第4章 願い事を唱える

◆第22話 ごっこ遊び

 唸るような機械音とともに舞台とアリーナを完全に遮っていた緞帳が上がっていく。

 

 銀花は舞台の中央で待ち構えていて、とびきりの――10年の中で一番の笑顔を浮かべている。


「今からお見せしますのは、小学校の体育館ステージ――今ご覧の舞台の出来事です。作り話ではなく、噂話や伝え聞いたのでもなく、私たちに本当に起こったことでございます」

 銀花は高らかとしたのを、ささやくような声音に変えて付け足す。

「さっきから同じようなのをやってるって? 今までのはごっこ遊び。これよりご覧いただくのが本当の出来事ですので皆様、誤解のないように」吊りマイクは天井に上がってゆく

 

 ぺたん、と座ってパペタ氏と一人遊びをする銀花。


 タオルで顔を隠して黒土くろつちが銀花の後ろに現れる。

 銀花の首筋を彼が両手でつかみ、締め上げる。

 ぐったりした銀花の身体に力が戻り、腕ごと払いのけて対峙する。

「勝手に殺そうとするな!」

 そうだ。もう今ここでしか発することができない銀花の気持ちだ。

「今まで放っておいたのに最後は道ずれにするの? 放っておいて! 別に会いに来てくれなくても生きていたし、願い事はできてないけど。一人だけで、パペタ氏もいるけど、パペタ氏と一緒に生きていたんだ。放っておいて!」

 事前に作った台本の記述のとおりだけど、ところどころ違う。今の銀花の気持ちだ。

離々りりにも謝って! もう! 死んでなかったら殺してやるところだ、本当に! それに! 背後からいきなり首を締めるっておかしいよ。前もって言ったり聞いておくべきことはないのか! 死んじまえ!」

 感情が高ぶって涙が流れる。特に意味はない。感情が荒れているだけだ。

 視界の邪魔なので袖口で拭った。

 続けて声を張り上げようとしたが喉が詰まったような感じで出せなくなった。困った。

 

「かってにぃ、しぬなよ」


 不明瞭な声になって悔しい。感情が溢れるのを止めることができない。拭いても無駄なので流れるままに混じり正体の分からなくなった水気を呑み込んで息を大きく吸う。

 銀花は父さんが死んだことを悲しんでいるのか、いいえ。自分自身を憐れんでいる? いいえ。怒っている? そうだ。でも少し違う。正確に言葉にしろ。今ここで!  


「私が父さんにいうのは――

 

 最後に声を掛けてよ! さよならとかさあ。

 最後だったんだから聞いてよ! 死んでくれないかとかさあ。

 そういう大事を何にも、何にも言わずに首を絞めるのは……、本当に本当に……」


 言いたいことが出てこない。言いたいのに形にならない。なんだこれ。


「じゃあね」

 

 何かは形を取らないまま、銀花は打ち切った。もうこの場にしか現れることのない亡霊のようなお父さんに、別れの言葉を言ってあげないといけない。

 肩で大きく息をしながら銀花は泣く。お父さんは何も言わなかった。

 銀花が喋れることを知らなかったみたいに、まるで家で飼っている小動物のように。人形のように? 一人の人間として銀花を見ていなかったのではないだろうか。


「銀花、戻して、まだだよ、まだ終わってない」

 立ち尽くしたままの銀花に離々が袖口から声を掛ける。

 

【お父さん】はゾンビみたいに両手を前に伸ばして宙に浮かしたまま。

 銀花は宙にある手を取って自分の首に当てる。

「小村銀花、あなたの娘だ」

【お父さん】は首に再び力をかけ始める。声にならぬ叫びが漏れる。

 銀花が気を失いかけた時に何かを言葉にしようとする。

 喉から上に息が通らないのだから声にはならない。でも。

 口の動きだけだ。微かな動き。

 短く、単純で。小さな赤ちゃんでも言うことができる。

 上下の唇を閉じ切って勢いよく開けるのを二度連続して繰り返すのだ。

 今は声にならぬ。でも、銀花の耳――頭の中――遠い記憶の中だけで発音される。


(パ、パ)


 首を絞める力が緩む。

 躊躇ったように? 銀花の顔を【お父さん】は見たのだろうか。

 銀花は犯人が【お父さん】とは知らなかった。銀花には見えなかったから。だから、助けを呼んでしまったのだろうか。

 それとも……、本当は、銀花は犯人が【お父さん】だと分かっていたのだろうか。

 今、首にあるのが黒土の手だと分かるように、懐かしい感じがする手だと感じ取ってしまったのだろうか。


 疑問の答えは出ないままぐるぐると銀花の胸を巡る。

 何かを振り上げた隻海ひとみが一瞬だけ見えて、銀花は床に伸びた――。 

 今はだらんと両腕を下ろした隻海が持っているのは角の凹んだ消火器だ。

 銀花の隣には音もなくいつの間にか【お父さん】が倒れている。


 じゃあね、お父さん。

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