第2話:崩壊の予兆と理想の地

カイトがあの忌々しい荷物持ちがいなくなってから数日後。

『竜の牙』は新たな依頼を受け、中級ダンジョン『彷徨える魂の迷宮』に挑んでいた。Sランクパーティである彼らにとって、ここはウォーミングアップ程度の難易度のはずだった。――そう、はずだったのだ。


「ぐっ…! ポーションを! 回復薬はどこだ!?」


先陣を切るリーダー、ヴァルガスの肩にゴブリンメイジの放った呪詛がかすり、鈍い痛みが走る。普段なら即座に回復薬が投げ渡される場面だ。しかし、後方支援のはずのエレノアは自身の魔法詠唱に手一杯で、在庫管理を任されたロイドはバックをごそごそと漁っている。


「待ってください、ヴァルガス! あれ、どこに入れたかな…?」

「早くしろ、ロイド! この程度で手間取るな!」


エレノアが焦れたように叫ぶ。ようやくロイドが目当てのポーションを見つけ投げ渡すが、ヴァルガスは苦々しい表情でそれを呷った。


(…チッ、あの役立たずがいれば、こういう無駄はなかったな)


ヴァルガスは内心で舌打ちする。カイトは、誰がどのタイミングで、どの種類の回復薬を必要とするか、まるで予知しているかのように完璧なタイミングで供給してきた。在庫の数も常に把握しており、「あといくつです」と的確な報告を怠らなかった。それが当たり前だと思っていたが、どうやらいなくなってみて初めて分かることもあるらしい。


「エレノア! 前方の通路、罠の気配は!?」

「ええ、探知はしているけど…種類までは…! カイトがいれば、こういう時…」


言いかけて、エレノアはハッと口をつぐむ。プライドの高い彼女にとって、あの『荷物持ち』に頼っていたなどと認めるのは屈辱以外の何物でもない。だが、事実として、カイトは古代文字や特殊な魔法陣で構成された罠の解読も、なぜか事もなげにやってのけていたのだ。おかげで、彼らはこれまで罠による損害をほとんど受けずに済んでいた。


「くそっ、仕方ない! 強行突破だ!」


ヴァルガスが苛立ち紛れに指示を出すが、その結果は散々だった。解除不能の落とし穴にロイドが嵌りかけ、エレノアが毒矢の罠に気づかず軽傷を負う。おまけに、遭遇したオーガの群れに対しても、弱点属性を的確に突けず、予想以上の苦戦を強いられた。


「いったいどうなっている! 全員、たるんでいるぞ!」


ダンジョンからの帰り道、ヴァルガスは不機嫌さを隠さずに怒鳴り散らした。しかし、内心では理解し始めていた。たるんでいるのではない。これが、カイトという『見えざる潤滑油』を失った、『竜の牙』の本来の実力なのかもしれない、と。エレノアは俯き、ロイドは唇を噛みしめている。パーティには、確実に不協和音が生じ始めていた。


だが、そんな元パーティの苦悩など、当のカイトが知る由もなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


追いはぎ騒ぎの後、俺の旅は驚くほど順調だった。

まあ、道中でゴブリンの集落をうっかり壊滅させかけたり、川の氾濫を治水知識で未然に防いだり、旅の商人に妙な薬(ただの栄養ドリンク)を高値で売りつけたりと、細かなイベントはあったが、どれもこれも俺の平穏な隠居ライフを脅かすほどのものではない。魔法は極力使わず、持てる知識と経験、あとハッタリで乗り切ってきた。


そして、王都を出て約三週間。ついに俺は目的地の村へとたどり着いた。


「ここが…『オリーブ』村か」


街道から少し外れた、小高い丘に囲まれた小さな村。石造りの家々が並び、畑では村人たちがのんびりと作業をしている。鶏がコケコッコーと鳴き、どこかの家からはパンの焼ける良い匂いが漂ってくる。派手さはないが、静かで、穏やかで、時間がゆっくりと流れているような…まさに俺が求めていた理想の隠居場所だ!


「最高じゃないか…!」


俺は村の入り口で、思わずガッツポーズを決めた。よし、まずは村長さんに挨拶だな。


村人に尋ねて、村で一番大きな家を訪ねる。出てきたのは、白髪で人の良さそうな顔をしたお爺さんだった。彼がこの村の村長、ボルさんらしい。


「ほう、旅の方かね? わしが村長のボルじゃが」

「はじめまして、カイトと申します。旅の者ですが、この村が気に入ってしまいまして。もし可能なら、しばらく滞在させて頂けないでしょうか? 薬師の心得があるので、何かお役に立てることもあるかと思います」


俺は人当たりの良い笑顔でそう申し出た。

ボルさんは少し驚いた顔をしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。


「薬師さんとな! それはありがたい。この村には医者も薬師もおらんのでな。空き家なら、ちょうど村の隅に一軒ある。少し古いが、住むには問題ないじゃろう。見てみるかね?」

「ぜひお願いします!」


話が早くて助かる!

ボルさんに案内されて見に行った空き家は、確かに古かったが、小ぢんまりとしていて日当たりも良く、裏手には小さな畑までついている。薬草を育てるのにピッタリじゃないか!


「素晴らしいです! ここを借りてもよろしいでしょうか?」

「おお、気に入ったかね? 家賃なんぞ、村の皆の薬を作ってくれるなら、それで十分じゃよ」

「本当ですか!? ありがとうございます、ボルさん!」


こうして俺は、トントン拍子で理想の隠居場所と住処を手に入れた。

背嚢を床に置き、窓を開けて新鮮な空気を取り込む。うん、いい感じだ。


「さーて、まずは掃除と買い出しだな。それから、薬草畑の手入れも始めないと…」


やることは色々あるが、どれもこれも自分のための、自分の好きなことだ。誰に指図されることもなく、自分のペースで生活できる。ああ、なんて素晴らしいんだろう!


追放してくれたヴァルガスには、今なら心から感謝の言葉を贈りたい気分だ。ありがとう、ヴァルガス! 君のおかげで、俺の最高の隠居ライフが、今、まさに始まろうとしているよ!


俺は窓から見える穏やかな村の風景を眺めながら、これからの日々に胸を膨らませるのだった。まさか、この数日後に、あんなド派手な『面倒事』が起きるなんて、この時の俺は知る由もなかったのだが。

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