くでしょう。僕は何度も断ったんですが……」

 気づかれているとは、思わなかった。かなりの距離があった。彼のような忍修行を途中で辞めた人間が、里人全員がやる基礎修行だけで卒業したやつが相手の顔まで認識できるような距離ではない。

 忍修行は、だいたい八歳で一区切りつけるのだ。基礎はそこまで、そのあと続けて忍として任務をこなすようになるかは本人の希望もあるが、資質によるところが大きい。大抵の辞めるやつは好きで辞めるのではなく、自分で限界を感じるか、諦めるようにと言われるかのどちらかだった。姉さんだってそれで辞めた。この人も、辞めたから都会の学校に行っていたはずだ。

「誰かと話していませんでしたか? 相手の人は見えなかったけれど」

 アタシは動揺しながらも、質問に答える。

「……蒲という、先輩の忍がいて。その人と話してました」

「そうだったんですね。すごいなぁ。僕なんか基礎修行でさえ辛かったのに。鼓さん、て呼ばれてたよね? 鼓さんはいま本格的に修行をしてるんですか?」

「あ、アタシはもうすぐ九つになるから、本格的に始めるかそろそろ選ばなくちゃいけないんです」

「そうなんですね。大人びているからもう始めているのかと思いました。頑張ってくださいね。忍は皆の憧れですから」

「はい」

 無表情のまま返事だけして、すぐに他の人のお茶をいれにいく。

 顔が赤くなってないか今すぐ確認したい心地だった。

 蒲のケケケッと笑う声が、聞こえる気がする。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る