第九章 針は静かに鋭く

――――第九章 針は静かに鋭く


 恋美はクラスの中で弥来の視線を感じることが増えた。以前はほとんど目が合うことのなかった弥来が、授業中や休み時間に、ちらちらと恋美の方を見ているような気がした。気のせいかもしれないと思ったけれど、ある日、廊下で偶然二人きりになった時、弥来が話しかけてきた。

「あのさ、仁村さん」

「は、はい?」

と恋美が驚いて振り返ると、弥来は少し照れたように言った。

「その……最近、なんか…気になるんだよね、君のこと。よかったら、仲良くしてもらえたら嬉しいな……なんて。」

恋美は顔が赤くなるのを感じた。確実に弥来にもまち針の効果が出ている……。

「……考えさせてください!」

私はその場を逃げ出した。


 それからことが動くのは早かった。翌日のことだった。弥来への返事を保留にしたままにしている中、

「ねえ、弥来。最近、なんか私を避けてない?」

と、廊下の奥で百々の声が聞こえた。近づいて覗き込むと、そこには詰め寄る百々と少し戸惑ったように見える弥来がいた。

「そんなことないよ。忙しいだけだって」

「嘘だ!絶対何かある!あのトロい恋美のせいでしょう!」

百々は声を荒げた。

「あんな女のどこがいいのよ!」

「……そんなことないよ、恋美ちゃんはいい子だよ。」

「うるさい!知らないっ!!なんで私より恋美を庇うの!!」

「それは百々が恋美ちゃんにいじわるをするからだろうが!」

弥来が百々に怒鳴り返す。ひるんだ百々は黙って去っていった。


 百々の嫉妬と不安は募り、恋美へのいじめはさらに酷くなっていった。以前は陰湿な嫌がらせが多かったが、最近では直接的な言葉での攻撃や、物を隠されるといったことも増えてきた。まち針さえあれば困らない恋美からしたら、もはやそんなことは瑣末さまつなことにすら思えた。そんなある日、昼休みに百々たちが恋美を取り囲み、嫌味を言っていると、今まで黙って見ていた弥来が、珍しく声を荒げた。

「おい、やめろよ!」

百々は信じられないといった表情で弥来を見た。

「あんた、何言ってんのよ!恋美を庇うの!?」

「当たり前だろ!お前らのやってることは酷すぎるんだよ!」

弥来は毅然とした態度で言った。

「もう、恋美ちゃんに嫌がらせするのはやめてくれ!クラスの仲間だろ?」

百々は顔を真っ赤にして怒り出した。

「あんた、私のことより恋美の味方をするって言うの!?信じられない!もう別れてやる!」

「あぁ、そうか、俺だってもううんざりだ!いいかよく聞け?俺は恋美ちゃんが好きだ」

「……な、んだって?」

「何度でも行ってやるよ、くっだらないいじめをするようなお前より、俺は恋美ちゃんのほうが素敵だと思うって言ってんだ。」

百々はとうとう目から涙をこぼしながら弥来から離れた。弥来は困ったような顔で恋美を見た後、ため息をついた。

「本当はこんな形で言いたくなかったんだけど、俺、恋美ちゃんのこと好きだよ。付き合って欲しい」

恋美が困惑する傍ら、百々は詩葉に詰め寄っていた。

「詩葉ぁっ!全部……全部、あんたのせいよ!あんたが恋美を仲間はずれにっていうから!きっかけはあんたじゃない!ぜんぶ、全部あんたのせいよ!!」

百々は涙目で詩葉を睨みつけた。詩葉は一瞬動揺するも、すぐに持ち直し、いつもの清楚な雰囲気に戻るも、その瞳は冷たかった。

「あらあら、どうしたの百々?自分の彼氏一人繋ぎ止められないなんて、情けないわね。」

百々の友達のはずの詩葉からは、振られた友に対して慰めの言葉どころか、罵倒が返ってきた。

「恋美ちゃんをいじめたのは私じゃないわ、ほかでもないあなたじゃない。もっと上手くやっていれば、こんなことにはならなかったんじゃないの?」

詩葉の言葉に、百々は愕然がくぜんとした。いつも自分を従わせていた詩葉の冷酷な言葉に、百々は初めて自分がただの駒だったのだと気づいた。想い人を奪われた二人の女、詩葉と百々。二人の間には深い亀裂が走り、これまで築き上げてきた歪な主従関係は、音を立てて崩れたのだった。

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