怪異って、本当にあるんですよ

鋏池穏美


 私は小説投稿サイトでホラー小説を中心に投稿している。幼い頃から心霊現象や怪異にときめき、いつか自分も──と思いながら歳を重ねてきた。怪異は私にとって憧れであり、アイドル。そんなアイドルに会えるならばと心霊スポットをいくつも巡り、呪いの儀式を幾度となく試した。だがどれだけ偶像を追い求めても、いまだその姿を見たことはない。


 そんな中、SNSのXに一通のDMが届いた。送り主はX上で仲良くしている●●さん。DMは「鋏池さん、『ラーメンどん』って知ってます?」という言葉で始まっていた。


 ラーメンどん。それはある女性アイドル●●●の裏アカ名。ラーメンどんは廃人のようにXを徘徊し、男の尻の写真にばかりいいねを押し、拡散していた。写真を拡散する際に書き込む言葉は「あばば」で、どうやら●●●の口癖らしい。ラーメンが好きだからと飽きることなく毎日食べ続けてその写真をアップし──


 ある日突然、X上から姿を消した。噂によれば塩分過多で内臓をやられて死んだらしいとのことだが、ラーメンどんに関してある噂が出回っていた。


 ──三日連続でラーメンを食べると、ラーメンどんが現れることがあるらしい。

 ──死んでしまったラーメンどんは自分でXを見ることができず、ラーメン好きに取り憑いてXを見ようとするらしい。

 ──もしラーメンどんに取り憑かれて、四日目もラーメンを食べてしまうと……。


 なんともおかしな噂だ。たしかにラーメンどんは男の尻、特にふんどし姿の男の尻に執着し、拡散していた。だからといってこんな噂が出回るだろうか。噂を流すにしても、もう少し信憑性があるものにしないだろうか。となればこの噂は本物だからこそ出回った──とは考えられないだろうか。


 私はこの噂を確かめずにはいられなかった。一日、二日と続けてラーメンを食べ、そうして迎えた運命の三日目。


 ラーメンを食べ終えた私の周囲に、どこからともなく湯気が立ち上る。最初は錯覚だろう思ったのだが、その中にうねる影が見えた。


 女、だ。


 艶やかな黒髪を揺らし、異様に白い肌が湯気の中にぼんやりと浮かび上がる。


 細くしなやかな指先がふらりと宙をなぞるように揺れ、口の奥からはするりと長い麺のような舌が垂れ落ちた。喉の奥からは白濁した湯気が漏れ、甘ったるい脂と腐敗しかけた焼豚の臭いが漂う。


「あばば……」


 くぐもった湿った声が女の喉の奥から漏れる。私は歓喜した。噂は本当だったのだ。だが喜んだのも束の間──


 頭の中に「ふんどし」、「ギチギチの男の尻」という言葉が浮かぶ。それと同時、抗う間もなく指が勝手に動き、Xを開いていた。私の指が求める投稿を探し、画面をスクロールしていく。だが見つからない。


「あばば……」


 湯気の中、女はふるりと首をかしげた。湯気が濃くなっていく。視界が揺らぎ、世界が白霧に溶ける。鼻腔を満たすのは、獣の脂と濃縮された塩分の臭い。


「ふんどし……ない……?」


 女は不満げにその身を揺らした。どろりとした液体が溢れ、テーブルを濡らす。溢れたのは血液ではなく煮詰まったかのようなスープ。だが次の瞬間、Xに新しい投稿が流れ込んだ。ふんどし姿の男。鍛え上げられた尻のライン。写真と共にたった一言「今日のギチギチ」という言葉。


「ギチィ……ギチギチの尻ィィィィィッ!!」


 女は歓喜に震え、悲鳴のような声を上げた。食べ終え、完飲したはずの丼の中身が暴発するように溢れ、麺の束が弾け飛ぶ。そうして女はそのまま湯気とともに溶け、跡形もなく消えた。


 私は荒い息をつきながら、胃の奥を押さえた。猛烈な吐き気。喉の奥に絡みつく粘り気。こみ上げる衝動に耐えきれず、口を押さえてトイレへ駆け込む。便器の中に吐き出したのは、どす黒い液体。取り憑かれた──ということでいいのだろうか。


 ──もしラーメンどんに取り憑かれて、四日目もラーメンを食べてしまうと……。


 思い出した噂に私は震えた。ラーメンどんは実在したのだ。つまり取り憑かれたであろうこの状態で四日目もラーメンを食べれば──


―――


 翌日、私は運命のラーメンを食べた。偶像を渇望し、長年の夢を叶えるためのラーメンを。


 そうしてその日の夜、部屋の隅で何かが蠢いた。


「あばば……」


 来た。本当に来てくれた。これで私も──


――― 


 五日目。


 私はふんどし姿でラーメン屋を訪問した。誰もが目を逸らす中、ただひたすらにラーメンを啜る。脂の膜が張ったスープを飲み干し、最後の一滴まで丼を舐める。


 食べ終えた私は、Xを開いた。


 目的の投稿を見つけ、指が震える。


 そうして私の口から漏れ出たのは──


「ギチギチの男の尻ィィィィィッ!!」


 ──狂気じみた、歓喜の叫び。


 ラーメンどんに取り憑かれ、四日目もラーメンを食べた私はラーメンどんになった。渇望し、憧れたアイドルに私はなったのだ。

 今はまだそれなりに自我がある自覚はある。だがそれも湯気のように朧気に揺らめき──


 いずれ私は、完璧なアイドルになるのだろう。



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