二人セゾン
すーぴーぱんだ
二人セゾン
〈葬儀は祖母の家から徒歩4分程の所に在る斎場で、若い時からの希望通り、無宗教で行われた。
黒を基調としたモダンな祭壇の中央には、祖母が母の結婚式に出席した時に、教会で撮られた写真が飾られていた。
献花用の白い華やかな花が置かれた台の横には、若かった頃の祖母の写真が、幾つものフォト・フレームに収められていた。
クラシック音楽が静かに流れる中、高校の制服姿で参列した私も献花をした。
体を清められ、丁寧にメイクが施され、白いドレスに身を包んだ―摘み立ての花々に彩られた中で静かに横たわっている祖母は、生前の美しさもそのままに「眠れる森の美女」にしか見えなかった。〉
あー疲れた。
私が所属しているアイドル・グループ「月と10セント」の「公式リレー・ブログ」とは言え、真面目な文章を書くというのは、肩が凝るものだ。日頃使わない脳の部分を駆使するからなのか、頭(というか脳)がスポンジになりそう… 「頭がスポンジ」って(自分で書いておいて)意味分かんないんだけれど。
オマケに来月から始まる全国ツアーを控えて、最近は家とレッスン場の往復しかしていないものだから―慢性的なネタ不足で、数年前に他界した祖母について書く始末である。
〈幼い頃から、母は私によく、祖母の美しさについて語った。
映画監督にスカウトされた、7歳上で看護師だった祖母の長姉や、舞台女優とファッション・モデルをしていた3歳上の祖母の次姉が、姉妹の中で最も美しかったと、口を揃えて言うのが祖母だった。
祖母と同じ国立大学の附属高校に通う私は、母曰く、制服姿が卒業写真の祖母と瓜二つらしいが。〉
これは親の贔屓目だろう。
私も一度だけ、祖母の結婚式の写真を見たことがある。
当時27歳で、文金高島田に髪を結った祖母は、昔で言えば名女優の原節子様、今で言えば元・欅坂46の佐藤詩織さんにしか見えなかった。
―これって孫の贔屓目なのか?
〈ごく普通の人生を送って来た祖母だった―50歳になる迄は。
その後一転して、膠原病を始めとする、数々の病魔に襲われることとなった。〉
「そんな別嬪さんが普通の人生な訳あるかい!」とツッコむとか、これを「可哀想に」と思うか「いい気味だ」と思うかは、もちろん読み手の自由だ。
〈4年前にはアルツハイマー型認知症を発症した。今年の春、極度の食欲不振から「胃瘻(いろう)」が検討された。
胃瘻とは―ウィキペディアによると―身体機能の低下などにより、口から食事をすることが困難となった患者に、胃から直接栄養摂取をする為の延命措置のことだが。
その検査の過程で、舌癌が発覚したのだった。加えて、首の両側のリンパ節にも転移が見られた。
「ステージ4」
無論、手術に耐えられる身体ではとうに無くなっていた。〉
診察室で母と一緒に担当医からそう告げられた時は、(TVドラマと違って)ショックというより、意外と冷静に受け止められた。
てゆーか、祖母がいるというのに、本人の目の前でそれを言うか?
〈その時思ったのは、不謹慎なこと極まり無いが、手術を受けなくて良かったということ。
祖母の佳麗な顔にメスを入れるだなんて、手塚治虫が生んだ天才外科医のブラック・ジャックだって断るだろう。
7F病棟に行く。
若い看護師さんが、祖母の伸びた亜麻色の髪を三つ編みにしてくれていた。涼やかな碧いリボンも結ばれていた。治療とは関係ないのだが、何だか凄く好いなと思った。〉
(今思い出しても)茶髪のポニテが可愛い新人看護師さん、グッジョブ!
私はデスクトップのパソコンの画面をYoutubeに切り替え、櫻坂46の『桜月』のMVを観ることにした。執筆に適度の休憩は必要である。
カフェラテを飲んで、抹茶チョコでも食べよっと。
〈子供の頃からそうしている様に、私は祖母にピースサインをした。すると祖母が微笑んでピースサインを返してくれた。
これは幼かった私が、宇宙人が変身した贋者の祖母と本物の祖母を見極める為に考えた、二人だけのサインだ。
病院の駐車場で、別棟の売店へ夜食を買いに行った母を待つ間、私は何となく踊り始めた。
幼稚園の頃から中学受験を始める迄、バレエを習っていたので。
ターンにしろ、体はちゃんと覚えていた。
祖母が好きだった、欅坂46の『二人セゾン』を口遊みながら―
桜の花びらが舞い散る月明かりの下、私は一人舞い踊ったのだった。〉
大きい声では言えないが、このピースサインは幼馴染みの女の子からのパクりだったりする。その子が、宇宙人が変身した贋者のママと本物のママを見極める為に考えたのだ。
…あいつ、このブログを読んだりしないだろうな?
〈「欅坂46」が「櫻坂46」に改名した、2020年9月21日の早朝、祖母が他界した。
舌癌が発覚した、4月初旬から8月末までは、「さいたまメディカルセンター」に入院していたのだが。コロナ禍で緩和ケア病院に入ると面会出来なくなるので、自宅に戻っていたのだ。
朝の6時半には静かな寝息を立てていた祖母だったが―泊まり込みで介護をしていた母が、7時に病室代わりの応接間の雨戸を開けに行った時には、もう呼吸をしていなかったそうだ。>
セカンド・オピニオンを訊きに行った埼玉医科大学病院の専門医の先生の話だと、「年末迄は持つのではないか」とのことだったのだが。首のリンパ節の癌が心臓に降りて来て、その動きを止めたらしかった。
〈葬儀は祖母の家から徒歩4分程の所に在る斎場で、若い時からの希望通り、無宗教で行われた。
黒を基調としたモダンな祭壇の中央には、祖母が母の結婚式に出席した時に、教会で撮られた写真が飾られていた。
献花用の白い華やかな花が置かれた台の横には、若かった頃の祖母の写真が、幾つものフォト・フレームに収められていた。
クラシック音楽が静かに流れる中、高校の制服姿で参列した私も献花をした。
体を清められ、丁寧にメイクが施され、白いドレスに身を包んだ―摘み立ての花々に彩られた中で静かに横たわっている祖母は、生前の美しさもそのままに「眠れる森の美女」にしか見えなかった。〉
…そう言えば、葬儀の最中に一つ、不思議なことが起こった。
私の(献花の)番の時に、J・S・バッハの『G線上のアリア』が流れて来たのだが。
それは祖母がファンだった伊丹十三監督作品『お葬式』の中での、葬儀の準備のシーン(モノクロ8ミリフィルム映像)のBGMとして流れていた曲だったのだ。
二人セゾン すーぴーぱんだ @kkymsupie
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