悲しみの忘れ方

すーぴーぱんだ

悲しみの忘れ方

 明日3月26日の横浜アリーナでの卒業コンサートをもって、キャプテンの菅谷咲月(すげのやさつき)さんが「月と六ペンス」を卒業する。

 5期生として16歳で加入し、20歳でキャプテンに就任した後―凡そ5年に亘って30数名のグループを率いて来た、正にレジェンドである。

 そんな咲月さんの卒業企画として、咲月さんより5コ下の6期生で、副キャプテンを務める私、矢野萌華(やのもえか)は、1週間前にグループの冠番組のスタッフから、テレビ東京本社社屋内の会議室に呼び出された。

 話の内容は、キャプテンの咲月さんと一番長い時間を一緒に過ごした私に、卒業コンサート前夜に咲月さんに感謝の気持ちを伝えて、出来れば咲月さんを泣かせて欲しいというものだった。

 咲月さんに感謝の気持ちを伝えるのはやぶさかではないのだが。はたしてそんなに上手いこと行くだろうか? 私は首をひねった。咲月さんが泣くのは小動物ネタと幼児ネタに限られていたからだ。

 1週間後の夜、常宿にしている新横浜プリンスホテル37Fの一室に、番組スタッフに呼び出された私は、隣室に設置された3台の隠しカメラから、室内の映像を見せられた。

 午後9時過ぎ、女性スタッフに案内されて、咲月さんが入って来た。

 心なしか照れたような笑顔を浮かべている。私の好きな咲月さんの表情の一つだ。まだ本人に言ったことはないけれど。

 私は軽く頷くと、部屋を出た。

 咲月さんの部屋の扉の前でバッグを抱え直し、深呼吸をした。ドアをノックして開け、「失礼します」と、お辞儀をして室内に入る。

 シモンズ社製のベッドが二つ並べられた奥の大きな窓辺のソファに、咲月さんは座っていた。私は咲月さんの向かいに置かれたソファを、咲月さんの横に動かすと腰を下ろした。

「咲月さんとは、いつもふざけ合っていて…」

 私は皆に評判の、涼やかな声で話し始めた。咲月さんには、「歌もダンスも、ライブのMCも下手っぴなあなたは… 声で合格したのね。きっと」と、今でも笑顔でイジられるのだが。

「真面目に感謝の気持ちを伝えたことなんて、一度もなかったんで―」

 何度も肯く咲月さん。入りとしては上出来と言えよう。私は言葉を続けた。

「咲月さんと一緒にクックパッド・ライブ(料理配信番組)を始めてから… グッと距離が縮まったのかなって」

 …ん? 想いが込み上げて、私が涙声になっているのだが。

 咲月さんを泣かせる前に、私が泣いてどうする。

「私たち6期生は、5年という長い期間のお付き合いで。沢山のものをもらって…」

 冷静さを取り戻すと、私はバッグの中から愛用の白のノートパソコンを取り出し、丸テーブルの上に置いた。楽屋で大学のリモート講義を受けたり、課題をこなしたりしていたものだから、細かい傷がそこかしこにいっぱい付いている。

「動画を用意して来たんで、見て頂きたいなと」

 ディスプレイに「大好きな咲月さんへ」と表示された画面をクリックすると、6期生メンバーの画像が現われた。一人ずつ咲月さんへの感謝の言葉を口にして行く。

最後に私が登場した。

「初めてお会いした時、緊張でいっぱいいっぱいだった私達6期生に、『先輩は頼るためにいるんだからね』とか、『迷惑は沢山かけていいのよ』って言って下さったのが、今でも…」

 咲月さんの涙腺が緩んで来た頃かなと思い、その様子を横目で伺う。咲月さんは真面目な顔をして、ノートパソコンの画面に見入っている。私は首を振ると、溜め息を吐いた。

 …後1コしか用意して来てないんだけどな。

 私は中学生の頃からスマホで写真を撮るのが趣味だったので。咲月さんと一緒に撮った、数万枚からの写真をパソコンで編集し、スライドショー的なものを作成して来たのだった。

