memento mori

取葉。【トリバ】

第1話

 自殺する前にもう一度だけ故郷に行こう。  そう翠華は思い、かつて自分が生まれた故郷に向かった。

 電車から見える景色は翠華にとってとても懐かしく、また切なくもあった。窓から見える海には時折翠華が思い出したくない者を思い出させようとしているようだった。

 そうこうしている内に駅に着いた翠華は、車で迎えに来ると言った母を待って数分待っていた時だった。

 突然、誰かが後ろから私に話しかけてきた。 「翠華じゃん、久しぶり!」

「ひゃっ、て…え、嘘、優香じゃん、久しぶり!」

 久しぶりの親友の登場に、翠華は心臓の高鳴りを感じていた。

(やっとだ、やっと会えた…)

 翠華と優香は長い間会っていなかった。高校一年から三年の夏までは、日常的に会話や遊びを共にしていたのだが、ある日突然、優香は学校に来なくなってしまった。その日から交流は無くなっていたが、翠華にとって優香は一番の親友だった

(でも、私はここで終わりだからなあ…)

 できるなら、これからも彼女と共に生きたかった。そう翠華は思ってしまった。しかし、翠華はそれが無理だということを知っていた。   翠華は今年で29歳になる。

 元々考えていた小説家という夢は、社会という重圧に壊された。


 そんな時、会社が倒産して無職になった。


 このまま生きていても何にもならないのである。親はいるが、もうとっくに縁を切っている。もうどうしようもないのである。

 翠華はそんなことを考えながら、目の前の親友の話に耳を傾けていた。


「でさ、海行かない?」

「えっ?」


翠華は突然の誘いに動揺を隠しきれなかった。目が泳ぎ、頭が真っ白になった。

 その様子を優香は怪訝そうに見つめていた。 「もしかして、話、聞いてなかったの?」

 図星を突かれた翠華は真っ赤になって下を向いた。

「ごめん…」

 そういって翠華は頭を下げた。

「…いいよ、友達、でしょ?」

 翠華が顔を上げると、少し微笑んでいる優香が見えた。 「じゃあ罰として…明日の八時に、この駅集合ね!海で遊ぶから、水着、忘れないでね!」

 そう言って、優香は走っていってしまった。翠華にはどうすることもできず、仕方なく近所のファッションセンターで水着を買い。そのまま予約していたホテルにチェックインした。


 夕方、予約していたホテルの一室での事だった。翠華がベッドで休んでいると、ガタン、という音が洗面台の近くで聞こえた。翠華は驚きつつ洗面台に行くと、そこには半透明の人影が立ちすくんでいた。

(またこれか…)

  翠華は生まれつき幽霊が見える体質だった。 幼い頃に祖母の家で幽霊を目撃したのが始めだった。しかしそれが少し大事になり、翠華自身気まずい思いをした。それ以来、誰にもこの話をしていない。茶化されたり嫌われたりするのが怖かったからだ。

 

(まあ、襲ってくる様子もないし、いっか。)  その後夜になり、夕食を済ませた後部屋に戻ると、その人影も消えていた。あの影の薄さからして、現世への未練はあまりなかったのだろう。そう思いながら、翠華は明日の約束に備えて、ベッドに入った。

 朝になり、目を覚ました翠華は、時計を見て、まだ八時まで時間があることを確認し、準備を終わらせ、約束に間に合うよう駅に向かった。


 八時。快晴。

 翠華が着いた時には優香も既に準備が終わっていて、そのまま水着で海を楽しんでいた。8月の暑さからか観光客も多く、多くの人が海水浴を楽しんでいた。

 翠華は優香と共に砂遊びをしていた。

「いやはや驚きましたよ。まさかカナヅチなのに海に誘っていたなんてねぇ…ねぇ優香?」

 翠華は優香を見た。優香は夏のせいかそれとも罪悪感か、汗をダラダラと垂らしていた。 「いや、だって…まさか泳げないとは思わないじゃん。だって高校の頃は泳げてたじゃん、私。」

 そういいながらも優香は砂の城を作っている。しかしクオリティが尋常では無かった。翠華の中には城で戦う戦士が見えるくらいに、優香の城はクオリティが高かった。

 数時間後、観光客はいなくなり。翠華が気づいた時には優香と翠華の2人だけになっていた。翠華はその時気づいてしまった。

 優香に影が無かった。

 翠華は一瞬声が出そうになった。でも必死に堪えた。今これを言ったら。優香は消えてしまう。そう思い。この日は優香にはこの事は言わずにホテルに帰った。

 

