宇宙戦争の果てに

亜脳工廠小説執筆部

31時間後・・・

「君、最後に風呂に入ったのはいつだね?」


 ベレー帽の士官がチラと視界の端を見る。


「――504時間前」

「どうりで臭いわけだ。若者は風呂に入らんといかん」

「水は少しも無駄にできませんので」

そう言って、士官は帽子を被りなおす。

「そうだがな、人は誇りに生きるものだ」

「しかし」

「いや、入りたまえ。私の分のを使ってもいい」


 そう言って、老人は、『水』を若い士官に押し付けた。


「予定ではあと一時間後。しかし何があるかはわかりません」


 勲章を満載した老人はため息を履きながら士官を部屋の外に押し出す。


「さっぱりしてこい」


 何を考えているのかわからない人だ、と思った。

 もともと艦隊戦では何週間も風呂に入らないのが当たり前である。


 それも彼のような熟練が……


 廊下はいくつもの隔壁が閉じていた。

 放棄された大量の階層。破片が掃除もされないままに散らばっている。

 

 辿り着いたがらんどうのシャワールームは水の臭いがしないくらいに乾いていた。

 粗末なカーテンやたくさんのシャワーヘッドが寂寥の微粒子を放つ。

 固くなったノブを回すと、久方ぶりの温水に全身が歓喜した。


 温水の奔流の中で静かな時間が過ぎる。


 始めは宇宙に瞬く爆炎の一つ一つが命の消費であることに恐怖すら抱いていた。

 統計の上で繰り広げられる死。

 コンソールの上で消えていく船の軌跡。

 そんな日常に慣れてしまってから、私はひどく冷徹になった。

 切り捨てる命は切り捨て、艦隊の損耗のために少数を危険に晒す。

 艦隊運用はその繰り返しだった。


 それでも状況は少しずつ少しずつ悪くなっていたのだ。

 心を殺しても、覆せない滅びはある。


「ただいま戻りました」

「さっぱりしたな」

「ええ、おかげ様で」


 窓の外は残骸が舞っていた。

 無重力の深淵の中に大破した残滓が沈んでいく。

 それがずっと繰り返され、この船はどんどん身軽になっていくのだ。


「歴史の話を聞いたことはあるか」

「はあ」


 老人は古びたラジオを傍らに抱きながら、ゆっくりと話し始める。

 士官は顎を触りながら記憶を巡らせた。


「いいえ。学校では殆ど艦船のことばかりでしたから」

「この戦争が起きた理由も知らんだろう」


 若者はこくりと頷いた。


「確かなことは何も」

「ふむ。そんな暇もないとはな」


 一瞬、差し迫った終焉の匂いがした。

 そうか、もうそんな余裕も無かったのか。


「戦争が始まったのは、もう100年以上も前のことだそうだ。

 その頃人類は宇宙に進出したばかりで太陽系の開拓もあまり進んでなかった。

 得体の知れない異星人に会ったのはその頃らしい。


 彼らは出会うなり攻撃を始めた。

 それ以降俺達は押されるばっかりだったが、異星人の技術を研究して巻き返した。

 ただそれも敵さんの本体ではなかったらしい。


 今度はもっと大勢を連れて俺達を潰しに来た。

 俺達を潰そうとする理由はわからねえ。

 だが、なんだったか。ある時に流行った理由がおれは真実だと思う」


 いきなり話始めた老人の声色には絶望の微粒子が宿っていた。

 どうせ今回の望みも無理だろうと言う、そういう雰囲気だった。


「おおよそ噂で聞いていた通りですね。しかしそんな前から」

「おれは今回の策にはかけたが、多分無理だと思う」

「それは一体」

「黒暗森林って知ってるか?」


 老人は酒に病んだ目を虚ろに放つ。


「宇宙人どもは自分の身を守るために、他の宇宙人を消そうとするらしい。

 ちょうど、暗い森の中で狩りをするように。

 宇宙人の場所なんてわかりようがないから、暗い森なんだと。

 その世界だとちょっとでも場所をバラしたやつから死んでいく。

 得体の知れない方法でな」

「だとしてもこの戦争は、ある程度拮抗している」

「敵さんがどんな手を隠しているかもわからないのに?」


士官は思わず沈黙する。

その通りだ。手のうちを明かさないのが、種族を越えた最も打算的な発想だ。


「今回の策もそうだが、過去もそうだっただろ」


士官は沈黙ののち、

「・・・なるほど。我々が異星人の技術で発展したように、ですか」

「そうだ」

「俺達はたまたまこの宙域に入って、出る時にはおそらく数百年経ってるだろ」

「その間に何が起きているか、ですか」

「ああ」


 酒の入ったボトルを一飲みした。

 もうどれだけ残っているだろう。

 我々がこのウラシマ空間に入ってから、既に一日と少し。


「……もうすぐですね」

「さあ、結果を見ようじゃないか」


 船内がガタンと揺れる。

 ずっとたくさんの船体が窓の外で散らばった。

 光速に近い速度から脱したのだ。


 そこで、彼らは驚愕した。

 始めは他の船の破片。それも有機系の資料かと思ったのだ。

 それがいくつも、船体にまとわりつき、カメラに当たって跳ね返る。


 違うそんなものではない。宇宙という海原に浮遊する粒子の一つ一つなのだ!

 いくつもの肉腫が星々を覆っている。

 のたうつ触手が宇宙を覆っている。


 誇張ではなく肉眼で観測できるくらい、はっきりした巨大な構造なのである。


 士官は思い出した。

 恒星の如く光を放つ生物の大宇宙構造は、あの日顕微鏡の中で見た光景にそっくりだったことを。


「予想以上ですね」

「……ああ」


 老人は圧倒されていた。

 これが戦争の結末だというのか。

 信じられない。


 さばらえた掌でラジオを掴む。

 震える手で周波数を合わせた。

 ノイズまみれの女とも男とも取れぬ奇怪な声が部屋に響く。


「……こ…こ…こちらは、帝国である。貴船は我々の宙域を侵犯している!

直ちに立ち去るか、我々の軍門に下り給え!」

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