第1話 春の座席はおひさまの匂いがする

 入学式の日の朝、俺は新年度の不安を抱えて列車に揺られていた。揺れる硬い床には受験や入学のための準備で慣れたような気がしていたのに数分前に踏んだあぜ道の感触すら忘れてしまいそうな気がした。各駅停車のせいか、それとも車体にも線路にもガタがきているせいかはわからないが、ジェットコースターの登りのような音に釣られてゴトゴトとそんな思いがせり上がってきていた。

 最初の数駅は知らない田舎から乗車するビジネスマンや歩きスマホの大学生を眺めて誤魔化していたものの、それも馬鹿らしくなってきてぼうっと足元を眺めていた。

 多分、それも数分の間だ。


「あの…」

頭の少し上で、部活の後輩よりも大分幼い声がした。はっとして顔を上げると声と相応しい愛嬌のある笑顔を向けられた。

「えっと、新入生だよね?東丘の。」

その顔のまま尋ねられて、ああ、こいつ同級生かと納得する。足元に雑に置かれた鞄を軽く蹴って言葉を返す。

「うん……隣座る?」

ありがと!と無邪気に腰を下ろすのを見ていて何故だか関わるとろくなことがなさそうだと直感する。しかし友達なんて多いほうがいい。何かあれば最悪距離を取ればいいし特に通学時間が一人の時間にならないことは救いだから、と自分に言い訳をしつつも内心嬉しかった。

「あっそうだ。僕、蓮山直斗。よろしく」

「田平かけるです。よろしく」

自己紹介が済んだ途端蓮山が心配そうな顔で見上げてきた。俺は同年代の中では背が高く、蓮山は全体的に小さいから二人の間には頭一つ分くらいの差がある。自己紹介からずっと俺は俯いているし、蓮山は見上げている。

「田平くん、なんか車酔いでもしてそうな顔してたけど大丈夫?」

「いや、別にそういうわけではないんだけど。……なんか、ちょっと緊張してて」

無駄にデカいんだからせめて素直にならんと、という顧問の教えを律儀に守ると、蓮山はなら良かった!と元気を放出してから元の顔に戻った。そこからは話が弾みもせず、変な間もできずとまずまずの出来のコミュニケーションが続いた。しかしその度に蓮山のこけた頬が作る表情がコロコロと変わっていくのが地味に楽しく、話は途切れない。


そろそろ降りないと、という蓮山の声で外に目を向けると、先程より景色の流れが遅くなっていた。慌てて床に下ろした軽い制鞄を手に取る。程なくしてぷしゅうと気の抜けた音を皮切りに、学生も会社員もばらばらと降り始めた。出入り口に近づくほどに都市の喧騒が顔を出して、小さな同行人の後ろ姿がそれに紛れないようにすぐ後ろを着いて出た。

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陽炎の輪郭 詠暁 @yoniakewo

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