真夏の夜の夢
すーぴーぱんだ
真夏の夜の夢
最後のアンコール曲が流れている、夜の明治神宮球場の第4ゲート。薄暗い通路の壁にもたれ掛かり、一人耳を澄ましている…
「真夏の全国ツアー2023」と、カラフルな文字で書かれた白Tシャツを着たわたしは、満月を見上げて溜め息を吐いた。
「…これで飛鳥(あすか)さんとのユニット曲は、永遠に歌えないってことか」
ステージ裏の暗く狭くて急な階段で転んだ時に出来た右の脛の痣に、手に持った黒のレッスンシューズと黒い衣装に黒い靴を入れたバッグが、揺れて当たる度に痛む。弁慶の泣き所とはよく言ったものだ。
「最後に一度だけ… 一緒に歌って、踊りたかったな」
7月1日、2日と二日連続で、グループ内で最後の1期生となった楢原飛鳥さんの卒業コンサートが、ここ神宮球場で行われた。
運営側としては、(集客が見込めるので)当然、新国立競技場か東京ドームで開催したかったそうだが… 飛鳥さんが辞退されたとのことで、実現はしなかった。
13歳で「月と六ペンス」に加入して11年もの長きにわたって、顔の小ささとスタイルの良さに加え、本人は謙遜して言わない賢さを武器に、歌やダンスばかりでなく、モデルさんや女優さんとしても、活躍をされて来た飛鳥さん…
今回のチケット抽選申し込みには、この二日間に用意された凡そ10万席に、全国から63万人以上もの応募があったそうだ。
一緒のステージに立てる最後のチャンスだったのに。何だって私は、この大事な時期に「選抜落ち」をしてしまったのか。
選抜メンバーから外れると、毎月の給料が激減しグループの冠番組に出演出来なくなる。昼食のグレードも、「叙々苑」の焼肉弁当から大幅に下がる。
だが、そんなことは大した問題ではなかった。
飛鳥さんの卒業を、傍で見送ることが許されないのだ。飛鳥さんの最後のセンター曲で、楽曲披露の前に手を握ることも出来ないのである。
予想出来たこととはいえ、これは想像以上に辛いものだった。
今日のライブでも、照明の当たらないメインステージの端で歌い踊りながら、やるせなさを痛感したわたしであった。
もう一度深く溜め息を吐くと、思い出深い第4ゲートから、球場を出ようとした。よくここで飛鳥さんと、ユニット曲のダンスの振りを確認し合ったものだ。
急がないと、JR山手線外回りの最終電車に間に合わない。女子高生のわたしは、明日も普通に学校があるのだ。
アンコール曲が終わって、球場が静寂に包まれた。
その時だった。
「今夜は月が綺麗ですね」
飛鳥さんの声が、球場内に響いた。
「『月と六ペンス』のファンの皆様にスタッフの皆さん。3期生、4期生、5期生のメンバーの皆。今日は朝早くから夜遅くまで、ありがとうございました」
卒業ライブということで、飛鳥さんが最後の挨拶をステージで始めたようだ。
「私、楢原飛鳥(ならはらあすか)は、昨日今日と、デビュー当時から毎年夏にお世話になってきた、思い出深い神宮球場で、皆さんと一緒に、心底楽しいと思える―しかもコロナ禍後では初となる、声出しOKの卒業ライブを行なうことが出来ましたこと、心より御礼申し上げます」
飛鳥さんの涼やかな声が、夜風のように心地良い。
「私が『月と六ペンス』での活動を、心から余裕をもって、楽しいと思えるようになったのは、17歳の誕生日を迎えてからだったので。1期生メンバーの中では随分遅かったんじゃないかなと思います」
加入当時の飛鳥さんは、グループの冠バラエティ番組で、好きな食べ物は(見た目の可愛らしいイメージに合わせて)「いちごみるく」と言ってみたり、これまた同じ番組内の大食い選手権で、何故か板チョコをおかずに白ご飯を食べて(実際食べられたものではない)みたりしていたらしい。
「思い返すと私は、我ながら、回りくどい生き方をして来たなと。色んなキャラクターとか迷走しましたし」
実際の(今の)飛鳥さんは、白米も白パンもパスタも… いわんや白砂糖なんてという、有機玄米に有機野菜、それに有機フルーツが主食の人だ。