 ホテルには二泊三日で予約を入れていた。だから明日で翠華は家に帰らなければいけない。  ホテルでの夜。翠華は考えていた。

 優香は透けていなかった。つまりそれほどまでに優香は何か未練を残している。翠華はそれを理解していた。

(優香は多分気づいてない。あのままだときっと永遠に気付かない。どうやって…どうやって伝えよう。)

 考えている内に翠華は涙が止まらなくなった。ホテルに備え付けられていたティッシュで涙を拭く。でも涙が止まらない。翠華はしばらくの間声を殺して泣いていた。

 最終日、翠華は優香の家を訪れた。玄関の前のインターホンを鳴らした。

「あら、優香のお友達じゃない。どうぞ。」  インターホンの応対をしてくれたのは優香の母だった。

 家に入ると線香の匂いが香っていた。匂いの元は和室だった。和室には仏壇が一つ置かれていた。仏壇には優香の写真が置かれていた。  翠華はそれに手を合わせた。そして和室を出た時だった。

「翠華じゃん!ってどうして壁から出てきたの?」

「優香!壁って、私は…」

 そこで翠華は口を止めた。ここで優香には和室が見えていないことを、翠華は理解して口を止めた。

「翠華って…もしかして幽霊なの!?」

 翠華は何も言えなかった。そこに和室があると言えば。優香は間違いなく和室を訪れるだろう。そうすれば、優香は自分が死んでいることに気づいてしまうだろう。それは、翠華にとっても望んでいない結末だった。そんな時だった。 「翠華さん、優香の仏壇に手を合わせてくれてありがとねぇ。優香もとても喜んでいると思うわ…」

 そう優香の母が言った。

 優香は無言で、顔が真っ青になっていた。顔が歪んでいる。今にも泣きそうな顔をしている。

 翠華は我慢できず、優香の手を引っ張った。 「優香のお母さん、もう行きますね。ありがとうございました。」

「えっちょっと翠華さん⁉︎」

 優香の母が驚いているのを横目に、私は優香の手を引っ張って走った。

   

 四時、夕方の海岸。翠華と優香は海に立っていた。優香は泣いていた。しかしその涙で砂が湿ることはない。翠華は優香の足元を見て言った。

「優香は…死んでる。少なくとも私がここに来る前より先に。」  

 それを言い切った直後、翠華は優香との出会いを思い出した。

 三年前。コンビニの店員として働いていた時、翠華は優香に出会った。

「あんたねえ、商品の仕入れ遅すぎなのよ、レジ打ちもできないし…とっとと辞めなさいよ!」  翠華が仕事の出来をバイトリーダーに指摘され、ショックで泣いていた時だった。


「これで涙拭きなよ」


 そう言ってハンカチを差し出してくれた。それが優香だった。

「あいつ他の人にもあんな感じで言ってるから気にしなくて良いよ、ほっときな。あいつもう辞めるしさ。」

 そう優香は言って、翠華を励ましていた。

 翠華の涙は止まらなかった。今まで我慢していた分の涙が、ここに来てどっと押し寄せてきた。


「翠華」


 翠華は優香の顔を見た。


 優香は涙を流しながら、満面の笑みを浮かべていた。


優香は翠華の手を掴んで翠華を抱き寄せた。

「少しだけ分かってたの、自分が死んでるって、でも肯定したく無かった。私は生きてるって…そう思いたかった。」

 

 翠華を見つめて、優香は最後にこう言った。

「私の分まで、翠華は生きて、小説、書いてね。」


 そう言って、優香は溶けていく。


 柑橘色の空に。


 この街の明かりに。


二人の記憶と共に。


そして優香は、優しい笑みと共に、柑橘色の空になった…


 優香が消えた後、私は家に帰ってきた。家には縄と踏み台が乱雑に置かれていた。

 翠華はそれを物置にしまった。

 家に戻った翠華はペンを持ち、プロットを書き始めた。

 優香の想いを込めて…

 ――――――

「翠華さーん、原稿まだですかー?締切過ぎちゃいますよー?」

 編集者の声で、私は目を覚ました。はっとして私は時計を見た。

「やばい、もうやばい、推敲できますか?」

「全然大丈夫です!締切は全然大丈夫じゃないですけど!」

 そう言われた私は慌てて時計を戻し、原稿を書き始めた…


 仕事部屋の時計の裏には、懐かしい友人の写真がそっと飾られていた…    

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

memento mori 取葉。【トリバ】 @itigonovel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