第27話 砂原さんは、結局

あの事件の後、麻衣は砂原さんと二人で会うようになった。多分、付き合っていると言っていいと思う。


仕事が終わってから、外でおちあって二人でご飯を食べたり、砂原さんが麻衣の家に来たりする。時には、朝まで泊まっていくこともある。


シャイな砂原さんは、麻衣と二人で会っていることは、決して会社の皆には知られたくないと言い(女の子同士で二人で会っていても、周りはなんとも思わないと思う、とは言ったのだが)会社の中ですれ違っても、必要な会話か挨拶くらいしか、ほとんど言葉を交わしてくれない。目も合わせてくれない。


そんなつれない砂原さんの姿を見ながら、麻衣は、自分だけしか見たことのない、昨晩の砂原さんの姿を、頭の中でひとりかみしめるのだった。


「そう言えば、知ってる?太田さん辞めるんだって」


絵里香が言った。夕方のホテルのラウンジ。ケーキバイキング会場である。

ここのは種類も多く、ホテルらしく高級感のある美味しいケーキが多いと評判なのだ。

かなり残念ながら、ここには砂原さんとは来られない。


「そうなの?どうして?」


麻衣は尋ねた。


「それがさ。婚約ダメになったらしいよ。あの、大手百貨店の娘との」

「へえ」

「浮気だって、太田さんの。それも何人も同時進行してたみたいで」

「へえ」

「あと、色恋営業もしてたみたい。相手の人に訴えられてさ。会社の方はそれで問題になって、懲戒処分ってことになったみたいよ」


ザマアミロ。やっぱり神様はちゃんと見ている。見ているのは神様だけじゃないけど。


「そうなんだ。でも、どうして急にバレたんだろうね」


麻衣は、白々しく尋ねた。


「さあ。なんでだろうね」


絵里香は関心なさそうにいうと、クリームのたっぷり乗ったケーキを口に運んだ。






「春の人事異動なんだけどな、びっくりする人が来るぞ」


午後の経理室。先月分の月次資料の作成を終え、経理室にもようやくホッとしたムードが流れ始めた頃、課長が、コーヒーを淹れながら、誰に話すとでもなくつぶやいた。


「よかった!誰か来てくれるんですね!」


真っ先に反応したのは梅原さんである。


「砂原さん移動させといて、補充なかったですもんね。いくら決算期じゃないとはいえ、残りのメンバーだけでここまで回せたのは奇跡ですよ」


「誰が来るんですか?砂原さんの代わりとなると、相当の人材が来てくれないと」


田代さんも応じる。


「誰かはまだ言えんが、相当な人材であることは私が保証する。皆にも本当に苦労をかけたな」


課長は上機嫌である。課長がそこまで言い切るからには、課長が直接知っている人物ということだろうか。課長は経理室に来る前は企画部にいたらしい。企画部で「びっくりするような人」というと? …誰だろう。全く思いつかない。


「思わせぶりですねえ」

「まあ、当日までのお楽しみ、ということで」


鼻歌でも歌い出しかねない雰囲気で、課長は席へと戻っていった。


そして、人事異動当日。


「お待たせしました。今年度から我々と一緒に働くことになった新しいメンバーを紹介しよう。さあ、入って」


そう言って、課長がその人を招き入れた時、経理部員の間からどよめきが起こった。


「戻って参りました。また、よろしくお願いいたします」


無愛想にそれだけ言って頭を下げる。それは、紛れもなく砂原さんだった。


―砂原さん!


本人が内示を受けてから、きっとずいぶんたっている。その間、何度も会っているはずなのに。


「ひどい、教えてくれないなんて」


そうつぶやきながらも、麻衣の頬に、抑えきれない笑みが浮かんでしまう。

また、毎日砂原さんと一緒に仕事を出来る日が来るなんて。これからは昼も夜もずっと砂原さんを見ていられるのだ。


―お帰りなさい!


そう言って、抱きついてやろうと思った。

会社では他人のフリをするようにときつく言われているが、このくらいはいいだろう。


砂原さんが経理に帰ってきてくれたことは、そのくらい嬉しかったし、砂原さんもこのことをずっと麻衣に秘密にしていたバチだ。砂原さんのことだ。きっと、「だって麻衣ちゃんのこと驚かせたかったんだもの」とか言うに違いないけれども。


「おか…」


抱きつこうとした麻衣の鼻先に、ファイルが突きつけられる。


「これ、作成したの杉谷さんですよね。さっき確認したら、ミスがありました。それも3カ所も。直しておいて下さい」


「…はい、すみません」


麻衣は、すごすごと引き下がった。


「あと、さっき伝票を見たら、概要欄が抜けてるところがいくつもありました。決算処理が始まってからでは間に合わなくなるので、今のうちに記載しておいた方がいいと思います」


「…そうですね」


梅原さんがしょんぼりした声を出す。


「それから、会計ソフト、新年度から新しいのが入るんですよね、その告知が各部にまだされてないようなので、早めにしておいた方がいいかと思います」


「そうですね、俺も、そろそろしなきゃと思ってたところで…」


田代さんもしどろもどろになっている。


「やっぱり砂原さんが戻ってくると引き締まるなあ」


課長は嬉しそうだ。


「さすが、経理部の妖怪」


最後の一言は、ほんの小さな声で呟いたのだが、砂原さんは鋭い目で課長の方を見た。


「何か言いましたか?」

「いや、何も」


焦った様子で両手を振っている。笑ってしまった。


―やっぱり、経理部の砂原さんは、怖い。


大松製菓経理部は、今日も平和である。


(おわり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂原さんは結構怖い 緑沢茜子 @akanekogr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る