譎詐

.六条河原おにびんびn

第1話

毎日上を向いて歩きましょう 空はどこまでも繋がって私たちは同じ世界に生きているから


毎日一輪 花を買いましょう それはきっと笑いの練習です


毎日がありがとう 出会ってくれてありがとう 生きていてくれてありがとう 


そうやって人に感謝をしていればきっといつか鏡になる


人のいいところを知ればしるほど晴れていく 雨がやがてやむように―



『あそこに行くのはもうやめなさいよ。あなたに必要なのは然るべき治療のはずですよ。一体、耳触りのいい言葉の羅列がなんだっていうんです。腹の足しにもならないじゃないですか。洗脳です。一時的によくなった気になっても、そんなのは錯覚です。寄り添ってくれるのはほんのわずかのことなんです。力にさえなれない。味方になってくれたとき、それは気のせいで、あなたのためにはならないほうに働くんです』

 私は何度か説得しました。でもあの人はクリニックに行くこともなく、ひたすら耳に心地よい、誰も傷付かない、誰にでも優しいことを言って手前で満足する、あの薄ら寒いカフェに行ったんです。誰かのためになりたい、誰かを笑顔にしたい、誰かの幸せにしたいだなんて、そんなエゴで、自分が誰かを元気付けたことに優越感を得ているだけなんです。善意の押し売りについていけなくなった途端、とうとうあの人はギャップに気付いたんです。あの人はあの訳の分からないカフェに寄稿した訳の分からない有象無象の詩人たちのためにものめり込むべきじゃなかった。毎日上を向いて笑って生きてどうするんです。毎日花を一輪買ってそんな金はどこから湧いて出るっていうんです。人のいいところをわざわざ見つけて褒めて嫌味を言って、感謝の念を持つよう努めてどうするんです。自然発生でないなら意味ないでしょう。人には明るく無邪気に生きたくたってそうできない事情があるはずです。それをマウントみたいに書き連ねて読ませて聞かせて、強迫観念を刷りつけて。何のノルマを達成させようっていうんですか。花屋の回し者ですか。何がポエムだふざけやがって。創作が役に立つのは、健やかな精神状態があってからですよ。でなきゃ両刃の剣になる。ペンの方が剣より強いなら尚更ね。ええ、自分と作者と、この場合はカフェ店主を斬り裂くような。

 あのカフェには行かないことです。至る所に耳触りのいい言葉の羅列が飾られていますから。マグカップの底とか。紙ナプキンにも。ラテアートにさえ。私もあの詩は撤回しました。作者権限で。もうこりごりですから。今度はもっとひっそりと、ネガティブに寄り添ったものを書きます。きっとまた誰かをその気にさせて、その気にさせて、その気にさせて、それが叶わないことだって気付かせて、誰かを傷付けて、死に追い遣ることになっても……」



<2022.1.28>

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譎詐 .六条河原おにびんびn @vivid-onibi

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