 手紙も書いて来た。一緒に読もうと思ったのだ。気分は結婚式の新婦・咲月さんの友人代表である。

 私は咲月さんと同じ神奈川県横浜市出身で。加えて同じ私大の附属の女子高出身ということもあって、グループ加入当初から、何かと懇意にして貰っていたのだ。

 二人して激辛料理好きだったので、何度か一緒に韓国へ旅行に行った。咲月さんのお家にお泊りして、ご家族の皆さんに怖がられながら、激辛台湾火鍋をやったこともあった。

 ノートパソコンの画面をマウスでクリックしながら、「私のお気に入りの咲月さんの写真が出たら、持って来たお手紙を読みますね」と咲月さんに伝えた。

 ライブ会場に用意されたケータリングで、アップルパイを美味しそうに頬張る咲月さんの写真が出た。私は手紙を読み始めた。


「咲月さんへ

 今まで本当にお疲れ様でした

 5期生としてグループに加入されてから9年間、楽しいことや嬉しいことは勿論で 

 すが、辛いことや苦しいことも沢山あったかと思います

 咲月さんは、出会った時から優しく、温かくて―

 加入後間もない頃、番組収録スタジオの隅で縮こまっていた私達6期生に、最初に

 話し掛けて下さったのは、咲月さんでした」

 手紙からちらっと顔を上げると、咲月さんの両目が真っ赤になっていた。

 …もうひと押しかな。

「優しい、本当に優しい

 もう聞き飽きたってくらい、メンバー皆に言われていると思いますけれど

 私はこんなにも優しい人に出会ったことはないです

 だから、いつも自分のことは後回しで、誰かのことを常に考えている咲月さんのこ

 とが…」


「…萌華」

 咲月さんが、いつもの落ち着いた声で言った。ん? と咲月さんを見ると―

「あなたはどうなの?」

 咲月さんは何故かとても悲しそうな表情をしていた。一瞬、私は何かやっちまったのかなと、心の中で焦ったのだが。

「ずっと思っていたんだけれど… いつになったら、萌華は私にわがままを言うんだろうって。副キャプテンだからって、自分一人で抱え込まないでいいんだよ、私のことを頼っていいんだよ、迷惑をかけていいんだよって言ってたのに… 卒業するまで、やっぱりずっと何も言わないのかなって…」

 私は黙ったまま、手紙に視線を落とした。

「6期生の子達が入って来た時、あなただけ3ヶ月遅れだったわね。運営の発表では学校の都合ってことだったけれど。…本当はご両親が反対してたんでしょ?」

 私は驚いて顔を上げた。絶対誰にも言わないで下さいねって、スタッフさんには言ったのに。誰がバラしたんだ?

「―私もそうだったから」

 驚く私に、咲月さんは言葉を続けた。

「芸能界のことを、未だに魑魅魍魎の世界だと思い込んでいる昔気質の父親が反対するのは、端から分かっていたけれど。最終審査の前日に母親が運営に電話をして、『娘を落として下さい』って言ったのよ。信じられる? その日の夜に、人生で初めての大喧嘩をして、家を飛び出したんだけれど。地方から上京して来た子達の為に、グループが代々木上原に用意してくれた寮に内緒で泊めて貰って。未成年だったんで、合格後、両親の許可を取るのに3ヶ月掛かってしまって…」

 私も通っていた高校なんで自分で言うとアホみたいだが。芸能人が合格すると、ネット・ニュースになるような、有名私大の附属の女子高出身の咲月さんだ。ご両親としてはそのまま大学に進学して、大手企業にでも就職して貰いたかったのだろうが。

「でも私と違って、あなたは自分の気持ちよりも周りの人達の… ご両親の気持ちの方を大事にしてしまいそうだったから…」咲月さんは笑顔で言った。

「反対する親を説得するなんて、とても出来ないだろうって。それで運営に頼まれて、私がお願いに行ったの。キャプテンとして、あなたのご両親に」

 一瞬、心臓が止まるかと思った。

「一代で製薬会社を興して財を成した人って違うわね。庭に川が流れている家なんて、私、生まれて初めて見たわ。夏は鮎を放流して、友釣りを楽しむんですって? なかなか風流な御祖父様よね」

 咲月さんはくすっと笑った。

「私の家と同じで、子供の言うことなんか頭から信用しないんだろうなって、覚悟はしていたんだけれど。話は割とスムーズに進んで。意外とあっさり許可して貰えたのには、正直驚いたわ。私達の通っていた高校って、いつの時代も親ウケが良いのね」

 私は俯いたまま、顔を上げられずにいた。

「萌華…」

 咲月さんは、私の手にそっと自分の手を重ねると―顔を上げた私の目を、じっと見て言った。

「あなたは、今まで自分勝手にしたことってある?」

 心の中の何かが、弾け飛んだ気がした。

「……」

 気が付いたら、私は咲月さんの膝の上で泣きじゃくっていた。咲月さんが、私の髪を優しく撫でてくれている。

「私が卒業して―」

 咲月さんのいつもの穏やかな声に、涙が止めどなく溢れ出す。

「あなたが新キャプテンとして、『月と六ペンス』の船首に立って、グループを引っ張って行くようになっても…」

 咲月さんは、私の手を優しく握って言った。

「キャプテンを辞めるだけで、先輩を辞める訳ではないんだから。辛くなったら、いつでも言ってね… 約束出来る?」

 私は咲月さんの手を握り返すと、何度も肯いたのだった。

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