「この卒業コンサートもそうなんですけれど… メンバーとかスタッフさんに対しても、なんとなく気持ちの整理がついた気がします。親切にして下さった先輩方に恩を返すだけではなく、後輩に恩返しをするというか、恩を送っていく」
初めての神宮球場ライブの時に、飛鳥さんに教わったんだけれど。
「恩返し」という言葉に対して、「恩送り」という言葉があるそうで。
今日みたいにめっちゃ暑い日、飛鳥さんに開場前の球場内の売店で、クリームソーダを買ってもらって。
「あの、後で何かお返ししますね」
そう言ったら、飛鳥さんは笑って首を振ると―
「いつかあなたに後輩が出来たら、その子にクリームソーダを買って上げなさい」って。
「そうやって、恩送りが繋がっていくというのは… とても素敵なことだなと思います」
―これは、すっごい恥ずかしい話なんだけど。
2年前まで、加入してからわたしはレッスンシューズを1回も替えてなかったのだ。買い替えてなくて。
たまたま飛鳥さんの隣のポジションでライブのリハーサルをしていた時、シューズに穴があいていて。中の靴下が見えていたのだ。
黒い靴下が覗いていて。でもシューズも黒だからバレないだろうと思ってたんだけど。
あっさりバレて。
飛鳥さんが「えっ?」ってなって…
「さくら、聴いてる?」
突然名前を呼ばれて、一瞬、心臓が止まるかと思った。
「4期生として14歳で加入してから2年ちょっと。ちゃんと理由があって、我が子のように可愛がっていたというか。完全にあれは、面倒を見ていたんですけれど。でも、そこからすくすくと育って。本当に我が子の成長を見ている気持ちで」
飛鳥さんに爆笑された一週間後くらいに。わたしの足のサイズも言ってなかったのに…
「一番似てるやつ、買ってきた」と言って。
黒のレッスンシューズをわたしにくれて。
その時にわたしが、「これが穴あくまでは、辞めないで下さいね」って言ったら。
飛鳥さんには、「なんだよそれ」って言われたんだけど。
「新海誠さんの作品で、『天気の子』ってあったじゃない? さくらっていっつも、『どうせ私は太陽なんて似合わないです…』って、そっち系のことをずっと言うから― 私と似ているタイプだから。私もそういうこと言ってたんだけれど」
そのシューズを、今も使っていたりする。
あの、穴あかないんですけど…
「もういいんだよって。あなたが大勢のファンの人達をたくさん晴れにしてきた事実を、ちゃんと認めてあげてって―」
突然、第4ゲート内の照明が灯った。通路の上に設置されたモニターを見上げる。
バックスクリーンからホームベース側に伸びた花道の、丁度マウンド付近に設けられたセンターステージに、煌々と照明が当たっていた。
飛鳥さんがそこにすっくと立っていた。「ウエディング・ドレス」とメンバーにはイジられている、月をイメージした純白の衣装に真白な靴を履いて。
バックスクリーンに設営された巨大スクリーンに映し出された飛鳥さんが、笑顔を振り向け、マイクに向かって言った。
「急であれなんだけれど… ユニット曲の衣装と靴、持って来てるよね? 今からWアンコールを始めるよ!」
……!
「そうね… 40秒で支度しな」
周りに誰もいないのを幸い、その場で素早く、黒衣装に着替えた。わたしのは「黒衣の花嫁」と呼ばれている。何でもいいんだけど。
早着替えは毎回のライブで慣れっこだ。黒の靴に履き替えようとして… 少し考えて止めた。
わたしは黒のレッスンシューズを履いた。
今から全力で歌い踊るのだ。レッスンシューズに穴があくくらい―
飛鳥さんが「私がいなくても大丈夫ね」と、安心して卒業出来るように。
「出来ることなら、シューズに穴があきませんように」
心の中でそう呟く。第4ゲートの通路を全力でステージに向かって走り出した。
ステージ袖に着いて間もなく、前奏が始まった。
「それでは聴いて下さい。宮﨑(みやざき)さくらと楢原飛鳥のユニット曲… 『真夏の夜の夢』」
飛鳥さんの澄んだ声が、満月の夜空に沁み渡った。
真夏の夜の夢 すーぴーぱんだ @kkymsupie
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます